アニメ『どろろ』はおもしろい?つまらない?

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1219: 2019/07/07 15:57:07 通報 非表示

この新作アニメの「百鬼丸」は奪われ過ぎていると思う。

魔神に奪われる体は12か所と原作より減ってはいるものの、一番大切な感情の表出を彼は奪われている様に感じられる、

体を取り戻しても原作のように全身で「うれしい」と表現しない「百鬼丸」

「どろろ」が大切な人になったから、取り戻したいと願った?

どうにもピンとこない。

そして、「親に搾取されていた」ことに彼が気が付き「怒り」を表出すると皆が、

「いい子でいないと魔物になるよ」

と、その怒りの表出を抑える。

彼をそこまで追い込んだ人たちは責任を取らないか、自死に逃避する。

酷くグロテスクな物語である。


1220: 「おもしろい」派2019/07/08 00:08:22 通報 非表示

絵がきれいだし物語も深い


1221: 2019/07/08 11:27:20 通報 非表示

既出コメントと被りますが、この話は設定も脚本もおかし過ぎた。(特に中盤以降が!!) アニメを装ったコスプレや劇中劇をしていたのかと思えるほどに登場人物たちの言動が変。景光に至っては全く救いようのないレベルで変で論外。

目の前に死者 陸奥・兵庫がいるにも拘わらず、縫の方に説法することにばかりご執心で村の若衆に任せっ切りで経を一切上げない琵琶法師 琵琶丸に、目の前にいる重傷者 多宝丸の治療よりも共に死ぬことを選ぶ寿海と、国の母だの赤子の百鬼丸を手放さずしっかり胸に抱いておくべきだったといいながら、出産直後、ばんもん、燃え落ちる醍醐の城と三度も百鬼丸を捨て、国も捨てて死んで逝った縫の方。

いったい、この人たちは自分の役割をなんだと思っていたのか、世の中と他者をなんだと思っていたのか。更に言うなら、制作側は視聴者をなんだと思っていたのか。真剣に観ないで雰囲気で流して観ようとしても無理。違和感があり過ぎ。

そして、城がボウボウに燃えているのに城内に向かったままの縫の方をずっと放置していたどろろと琵琶丸。・・・おかしいでしょう。二人とも助けに行くのが遅過ぎ。いつも都合良くどろろと百鬼丸の危機には現れるのに、琵琶丸は、ばんもんのときも、このときも縫の方の動向をキャッチしておきながら、「法師」であるにも関わらず命に関わる場面で二度も放置してしまうという不思議。自慢の心の眼はどうなった? ・・・脚本上の都合としか思えない。

その直後には、どろろは百鬼丸と井戸の中でイチャイチャ。「ふう、助かったぁ。アニキの腕柔らかくてあったけえや」 「綺麗。空、綺麗だ。どろろ、綺麗だ」。
肉親を助けることはすっかり諦めて、こんなに気持ちの切り替えが早い人間っていますか? 
どろろも縫の方に「おっかっちゃん」と懐き始めていたのに。・・・二人がおかしいというよりも脚本がおかし過ぎます。

二人があんまり呑気だから、視聴当初は縫の方、多宝丸、寿海が死に逝くと思ったのは全くのこちらの勘違いで、寿海が多宝丸と縫の方を助けたのかと思ってしまったぐらい。この話はともかく脚本がおかしい。作画も演出もBGMも頑張っているのは分かる。だけど脚本の粗さ、ご都合主義はいかんともし難い。戦国の世の人の感性はこんなもんだ、これはアニメだからと言われたとしても展開もセリフも変過ぎて、中盤以降は全くついていけないお話だった。


1222: 2019/07/09 10:08:57 通報 非表示

>>1207
今作がどこがどう、つまらなかったのか書こうとするとネタがあり過ぎて、あっという間にレポートが書けてしまうほどの代物で、それだけ残念に思ったってことだよ。寧ろレポートが書けるほどネタがあるのを、文字数制限に合わせてなんとか縮めた結果とも言える。おもしろく出来るはずの素材が揃った物語を、変な方向に進ませるから面白くなくなったという怒りの現れ。それが長文。


1223: 2019/07/09 17:33:13 通報 非表示

Amazonプライムで配信されることもあって、一揆や闘争が排除されたり、どろろ(子供)が刀を欲しがらない。など、何らかの忖度が沢山あり、製作側も苦労されたのだろうと考えられますが、
それらを踏まえた上でも、この脚本はセリフで説明しすぎですし、辻褄が合わないことも、整合性が取れないことも多いです。
時代考証に至っては、それほど詳しくない私も首をかしげるものが多かったように思います。
時代ファンタジーと考えて楽しもうと思ったのですが、
国や全体のために個を犠牲にすることの正当化は「自分たちだけ助かればいい」に帰結すると思いますし、「自分たちがやってきたことが報復される」「相手にも尊厳がある、打たれれば打ち返す」ことを考えていないような気がして、それはダメなんじゃないかと思います。

琵琶法師が最終回で前身が侍であったことを匂わせるセリフがありますが、唐突でした。
脚本術に「ピストルをテーブルに置いたら使わなければならない。(伏線回収)」と言うのがあるそうですが、この脚本は「そのピストルいつ置かれたの?」と思ってしまうような展開が多かったように思います。


1224: 2019/07/12 01:44:15 通報 非表示

1話で富樫政親って実在の人物を出したから、どこまで史実と絡めるのかって期待もあった。一向一揆についてどう扱うのか。

それなら歴史家の先生に時代考証してもらえば、脚本にも説得力が生まれただろうし。

村人3人とどろろが関わるのも唐突な感じがして、いっそばんもんで生かした助六を再登場させて、これからどうするか話させた方がいいんじゃないかとは思った。

原作を抜きにしても、このアニメを通して何を伝えたいのかが最終回まで見てはっきりしなかったな。

もう少しキャラクターの心理描写を丁寧に表現して欲しかった。


1225: 2019/07/12 19:19:52 通報 非表示

アクションシーンは、1クールのほうがよかった気がする


1226: 2019/07/12 20:56:21 通報 非表示

Amazonのレビューを見ると、原作を知らずに今作を観た人で最初は好ましく観ていた人でも、回を追うごとにつまらなくなったという意見は多い。特に2クールに入ってからが目立つ。結局のところ、2クール目に突入する直前の「ばんもんの巻」が大きな分かれ目になったと思う。

ばんもんの巻は、それまでの他の話以上に改変が大きく、アニメでは民衆の悲劇の扱いはごく小さな物となり、醍醐家のお家騒動にスポットが当てられ、ここで死ぬことになっていた多宝丸を生かし、2クール目の終盤では彼を特撮ヒーローばりに変身させ、腹心二人と異形戦隊を組ませ鬼神化した百鬼丸と戦うという更なる大きな改変に出た。

そうすることで、それまでにあった大河ドラマのような重厚な雰囲気も、時代劇映画のような無常感もふっとんで、一向一揆どころか、どこかで見たような怪人ヒーローもののようになってしまった。

困ったことに、ばんもんの巻以降、縫の方は言動がおかしい死にたがりのパフォーマーの様になってしまったし、赤子の百鬼丸と出会い立ち直っていたはずの寿海も、育児ノイローゼを引きずったみたいに百鬼丸のその後を気に病み、過去に囚われ遺体に義体を施す病んだ様な人物になり、再び立ち直ったように見えていたのに、縫の方に共鳴するように逝ってしまった。

多宝丸も致命傷だったのかはハッキリ分からない。兄 百鬼丸を追い詰めたこと国を荒廃させたことに責任を感じ、贖罪として死を選んだのかもしれないが、縫の方の「これからはずっとそばにいる」という甘美な囁きに落ちたようにも見える。縫の方に「ともに生きよう」と言われれば頑張って生きそうに見えたんだけど。百鬼丸は、この中の誰も死んで欲しいなどとは思っていないのに酷すぎる。

レビューには毎回同じような不幸話ばかりで飽きるという意見もあった。これから贖罪しようと思えば出来る縫の方、ずっと贖罪をして来て多くの人々を救って来た寿海まで死を選んでいる。死こそが救いであるかのように。この人たちは死ぬことが幸せだったのかもしれないけど、見ているこちらが清々しくなるはずもなく。幾ら創作でも無駄に死なんでくれと思う。

原作の寿海には自殺する理由なんて何処にもないんだけど。百鬼丸を助けた寿海は生命の象徴みたいな人だったのに。何故アニメでは寿海を苦しみの多い人生を歩ませたのか。百鬼丸に再び救わせるで良かったと思う。


1227: 2019/07/12 22:16:47 通報 非表示

今回のアニメでは原作と違って百鬼丸の命、身体で醍醐の国が成り立っているという図式が加わっている。

これがあるためか、最終回で百鬼丸が身体を全て取り戻しても爽快感があまりない。

生け贄というのは昔の日本にも限らず、他の国でもあった風習なわけだが。こういった日本昔話みたいな話は、一話完結ならそこまで引きずらないけど、これが全話に渡って存在してあるから気持ちのいいものでもない。それでも1クール目はその辺りそこまで気にしなくても良かったわけだけど。

国の安寧のため生け贄にした改変を加えたことで、言ってしまえば昔の人達がそうやって生きてきた、生きのびてきた、ある意味人間の持つ見たくない部分を見せられているわけで。

現代人の感覚とは合わないため、拒否反応がどうしても出るんじゃないかと。

これをどろろではやって欲しくはなかったなと思うと同時に、どうせやるなら醍醐の国が荒廃しても再生に向かう様子をきちんと描いて欲しかった。

どろろの村人3人に語ったお宝を使ってというのも、どこかふわふわしてて非現実的に聞こえるし。リーダーシップはあっても、文字の読み書きができないどろろがどこまでやれるのか、火袋達の二の舞にならないかとか。あの3人は信用に足りるのか、もし足りたとしてもそれだけの能力はあるのか。知識と教養のない人間達がどこまで出来るんだろうかとか。

そう考えると、多宝丸と寿海を生かしてどろろ達と合流させる方がいいんじゃないか。

多宝丸の国の荒廃する様子を見て自分がなんとかしなきゃと思う気持ちは本当だと思うし、跡取りとして育てられた彼なら土木や公共事業の知識も、場合によっては有力者とのコネクションも彼なら持っているのでは。

鬼神の加護を失い荒廃した土地が、今度は人々の力によって再生に向かう様子を描いてこその救いだと思う。


1228: 2019/07/14 13:36:56 通報 非表示

アニメージュの記事で裏設定や制作時の事情が語られていますが、結局、後出しじゃんけんと言い訳に終始している印象を受けました。

脚本家の方と監督の描きたかったことの乖離が思っていたより大きかったということなのでしょうか、

テーマと着地点のぐらつきが悪い形で後半に出てきたように思います。

また、作品というテキストの捉え方、解釈の仕方は人それぞれですが、

過去の名作をリメイク、

それが放映・配信されて多くの視聴者の目に触れる映像作品である以上、

何を表現しているのか、製作者サイドが自覚的であったのかは問われると思います。

(残酷な表現、鬱展開の多い作品を発表してはならないという意味ではございません。)

なぜ、親に呪われた子の再生の物語でその子から感情の表出まで奪わなければならなかったのか、その子の腕と目を奪い肉親が彼を殺そうとする描写は必要であったのか、国や大勢のためにと個人に我慢を強いる、親たちが自死を選ぶということはどういうことなのか、

これらをどのように表現するのか、

また、「百鬼丸」が赤子同然の無知の為、異性に対して過剰なスキンシップをとる描写があるのですが、性別を逆転し彼を彼女とすれば、俗な言い方をすれば「ラッキースケベ」です。

ハリウッドでもこのようなヒロインが多かったのですが最近では見られません。

このような関係性を描くことの是非は問いませんが、

製作サイドは自覚して、この設定を採用したのか? 疑問は残ります。


1229: 2019/07/14 19:15:05 通報 非表示

監督と脚本家の取り入れたい設定や展開、台詞のために、キャラクター達が脚本家の手駒のようになってしまって残念です。

もう少しキャラクターの葛藤や心理描写を丁寧に表現していたら、感情移入しやすかっただろうに。

キャラデザは良かったと思うし、背景もBGMも良かったけど、肝心のストーリー展開がよく分からないもの、テーマがはっきりしないものになれば、一体何を伝えたかったのだろうともやもやしてしまいます。


1230: 2019/07/15 13:53:12 通報 非表示

今作の支持派ではないですが、好意的に考えると「視聴者に様々なことを考えさせることが、この新生どろろのテーマだった」のでは。制作側は「如何様にも取れる物語作りこそが深い」と考えていたのだろうと思う。

実際のところ、深くしようとするあまり詰め込めるだけ詰め込んだ結果、矛盾だらけになってしまい、私には登場人物の皆が皆、本当には何をしたかったのか分かり難い物語になってしまった。

百鬼丸が体を取り戻したかったのには、困っていたり苦しんでいたという描写がないまま、終盤まで「体は自分の物であるという所有権だけ」で貫かれ、人にとって「最大のモチベーションとなり得る喜びの感情」を彼から奪ってしまったストーリー作りは如何なものかと思った。

よくよく視聴していると、百鬼丸は「鬼神が今も俺の体を喰っている」と寿海に発言しているので、17話以降はモチベーションが「鬼神や景光に対する復讐心」に切り替わったことが分かる。だが、このことでなおさら「所有権と復讐心」だけで体を取り戻そうとする百鬼丸自身が自らの体を闘うための「道具」と考えているように見えてしまった(実際に寿海に向かって、戦うために義足が必要だと訴える描写がある)。

このことは鬼神が多宝丸たちに百鬼丸の体を貸し与えたり、縫の方や琵琶丸が百鬼丸が体を取り戻そうとする切実な思いを“「玩具」を取り上げられて泣き叫ぶ幼子"と称したのと呼応するように見えて奇妙だった。

「手があることが良いことであるとは描きたくない、体を取り戻すことで個性が薄れ、特有のアクションが出来なくなる。百鬼丸は感情を表に出さない」という制作側のコンセプト通りに物語が進められたのだが、その原則を終盤まで無理に引っ張ってしまったので、百鬼丸だけではなく、どろろも、縫の方や寿海、琵琶丸も矛盾だらの人物として描かざるを得なくなってしまったのだと思う。

体があることで喜びを感じるし喜びを知るという人にとっては当たり前の感情、知能が備わっている生物なら皆が持っている「好奇心から生まれる喜び」という感情、これを否定してしまったことが、この物語も登場人物達も歪めてしまった大きな要因だと思う。

>>1228
百鬼丸の好奇心が自分には向かなかったことも、物語を難解というか、もったいない方向へ進ませてしまう要因になったと思う。


1231: 2019/07/15 14:19:29 通報 非表示

>>1228
1230ですが、>>1230
は  へ返信モードで送ろうとしたのを誤って通常モードでコメント送信してしまったものです。で、こちらはというと1230の続きも兼ねているコメントです。個人の意見なので回答にはなっていないですが、自分が今作から感じた印象は次の通りです。

「過剰なスキンシップ」というのが、今作の百鬼丸の他者に対する好奇心の表れで寿海から学んだ他者に対する親しみや好意の表現で、人間らしい感情と言えるとは思うけれど…。

(話変わって今作の百鬼丸は自分に対しての好奇心は、ほとんどないので、あまり喜びという感情は出さないようなのですが…)百鬼丸のスキンシップの相手が異性ばかりだったのは、本当のところ女性視聴者に向けてのサービスで、どろろの嫉妬心を煽るというラブコメで物語を盛り上げようというファンサービスだったんだと思う。

私のように、原作の男気のある百鬼丸ファンにはガッカリなアニメでしたが、今作では無垢で何を考えているのか分かりにくいある意味神秘的(?)というか浮世離れした雰囲気を持ち、子どものような幼い百鬼丸という新たなファン層を獲得したかったんでしょうね。

私はあまりバランスを欠いた人物像は好きではないですが、アンバランスな人物像というのが、最近のアニメでは需要が大きいようですね。肉親と知りつつ百鬼丸の体を奪う多宝丸には絶句しましたが、百鬼丸が多宝丸の顔を刻み過ぎなのにも絶句しました。それだけ互いが憎かったということなんでしょうけれど…。戦国時代だという設定であっても、この辺りの倫理観が自分には合わずじまいでした。


1232: 2019/07/15 14:34:29 通報 非表示

>>1229
1231の冒頭で補足したつもりが何故か文字抜けしてしまったので、すみませんが再度補足です。

1230ですが、>>1230
は へ返信モードで送ろうとしたのを誤って通常モードでコメント送信してしまったものです。意見を押しつけたいのでもないですし、返答を求めているのでもないですが、閲覧する際には関連コメントという扱いでお願いします。

  また文字抜けしませんように…  (^^;


1233: 2019/07/21 05:15:50 通報 非表示

多宝丸と縫の方と寿海の3人がみんな死んでしまうラストが、どうしても腑に落ちない。寿海は百鬼丸のもとへ行く途中、行く手を阻まれて身動きできなくなった縫の方に手を貸したのに、多宝丸と共に死ぬという縫の方を止めなかったのは何故? 

寿海が縫の方の手助けをしたのは、自分が百鬼丸に会いたかっただけではなく、縫の方と百鬼丸を引き合わせたかったからではないの? 何故、二人を引き合わせておいて、みすみす再び別れさせるようなことが出来るの? 

死者にばかり目を向けていた寿海は百鬼丸と出会ってからも、心の奥底ではカナメのことを引きずっていたということ? ・・・でも、寿海がいつも思い出すのはカナメではなく百鬼丸のことだった。だったら、寿海は百鬼丸を幸せにするので良いと思う。だから、寿海は全力であの場のみんなを助けるで良かったんだとなおさら思う。

百鬼丸は自分の命を奪おうとした多宝丸に「勝手なことを言うな!!」と言っていたけれど、ここは縫の方と多宝丸に「勝手なことを言うな!!」と言って欲しかった。
そうしたら、みんな我に返って生きようとしたんじゃないだろうか。

寿海には、「菩薩像なんかいらない。おっかちゃんがいてくれれば、おっかちゃんが生きていてくれればそれで良い」って言えば百鬼丸が大好きな寿海は絶対死ななかったし、多宝丸たちを助けたんじゃないだろうか。

今は戦争のない日本だけれど、生きたいのに事件や災害に巻き込まれて死んでしまう人もいる世の中だから、感単に死んでは欲しくなかった。

最期のシーンが最近日本国内であった悲しい事件と重なって見えて余計にそう思う。生きようとすれば生きることが出来たのに、例え物語りの中であっても勝手に天命を定めて死にたいと思うだなんて間違っているよって。


1234: 「つまらない」派2019/07/21 09:01:59 通報 非表示

私には駄目だった。


1235: 2019/07/21 22:14:18 通報 非表示

1話冒頭の「地獄とはこの世のことよ」「日々祈り空しく、いずれ御仏への疑いが生まれるやも、その前に死ぬるは何より…」という上人様と醍醐景光とのやり取りで、この話の時代は私たち現代人の考える綺麗事は通じない、そんな過酷な時代なんだなって思っていました。

でも、最終話辺りでは鬼神にも侍にも頼らず自分たちでやろうとなりました。

ですがそうなると、1話冒頭のやり取りが茶番に見えてしまうんですよね。天災など人の力ではどうにもならないことがあるから鬼神にもすがったのでは。禁忌にも触れてでもどうにかしようとしたのでは。そして、なぜこの話での仏様は百鬼丸は助けてくれるのに、みおやその周りの子供達は助けてくれないんでしょうか。そんな存在だから上人様も失望してしまったんじゃないでしょうか。

「兄貴みたいに自分の手で掴まなきゃ」というどろろの台詞がありますが、正直人間離れした力を持つ百鬼丸を引き合いに出されても、あまり共感できないというか…。

原作での寿海が仕込んだギミックを駆使して戦う百鬼丸を引き合いを出したなら共感できましたが。


1236: 2019/07/23 19:45:32 通報 非表示

各雑誌の記事を読んでの私見です。

監督はPS2のゲーム版「どろろ」のような活劇、

菩薩の加護を受けた「百鬼丸」と鬼神の影響を受けた「多宝丸」というキャラクターの対立で「光と闇の戦い」を描きたいと考え、

脚本家の方は「浄瑠璃・百鬼丸」のような家族の相克や恋愛模様が描きたかったということなのでしょうか、

結果として、今回の新アニメは「百鬼丸」の成長をみんなが阻むという構造になりました。

「どろろ」でさえ「身体(自分自身)を取り戻さなくて良い、私が側にいるから」と阻みます。

この「どろろ」が望んでいるのは「百鬼丸」との共依存関係です。

蛇足ですが、原作の二人は自立しています。

それでも「百鬼丸」は自身を取り戻すのですが(親の呪いからの解放)、

「多宝丸」は呪いから解放されません。

母とともに「燃える城の部屋で」という状況は「エディプスコンプレックス」的に見え、

「母は菩薩系で鬼神の加護を受けた多宝丸とは合わなかった」そうなので、

彼もまた「親の呪いに苦しむ子供」です。

生き延びることができた「百鬼丸」と、

生存することができなかった「多宝丸」

と、捉えることができると考えたのですが、

「百鬼丸は、二人の母を助けることができず、トラウマに…」といわれると、

母たちは死ぬことで「さらなる呪いを子供にかけている」気がします。

山岸涼子先生の「スフィンクス」のように、

やはり、いびつな構造の話であると思います。

後に彼が旅に出るのは、再度呪われ罪悪感に苛まれたためか、と思うほどですが、

脱出時に「百鬼丸」は「どろろ、きれいだ…」と呑気に言うのです。

感情の乖離があるとしても無理があるのでは…、と感じてしまいます。

脚本・構成の粗を感じます。


1237: 2019/07/29 12:55:33 通報 非表示

23話ラスト どろろのセリフから
「もう目ん玉でも手でも足でも鬼神にくれてやれ! 欲しけりゃおいらが、目になってやる! 手足になってやる! だから鬼になっちゃ駄目だ!! 死んじゃ駄目だ兄貴!!」
…これが受け入れられれば、このアニメが好きになれるのかもね。

体よりも命が大切だと。「命あっての物種」だと。だったら、何故、アニメではミオにあんな無茶させたんだろうね。敵陣で春を売る仕事を掛け持ちって、それが禍の種となってみんな全滅って、これじゃミオがパンドラみたいだ。

命あっての物種なのに種籾だけが残ったって、シャレにならないよ。ミオに不幸の種を運んで、それで希望が残って、その象徴がが種籾? 「種籾よりも命の方が大切だよ! 」 これじゃパンドラの箱よりも希望がない。最終回で稲穂が揺れても全く納得できないよ。

改変を加えてよりドラマチックにということなんだろうけど、これじゃミオだけじゃなくて「みお」も救われない。(※みおは原作ではミオ。はっきりしないが仕事は同じだったような描写はある。でも死因は別。敵陣で掛け持ちという描写は一切ない。)

ハーメルンの笛吹だって、病気のお母さんがいる子は助けてくれた。孤児の誰か一人でも、ミオの種籾を預かったまま、種籾を更に受け取るためにお使いに行ってとかで助かったとかなら、アニメ版のミオのラストを受け入れられたかもしれない。ここまで話を変えるなら、制作側には、あんな侍じゃなくて “孤児たちの誰か一人だけでも良いので「命」そのものを助けて欲しかったよ。”

それと、どろろ。百鬼丸は、ただ感じていただけで一度も本当の目で世界を見たことがないんだよ。やっと両足で大地を踏みしめることが出来るようになって、やっと本当の両腕を取り戻したのに。

そもそも、自分の不注意で体を失ったんじゃないし、病気で失ったのでもないのに、何故、諦めさせようとするのか。脚本が本当に適当すぎると思う。脚本家さんも、こんなことを血を分けた肉親や親友に言えるわけないと思う。そもそも、登場人物達に対して愛情がなさ過ぎる。

どうせ言うなら、
「ここまで来たんだ。全てを取り戻せよ兄貴! これでやっと兄貴は本当の自分を取り戻せるんだ。だから鬼になんかなるなよ。人の心は絶対に失わないでくれよ」で良いじゃないかと。


1238: 2019/07/29 12:58:08 通報 非表示

>>1237
1237の続き。
それにね、百鬼丸たちはミオとタケの墓を作って弔っていたけど、お墓が二つしかないのもあんまりだと思ったよ。死んだのは二人だけじゃないのに。そもそも、他の子たちはタケ以上に何も知らなかったから、あの子たちは何も知らず、墓さえも作ってもらえないのかと、本当に登場人物たちに愛情がないアニメだなとつくづく思った。

監督が同じなのでよく引き合いに出される “るろうに剣心 追憶編” では、まだ「心太」と名乗っていた幼い剣心が、亡くなったみんなのためにお墓を作っていたというのに。

最終回でも、寿海たちの墓も墓参りのシーンもないしね。
結局、寿海たちの扱いもモブ扱いになってしまった孤児たちと変わらないのだなと、制作側の冷たさを感じるアニメだった。


1239: 「つまらない」派2019/07/30 00:31:38 通報 非表示

原作ファンで、たまたまAmazonで試しに観てみましたが、観るに耐えない。


1240: 「つまらない」派 2019/07/31 00:23:24 通報 非表示

>>1222
確かに‼️


1241: 「おもしろい」派2019/07/31 07:23:52 通報 非表示

原作が漫画の神様 作ってる人達も凄腕の人達 男にも女にも受けるキャラデザ 毎話毎話心に伝わるものがある 良いアニメだと思う


1242: 「おもしろい」派 2019/08/03 01:15:31 通報 非表示

このレベルのアニメは10年は出てこないだろうな。話の展開や演出ともに高かった。アジカンは除く


1243: 「おもしろい」派 2019/08/03 01:43:49 通報 非表示

>>1238
アニメなんてそうやすやす作れるもんでもないのに冷たいとかよくかけるわ。お前の文句タラタラの文より遥かに時間と金かけてるのにな。じゃあお前が脚本書いてアニメ化しでもしてろよ


1244: 2019/08/03 14:25:23 通報 非表示

酔っぱらいみたいに他人に絡まないで、作品についてコメントを書けば良いと思うし、他人が書いたコメントを読み込む能力がないなら、他人に向けてコメントはしなければ良い。

>アニメなんてそうやすやす作れるもんでもないのに冷たいとかよくかけるわ。

もとのコメントは、「例えアニメであっても人の死をやすやすと書いてくれるな」という視点で書いていても「“アニメはやすやすと作れるものだ”なんてどこにも書いていない」。勝手に解釈をねじ曲げないように。

人の死を扱ったアニメで、百鬼丸が人になっていく物語である以上は親しい人たちの死を悼み弔うシーンは重要だと思ったから、「ミオとタケだけは特別扱いで、同じように家族のように過ごした孤児たちや養父と肉親の弔いのシーンとでは格差があるのが不自然だ」、このアニメで、そこを軽く扱ってしまった理由は、とどのつまり「制作側に亡くなった孤児や寿海たちに対する愛情が薄かったからじゃないのか」と感じたことを書いている。

百鬼丸にとって、それらの人々との出会いが大切なことで大切な人たちだと制作側が考えていたのなら、ミオとタケだけに留まらず、同じ監督作品の“るろうに剣心 追憶編”の心太が皆を弔ったように、このアニメでも弔いのシーンは流さずに丁寧に書けたはずだと感想を述べた。何も根拠なく書いているのではなく、あなたみたいに唯ケチをつけたいだけで書いているのとは違う。ここをもう少し丁寧に書けばより良くなったのにという思いで書いている。

もとの内容にそぐわない1243のコメントをした1243のコメント主自身に「アニメはやすやすと作れる」という意識があるのだろう。その現れが、「じゃあお前が脚本書いてアニメ化しでもしてろよ」という捨て台詞だと思う。

>お前の文句タラタラの文より遥かに時間と金かけてるのにな。

ここはコメントを書くところなんだから、アニメ制作現場と比べることが無意味。アニメのここが良かったとか、ここをもっと掘り下げて欲しかったという意見を書くところだろ。

既出コメントに1243の人にピッタリのコメントがある。>>868
 868 のコメントをしっかり読むことを勧める。


1245: 「おもしろい」派2019/08/04 13:43:36 通報 非表示

絵がきれいでびっくり


1246: 「おもしろい」派 2019/08/07 13:56:11 通報 非表示

原作も好き、アニメも好き。原作は、打ちきりになってしまったけど、やっぱり面白かった


1247: 「おもしろい」派2019/08/07 22:51:11 通報 非表示

最終話で初めて作品のメッセージを読み取ることができました。


1248: 「つまらない」派 2019/08/08 01:49:01 通報 非表示

1話から見ていたが、最終話だけ見ていないw
見る価値も意味もない、ウソどろろを見なくて良くなる喜びで一杯だったヨwwww

ツインエンジンだか何だか知らんが、何で燃やされへんねん。。
俺のどろろを無茶苦茶した事、許さんからな!!!!!


1249: 「おもしろい」派2019/08/10 07:04:02 通報 非表示

つまらない要素がない


1250: 2019/08/21 22:03:09 通報 非表示

鬼神っていったい何だったんだろうという謎が、特に説明もないまま終わってしまった印象です。

多宝丸を生かすなら、彼にその謎を解く役をやらせても良かったんじゃないかな。せっかくばんもんの巻から生かしたのに、父親の代理人みたいな役にしたのはもったいないなと思いました。

べたかもしれませんが、ラスボスは父親の景光か最後の鬼神で良かったのでは。

監督と脚本家の方は、王道の展開が好きではないからやらなかったのか、描くのが苦手だからやらなかったのか。

今作の景光から、あの荒んだ室町時代を生きる領主としての凄みをあまり感じられなかったのが残念です。国のことは鬼神任せ、生け贄にした百鬼丸の始末も産婆さん任せ、多宝丸任せ。それで、鬼神の加護を失い地獄堂に来た百鬼丸に文句を言う。これじゃ、二人の息子の父親としても、領主としても、武将としてもどうかと思う人だし、ただの情けないおじさんにしか見えない。

武将にとって家の存続は重要だったはずで、そう考えると跡継ぎの多宝丸が百鬼丸討伐に向かい、それを両親も従者も誰も止めない状況はおかしいと思うのですが。兄弟対決させたい脚本家の都合でしょうか。それにしてももう少し自然な流れでできないのかなと思いました。


1251: 「つまらない」派2019/08/22 23:26:00 通報 非表示

原作嫌いな人が作った感じ


1252: 「おもしろい」派 2019/08/24 15:50:52 通報 非表示

予想以上に面白かったです。戦闘シーンも見ごたえがありますが、登場人物のそれぞれの人間臭さもストーリーに深みを加えます。


1253: 2019/08/26 14:46:48 通報 非表示

>>1250
鬼神が何だったのか本当に謎ですね。“今作”の鬼神についてはウィキペディアに簡単に説明が載っていて、“鬼神”で辞書検索すれば、なんとなく分かる気がするし、最終話の醍醐景光の言動から推測することも可能ですが、どうやって彼らが誕生したのか、人を喰い、かどわかす以外に何か目的はあるのかということに触れた物語をもっと観たかったです。

通常のあやかしがベルセルクの使徒ならば、鬼神はゴットハンドにあたるのだろうか?と思ったりもしますが、今作の鬼神は人と直接遣り取りしたり人語を操り語り掛けてくるというストレートな表現を殆ど取らないので、人を装い直接人と遣り取りしていた「万代」や鯖目の奥方であった「まいまいおんば」 のような鬼神に、もっと登場して欲しかったです。

鬼神は何も語らず人を喰って暴れるだけのものが多かったので、ヒグマやライオンのような野獣と対して変わらず、その点が個人的にもの足りませんでした。“もののけ”を扱った物語の醍醐味の一つとして、人に化身し見た者を魅了させるということがあると思うので、まいまいおんばが美しい女性に化身した姿が殆ど描かれず、蛾の化け物の姿ばかりで描かれていたのも残念です。

(アニメの方では美しい奥方のシーンが僅かしかなかったので、それならば蛾に単純なモンスターの顔が貼り付いているような姿ではなく、『クレイモア』の妖魔のように恐ろしい姿でありながら美しく妖艶な姿で登場させていたら、鬼神の存在がもっと魅力的になったと思います。今作ではあやかしの描き方が単調だったので変化が欲しかったです。)

原作の「四化入道」や「どんぶりばら」は、それぞれが物の怪、魔神といった存在でしたが、どのように彼らが あやかしへと変化したのかを百鬼丸や背景を知る者、当事者である あやかしの言動から読者にも分かるようにストーリーが組み立てられていました。そういう工夫が今作にもあれば物語の魅力が増したと思います。

今作では寿海が あやかしについて推測を述べていて、前述の景光のラストからも鬼神について推測することも可能ですが、鬼神へ至ったものたちの物語が作中にもっとあれば分かり易かったし、百鬼丸が原作のように謎解きをしないなら仰るように多宝丸がするのも一興だったと思います。個々の役割や存在意義が丁寧に描かれていたら、唐突さや不自然さを感じさせ難い物語に仕上がったと思います。


1254: 2019/08/28 00:09:37 通報 非表示

>>1253
鬼神は神様、災いをもたらすけど、同時に恵みをもたらしてくれる存在、その土地を守る守護神でもあり、祟り神でもあるのでしょうかね。

この話でお寺やお坊さん、尼さん、お地蔵さんは出てきても、神社や神主さん、巫女さんは出てきてないなと思いましたので。

鬼神と仏の対立も神道と仏教の宗教戦争みたいに見えますね。

これから辿る史実では、百年後くらいに第六天魔王を名乗る信長にひどい弾圧を受けてしまうので、(信長は神道の家系らしいですし)なんとも言えませんが。

まいまいおんばは、人形態が妖しくも可愛いキャラデザだったので、あの姿でもっと出番や台詞が見たかったです。本当にもったいないと思います。

原作は分かりやすく物語が作られていますね。少年漫画で、子供達に読んで欲しくて描いたこともあって、テーマも伝えたいこともストレートで分かりやすいです。

今作は監督と脚本家の方の趣味が入りすぎて、物語がややこしく、分かりにくくなった印象を受けました。

アニメが終わってからもこうやって書きんでしまうのは、それだけ今作に期待があったからなんだなと自覚してしまいます。

次またどろろ がリメイクされるなら、原作のテーマをしっかりなぞった上で作って欲しいし、百鬼丸とどろろだけでも性格は変えて欲しくないなと思います。あと、そろそろ原作でも名前だけしか出てこない富樫政親を出して欲しいです。


1255: 2019/09/02 18:03:04 通報 非表示

>>1254
鬼神は “土地神” としての顔も持っていたようですね。
原作の「万代」とか「どんぶりばら」、雑誌掲載時の「まいまいおんば」も、その土地に根付いた精霊といった印象があるので流れとして納得できます。

鬼神の誕生の仕方や目的は原作の「四化入道」や「万代」と大差ないと想像していますが、「四化入道」との大きな違いは鬼神が人間との取引に長けていて念が強く、長い歳月を掛けて存続し続けたことかと。他には、百鬼丸のように生まれながらにして霊力の強い人間を多く喰らった者が今作のような鬼神になったのかなと。

歴史と伝奇ロマンを融合させた物語を期待していたので、鬼神の謎も性格も取り入れた魅力的な物語を見たかったです。もとが亀や狐だったとしても、幾百年と齢を重ね人を喰ってきたのなら、獣とも人ともまた違う「性格」や「志」とか、「アイデンティティと」呼べるようなものを見たかったですね。

アニメ制作背景は殆ど知りませんが、最期の鬼神像の雰囲気や、縫の方が息子たちに向ける執着心が、なんとなく永井豪先生の『手天童子』の影響を受けている気がしましたし、作中の表現もところどころ『デビルマン』っぽく見えました。

鬼神の力を借りているとはいうものの、多宝丸たちが百鬼丸の手足を奪って自分たちのものとして補ったり、「鵺の巻」では喰われたはずが体全部を鬼神に取り込まれて蘇った 賽の目の三郎太なんかは、まんま『デビルマン』やその前身の『魔王ダンテ』みたいです。

他には、人間とあやかしの心の触れあいを描いたアニオリ回の「絡新婦の巻」は緑川ゆき先生の『夏目友人帳』みたいだし、犬の毛皮を被った少年が登場する「さるの巻」と刀鍛冶の娘おこわが登場する「天の邪鬼の巻」は高橋留美子先生の『犬夜叉』みたいな雰囲気です。

アニオリ回や終盤は他作品から逆輸入したようなつくりが多く、参考にしたという手塚先生の『火の鳥 鳳凰編』ですが、主要キャラクターが仏像を彫り、業を背負っているということ、最期に炎に焼かれて落命すること、そのぐらいしか共通点が思い浮かびません。何れにしろ原作の持ち味が生かし切れていない様に感じます。

原作を引き継いで再構築するのならば、逆輸入を感じさせない独創的な作品を望みます。原作旧版や雑誌掲載時のもの、神道、仏教、日本史、民俗学から磨きを掛けて作り上げていただけたのなら、幅広く楽しめそうですね。


1256: 「おもしろい」派 2019/09/03 01:10:19 通報 非表示

結論、ここにいる老害は全員ゴミ

池袋で何人もひき殺したクソジジイの老害といっしょ

昔のどろろの思い出と共に、墓場に行ってくれ

クソジジイ、クソババアども

老害が大嫌いだ。本当に嫌いだ

お前らの時間は昔のまま止まってるんだよ

はっきり言って昔のどろろは面白くない

ここのバカは批判だらけだ


1257: 「おもしろい」派 2019/09/03 01:22:16 通報 非表示

>>1256
俺がコメントをしたのは超久しぶりだ

誰が誰だかなんて区別は出来ないだろうが

面白かったし、面白くないと思った事が無い

どんだけ、どろろと原作者バカにしてんだ老害ども!

コメントしてる暇があったら墓場にでも行けよ

お前らの時代は終わったんだよ


1258: 2019/09/04 20:14:27 通報 非表示

>>1257
あなたの正体は、ここで「老害連呼野郎」とあだ名され、1056では謝罪文らしきことを書いていた人でしょう。 >>1056
“このユーザーのコメを全て非表示(このトピ内)” をクリックすれば、あなたのコメントは全部表示されなくなるので、あなたが どのコメントを書いたのかは、誰でも即時に判断できますよ。

しかし、過去コメもホント「老害連呼」だし「洗脳」だとか、被害妄想甚だしい。別に、ここにコメントを寄せている人は、コメを読んだ人を洗脳しようとしているのでも、このアニメが好きな人がおかしいと言っているのでもないのに、何故、あなたはここで罵詈雑言を吐きまくるのかな?

あなたのは、唯単に自分と価値観が合わない人たちが嫌いで年配者が嫌いだから、勝手に結びつけて、ここで八つ当たりをしているようにしか見えない。そもそも原作ファンが皆、老人という発想がおかしい。

原作は今なお販売され続けているし、旧版や雑誌掲載時の情報は、今のネット社会なら、リアルタイムで作品を読むことが出来なかった人にだって、簡単に情報を得ることができる。そういうことを考慮することなく、原作ファンは一括りに害悪だと結論づけるあなたの頭の方が余程さび付いてて、迷惑ですよ。

過去作品が良かったとか、過去作品の良さを生かして欲しいと思うことのどこが老害なんでしょう? せいぜいが「懐古主義」とか「原点回帰主義」でしょう。まだ「懐古厨」という言葉の方が余程暖かみがあって、人間らしい。

だけど、あなたの書くことと言ったら、他人のことを勝手に犯罪者扱いしたり、原作ファンが原作『どろろ』以外、なにも関心を持たず、新しい作品群には一切興味も感心も示さないかのように、“昔のどろろの思い出と共に、墓場に行ってくれ”とか決めつけが酷く、人として問題大ありですよ。

“どんだけ、どろろと原作者バカにしてんだ老害ども!”って、それは正しくあなた!

一番、原作者をバカにしているのも、あなた。現に1256で 
>>1256
 “はっきり言って昔のどろろは面白くない”と発言していますからね。あなたの論法でいくと、あなた自身が「“どんだけ、どろろと原作者バカにしている”という定義にピッタリ当てはまる。」 
自分が言ったことの意味も、他人に配慮することも出来ない、そんなあなたは紛れもなく、あなたが言う「老害」ですね。


1259: 2019/09/06 12:43:39 通報 非表示

障害のある方が『僕が百鬼丸の戦いに気持ちをひかれるのは、生まれてすぐ捨てられ、「生きることを否定された」彼が一生懸命自分自身の「生」をその手に取り戻そうとする、その姿なのです』
と、書いておられるのを読んだことがあります。
この「どろろ」という作品は、虐げられ、生きることを否定された主人公たちが、
「ふざけんな、おいらぁ人間だ」「生きていたい」と抗う物語だと思います。

今までも、小説、ゲームブック、ゲーム、映画、舞台、人形劇… と多くのリメイク作品があり、「魍魎戦記マダラ」をはじめ、原案・翻案されたものに至っては数えきれません。
…ですが、
映画のキャッチコピーは「必死に生きて何が悪い」、ゲームは「俺を返せ」
と、「生」「尊厳」を取り戻そうと足掻こうとする二人を表現しており、各作品ともテーマを大きく逸脱していることは無かった様に思います。

なので、余計に今回の新アニメの「人か鬼か」には違和感を覚えます。
必死に「人であろうとしている」主人公たちに「生きるために抗い、奪われたものを取り戻そうとするとお前は鬼になる」と同調圧力をかけてくるのは、やはり頂けません。
最後まで、このテーマのぶれがこの新アニメの作劇に影響を及ぼして、いろいろと中途半端であったなと残念に思います。


1260: 1260コメさん 「つまらない」派 2019/09/06 19:15:01 通報 非表示

>>1259
>必死に「人であろうとしている」主人公たちに「生きるために抗い、奪われたものを取り戻そうとするとお前は鬼になる」と同調圧力をかけてくるのは、やはり頂けません。

つまり“ダブルバインド”ってやつですよね。

【“ダブルバインド”は日本語で『二重拘束』を意味している。二つの矛盾する命令を同時に与えることで、命令された側がジレンマを抱え、強いストレス状態に陥るコミュニケーション方法をダブルバインド・コミュニケーションという。ダブルバインド・コミュニケーションは『どちらを選択しても不都合が生じ、逃げることが許されない』という状況に混乱し、強いストレスを感じさせる。】…という。

分かりやすい例が、どろろのこれ。
「もう目ん玉でも、手でも足でも鬼神にくれてやれ。欲しけりゃおいらが目になってやる。手足になってやる。だから、鬼になっちゃ駄目だ、死んじゃ駄目だ、兄貴!!」

命を取ろうと全力で向かってくる相手に、どうしろというのか。戦わねば百鬼丸死ぬし、戦いを避け続けても結局、最後には残った頭を鬼神に取られて、百鬼丸は絶命してしまう。作中では鬼神と戦える人物は、他には琵琶丸ぐらいしかいなかったし、その琵琶丸だって百鬼丸と組んで戦っても、仕留め損ねていたし…。

どろろの考えは唯の綺麗事で、盲目で胴体だけで生きていく自分を想像したら、とても言えないセリフで、あまりにも酷というもの。

寿海、縫の方、琵琶丸、どろろ、今作の登場人物たちは、ダブルバインド・コミュニケーションで百鬼丸を振り回してた。体を取り戻す方法は鬼神を倒すことしかないのに、それは国を乱すことになると言い、体とは単なる道具であり、他に幾らでも替えがあるかのように主張していた彼ら。

そして、村の青年までもが、「百鬼丸を再び生贄に差し出せば、醍醐の国の乱れは治まる」と言い出す。こんなの誰が納得できるのか。そんな人物ばかりが登場する物語に共感、共鳴できるのかと、ガッカリな展開が多過ぎた。

『どろろ』の原作には百鬼丸とどろろが迫害されるシーンは確かにあったけれど、こんな薄情者で他力本願な人たちばかりじゃなかった。人間は誰もが醜く、エゴイストでドロドロですよー、なんて話しじゃなく、影ばかりじゃなく光も希望も描かれていたのに…。影に力を注げばリアルってもんじゃないし、今作はエンタとしてもバランスに欠いていた。


1261: 1261コメさん 「つまらない」派 2019/09/06 19:19:34 通報 非表示

>>1
片仮名


1262: 1260コメさん 「つまらない」派 2019/09/06 19:32:13 通報 非表示

>>1259
1260ですが再度失礼します。 >>1260
の続きです。
作中で“ダブルバインド”を生じさせる発端を作った醍醐景光。今作の醍醐景光は複雑な思考を持っていて、自ら嫡男 百鬼丸を鬼神に生贄に差し出しておきながら、出世欲に駆られた暴君として描かれていた原作とは違い、領民思いの名君、善人として描かれていた。

けれど、彼の振りかざす自己犠牲とは、本当には自らは犠牲を払わない“他者任せの自己犠牲”。だから、ここでも大きな矛盾がある。けれども、この物語では矛盾を一切無視して、あたかも正しいことであるかのように、終盤まで押し進めてしまった。だから真剣に見続けると、こちらも“ダブルバインド”にさらされてストレスが溜まってしまう。

作中に盛り込まれた“ダブルバインド”に付き合わされるようにして、物語はどんどんややこしく、景光に感化されたような支離滅裂な言動をとる登場人物ばかりになってしまったんだと思う。不幸の元凶を作った男を善人で通すには無理があった。

こちらの景光の初志が違うのだとしても、景光が段々と暴君になっていった方が物語として破綻がなかったし、いきりまくるだけの凡庸でつまらない人物に収まらず、もっと存在感ある、「人間 百鬼丸」と対極を成す「巨悪」として描かれていた方が見応えがあったなと思います。

「人か鬼か」は、ホントいらない。
“ダブルバインド”と「人か鬼か」の相乗効果で、百鬼丸の人物像も、他の人物像も大きくぶれまくり、物語が混沌としてしまった。

百鬼丸に「人か鬼か」設定つけた段階で、もうこれは別物。
ここまで変えてしまうんだったら、寧ろ鬼に近かった百鬼丸が、人々と出会うことで人間になっていく物語だった方が違和感が少なかったし、感動できたかもしれない。

でも、これは人に近かった百鬼丸が鬼になって人に戻る話で、寿海たち3人も、自分たちの誰も生かそうとはせず、生き抜こうともせずに死んでしまう。
その為、「人が人として生き抜く」という原作に盛り込まれていたテーマが大きく損なわれてしまっている。
どう考えても、このアニメは、もとのテーマからは大きく外れてしまっていると思いますね。


1263: 1263コメさん 2019/09/06 21:17:34 通報 非表示

原作を読んで今作を観ると、おそらく鬼神は土地神で、「どんぶりばら」や「万代」のような事情で誕生したんだろうな、とある程度納得できそうに思えるのですが、一番の謎が百鬼丸が多くの人を殺めると鬼神になってしまうということ。そして、それをやたらと、どろろが口にすること。…よく覚えていませんが、最初に、それを言ったのは琵琶丸だったのかな? だから、どろろは心配しているのかな。

人を多く殺めると鬼神になるのなら、武士や兵士たちは鬼神になってしまうと思うのですが、そうはならないのは、彼らには、百鬼丸のように鬼神の残り火だか、鬼火が魂に混じっていないから?

鬼神は人に祟りをなすのだから、怨霊の一種であることは間違いなさそうですが、じゃあ、生きたまま鬼神になるものがいるのか?ってことが、謎なんです。原作には、そんな人物は登場しなかったので。
原作だと、万代はあやかしとして千年は、とある谷に棲み着いていたので、生き霊だなんてことはないですし・・・。

アニメの方で、琵琶丸がもとは武士だったという設定はあっても構わないけれど、それなら琵琶丸がまだ武士だった頃、生きながらにして鬼神になった人物に遭遇したことがあったとか、実際に戦ったとか、琵琶丸自身が鬼神になりかけたとか、何か琵琶丸やどろろの言う、人を多く殺めると鬼神になるということをリアルに感じさせてくれる物語を、百鬼丸以外のキャラクターで見せて欲しかったと思います。


1264: 1264コメさん 2019/09/08 01:55:11 通報 非表示

>>1256
>>1257
おもしろいか、おもしろくないか投票する形式なんだから、おもしろくないと思った人が、その理由を書けば当然、批判的になるのは仕方ない。

そんなにここが嫌なら、自分でトピックス立てて、
「現代版アニメどろろが好きな人、一緒に語り合いましょう!」
とでもして、雑談チャットに投稿すればいいじゃん。

それか、他に自分に合いそうなサイトを探すとか。
読むとストレスなら、他をあたればいい。
それだけの話。


1265: 1224コメさん 2019/09/08 17:57:45 通報 非表示

今作では、原作になかった「人か鬼か」とか百鬼丸の犠牲で醍醐の国が成り立っているという設定が付け加えてありますが、制作者側もこの設定を持て余していたように見えてしまいます。

百鬼丸が鬼神になってしまうと言われるのも、話の中でどういった仕組みでそうなるのか、どうしたら百鬼丸の魂から赤い鬼神の残り火がなくなるのか詳しい説明も描写もないからもやもやします。終盤で明らかになるかと思えばならないですし。

結局最終回で、百鬼丸の魂から赤いものは消えたのでしょうか?

それに、醍醐とは関係のないどろろ 、寿海、琵琶丸までも百鬼丸が身体を取り戻そうとするのを止めようとするのは流石に不自然です。

設定をうまく扱えないなら、はじめからやらない方が良かったんじゃないかなと思います。


1266: 1266コメさん 2019/09/08 19:00:44 通報 非表示

>>1248
最終話だけ観ないワケとは何なのか。観る価値も意味もないのを、ムダに惰性で観続けた自分への言い訳なのか。

出来の悪いアニメだったとは思うが、燃やせなんていう狂人じみた発言のほうこそ許せんよ。


1267: 1267コメさん 2019/09/09 09:51:57 通報 非表示

ひとつの作品をテキストと考えた時、その読み解き方や感想は人それぞれあって、

いろんな解釈・感想が出てくるのは良いことだと思います。

とはいえ、今回のテーマ「人か鬼か」は「どろろ」という作品とは相性が悪かったと思います。

そして、そのテーマから派生した「どろろ」の台詞も頂けません。

二人が戦っている「戦国の世の中」で第三者である村人や侍、あるいは「敵対者」として描かれる景光、妖怪が「国のために生贄になってくれ」「身体を取り戻して人並みに生きようなどと思うな」

と百鬼丸に言うのであれば理解できるんですが、

一見優しく聞こえても「おいらが側にいるから~」は、「どろろ」というキャラクターには違和感がある台詞だと感じます。

「どろろ」は浮浪児で虐げられており、人間以下の存在として原作では描かれています。

彼女もまた「人並みに生きよう」とすることを阻まれているキャラクターです。

その彼女が「身体を取り戻さなくて良い」と言うのは如何なものか、

原作のどろろは「人並みにならなくても良い(自立しなくても良い)私が側にいるから」

と、共依存を望むような台詞を言うキャラクターではありません。

おっかちゃんが恋しい寂しがりな性格ですが、自立したキャラクターであり、それが彼女の魅力だと思っているので、

テーマの不調和が主人公の一人である彼女の性格を別のものにしてしまい「どろろ」ではない別の作品に仕上がっていると思います。


1268: 1267コメさん 2019/09/09 09:52:56 通報 非表示

「妖怪に奪われた生身の体を一つ一つ取り戻す、という「どろろ」のストーリーの骨子を流用してファミコン漫画のシナリオを書いたら単行本が250万部も売れた。

(中略)

「どろろ」のリメイクを試みている、他にも同じことを考えている漫画家を何人か知っている。

しかし、僕のファミコン漫画を含めて「どろろ」は越えられない、

複製は複製でしかない。

オリジナルとしての手塚治虫に及びようがないことを引用者である僕は知っている。」

上記の大塚英志氏の言葉をこの新アニメは証明しただけだったなと思います。


1269: 1269コメさん 2019/09/09 16:48:24 通報 非表示

>>1267
タイトルには一切『どろろ』を含まず、登場人物みんなの名前が違うなら、このままでもそんなにモヤモヤせずに、百鬼丸の身体上の設定が好きなアニメスタッフが「自分たちなら『どろろ』をこんな風にアレンジしますよ! こんな風に描いてみたかったんだ!」と思いながら制作したんだろうなと、諦めがついたと思います。

だけど、これは…なんなんですかね?
クリエイターならば、例え原作者が故人であっても、作者が描いた世界観と人物像は尊重するものと思います。だけどこの作品にはそれがない。
前期のOPとED、物語序盤には、原作と原作者へのリスペクトが感じられましたが回を追うごと薄れて、物語が失速したのは、やはり制作者側が「人か鬼か」を上手く作品として昇華できなかったからだと思います。

「人か鬼か」に拘った所為で物語後半では、多宝丸とその腹心はまだ分かるとしても、果ては縫の方、寿海、どろろまで、人のふりをした鬼みたいな言動をとる、わけのわからないキャラクターになってしまいました。

主人公が正義と悪の境界にいるという流行だか趣味に乗っかって、よし「人か鬼か」だ! 鬼畜、外道、生存競争、情念、これこそが『どろろ』の世界だ!! 百鬼丸からは何でも奪って不幸にしておけば『どろろ』になるだろう!!
・・・そんなノリで作られたようにしか思えません。

因果応報を意識して制作されたと言うけれど、寿海たちにしたって、無理矢理死なせただけにしか見えません。百鬼丸に情けを掛けられ、生き延びた多宝丸が急に重体化したのも、わけが分かりません。
因果応報なら景光が受けるべきなのに、体中から血を流してはいるものの、百鬼丸には「人として生きろ!」と菩薩像を渡されて、生きているのか死んだんだか分からないラストだったし・・・。何がしたかったのか分かりません。

テーマそのものを大きく変えてしまうのなら、タイトルに『どろろ』を入れる必要性は全く感じませんね。
原作を超えられないなら、アニメでは原作のテーマをしっかり読み取って、原作では途切れ途切れになってしまった場面の繋がりを良くして、原作のラストの続きを描くことに専念して、作品を世に送り出していただきたかったです。


1270: 1270コメさん 2019/09/10 20:33:53 通報 非表示

>>1242
アクションの迫力は、進撃の巨人やヴィンランド・サガなどとは比べようもないほどしょぼく、物語としても、攻殻機動隊やPSYCHO-PASSやまどマギのような深みは無い。放送が終わればすぐさま忘れ去られるアニメの一つに過ぎないよ。始まった当初はよかったし、期待もしていただけに、失望。


1271: 1270コメさん 2019/09/10 20:40:52 通報 非表示

>>1257
超久しぶりで見に来たら、いったん反省文を書いていた奴がまた、判で押したように同じ下劣なコメントをしていて笑える。突然反省していたのには違和感あったからな。その時々の感情だけで生きている動物的な奴なんだろう。暴力的な発言をして他人を罵るだけで、このアニメのどこが優れているのか語る言葉なんて一つも無いんだから。こんな頭悪くて下品な男が褒めているアニメなんて、やはりロクなもんじゃないんだと思える。


1272: 1270コメさん 2019/09/10 20:47:05 通報 非表示

>>1270
攻殻もPSYCHOも、冲方がかかわった期は微妙ではある・・・


1273: 1273コメさん 「おもしろい」派 2019/09/11 01:18:09 通報 非表示

昔のどろろのアニメのイメージが頭にあって、百鬼丸が前半ほとんど存在感なく、どろろがでしゃざりでウザくて、このアニメ失敗だなーって思ってたけど、よーく考えたら、タイトルどろろだし、今回はどろろ視点で作ってるのかな?て思って見方切り替えたら面白くなった!


1274: 1274コメさん 2019/09/13 09:08:09 通報 非表示

ゲーム版「どろろ」も、百鬼丸が光の子だった為、魔物に狙われ、魔物はその父である醍醐景光を誑かし、良き領主であった景光は国を良くするならと我が子を差し出し……

という設定でした。

ただ、ゲームは徹底的に「ヒーローズ・ジャーニー(貴種流離譚)」として成立させようとしているので、今作のような違和感はありません。ややネタバレになりますが、ゲームの最後はドラゴンを倒して姫の獲得で、王道のヒーローズ・ジャーニーです。

ゲームであり、北米版のリリースも予定されていた為、いろいろ制限がある中での改変と思いますが、その思い切りの良さで、この改変は成功した様に思います。

今回の新アニメは「醍醐家の御家騒動」「百鬼丸の成長」「ヒーローズ・ジャーニー」と、多くのストーリーラインがある様に見え、煩雑な印象は拭えません。結果、どのラインも中途半端に終わってしまいました。

「どろろ」として考えなければ、ひどいところもあるが、そこそこ良いところもある「凡作」という印象です。


1275: 1274コメさん 2019/09/13 09:09:25 通報 非表示

過去の名作のリメイクなので、いろいろ「よくばりセット」になったのでしょうか?

今作の百鬼丸が特別な子なので鬼神が狙った、という設定も余分だったなと思います。


1276: 1276コメさん 2019/09/13 11:27:12 通報 非表示

>>1275
いろいろ「よくばりセット」、それずーーーーっと思っていました。>>1274
を拝見するまでゲーム版どろろの詳細は知りませんでしたが、今作は過去の原作者以外の漫画作品やアニメからの引用ネタみたいなのが多いなぁと感じていました。以前どなたかのコメントに、今作は “浄瑠璃 百鬼丸” の翻案ではないかという指摘があり類似点を挙げてらしたので、なるほど!と思っていたのですが再び、こちらでも ふむふむ・・・と。

全く他作品から影響なく創作するなんてことは出来ないと思いますし、どこか似てしまうのは仕方ないことだとは思います。しかし、面白そうなネタをどんどんつぎこめば大風呂敷になって畳めなくなって、突然メインキャラクターが死んでしまったり、主人公がふらりと旅に出てしまう…というのは昔から良くあるパターンなんで、このアニメもそのパターンだったなぁと思います。

原作でも百鬼丸はどろろを残して去ってしまうけれど、女の子であると知っている以上は、どろろを危険な旅に連れ歩けないことや、どろろには女性として幸せになって欲しいこと、父親の意志を引き継いで、農民として権力と戦い抜け(これは恐らく、どろろの母 お自夜の願いでもあったはず)と、メッセージを残して去っていきます。打ち切り同然だったというのは原作者が認めていますが、それでも物語を通して読めば、作者が描きたかったテーマは伝わって来るように思えました。

琵琶法師が以前、百鬼丸に残した言葉からも、原作が打ち切りにならなければ、おそらくは百鬼丸は体を完全に取り戻し、(連載が続いていても、一旦は別れることになったのかもしれませんが)いずれは「どろろとしあわせの国を作っていくことになっていた」んだろうな、と推測しています。

そのことを史実と絡めて考えるならば、景光が仕える富樫政親ゆかりの地 加賀は、織田信長に敗れるまでの90年間、「百姓の持ちたる国」と呼ばれたとあるのですから、どろろと百鬼丸たちが築く「しあわせの国」、そんなラストが考えられていたんじゃないかな、と。

世代が代わって、織田信長の時代まで描く構想が手塚先生にはあったのか、それは分かりませんが百鬼丸とどろろの努力が実を結び、流れ者だった二人が安住の地を作り上げるというのを見たかったので、そこをアニメで見たかった気がしますね。


1277: 1276コメさん 2019/09/13 11:29:56 通報 非表示

>>1275
原作は水木しげる先生の妖怪漫画や白土三平先生のカムイ伝の影響が指摘されることがあり、そんな噂をまだ知らなかった頃、初めて原作を読んだときは背景のタッチが水木先生っぽいなぁとか、カムイを読むようになってからは、百鬼丸の髪の毛が白土三平っぽいな、一揆もあるし…とか、体が不完全で両親に川へ流される百鬼丸の原点って恐らく記紀のヒルコだよな、と思ったりしていました。
それでも、ストーリーそのものが独創的だったし、百鬼丸もどろろも、ゲストキャラも魅力的だったので、誰々の真似だって感じはなかったです。

ばんもんは、原作を読んだ当初はベルリンの壁がモデルなんだろうとは思っていましたが、父親に愛されている弟を兄が殺めてしまうというのは、後年「カインとアベル」がモチーフだったのでは?と思い、ベルリンの壁が崩壊するよりも前に民衆が喜び沸き返る様を描かれていたというのが衝撃的です。

原作者の手塚先生が、もしもカインを百鬼丸に擬えたのだとしたら、こちらのカインは嫉妬心からではなく戦国の世情に巻き込まれて弟を殺めてしまうのだし、殺める瞬間の直前まで弟を弟だとは知らない、そこが切ない。何よりもベルリンの壁にカインとアベルをぶつけてくるだなんて、醍醐家の人々の邂逅と、戦で分断された村人たちの再会が平行して物語が進められて行くだなんて、こんな壮大なネタを一体、誰が思いつくのかと、唯々、驚嘆と感服しかない。

だから、今作は原作の名場面を根こそぎカットしてまで、作るほどのものだったのかなと思ってしまいます。他作品のネタの寄せ集めみたいになって中途半端になってしまった今作はキメラのようで、アニメ本編そのものが「鵺の巻」ってイメージです。


1278: 1278コメさん 2019/09/13 19:30:43 通報 非表示

関西の恵比寿さまを祀った神社に「葦船で流された蛭子神が流れ着き、成人して祀られた」という縁起が伝えられている神社があります。

流れ着いた土地できちんと成人された、という謂れが珍しいなと思ったのを覚えています。

手塚先生もその神社の縁起にインスパイアされたのかもしれませんね、

大阪のご出身ですし、

水木先生、白土先生の原作「どろろ」への影響は夏目房之介先生が「手塚治虫の冒険」第五講・60年代手塚マンガの変容「どろろ」で詳しく言及されておりますので、興味がおありでしたらおすすめです。


1279: 1279コメさん 2019/09/14 09:06:27 通報 非表示

私見、個人の感想ですが、

どろろのキャラクター改変も、まぁアレなんですが、寿海と百鬼丸も改悪と言って良い改変をされていると思います。

原作では浮浪児である「どろろ」の「賢者」の役割を百鬼丸が担っています。

「賢者・メンター」とは、主人公に見知らぬ世界と直面するための準備をさせるキャラクターで、案内や手引き、アドバイス、魔法のアイテムなどの手助けとなる道標を主人公に提供します。百鬼丸の場合は「寿海・法師・みお」が「賢者」です。

百鬼丸は、どろろが旅立つきっかけを作り、「おまえはえらいよ」と、どろろを認め、看病し、泥棒働きをするどろろにお説教をし…、

物語の中で「どろろ」に対して「賢者・助手」としての役割を果たしています。

手塚先生の世代の方は戦中、戦後を経験されて、そのころは浮浪児も戦争で四肢を欠損された方も多くいた時代でした、浮浪児や四肢を欠損された方への差別は今の時代で想像するよりもっと過酷なもので、昭和の初めまで眼鏡をかけていることも差別の対象になったそうです。

戦乱の世で、人として扱われていない「どろろ」を人として扱うことが出来る。

そんなキャラクターが「百鬼丸」です。

人は自分がしてもらったこと、されたことをなぞります。

悪い意味では、虐待を受けた子供が成長して虐待を行ってしまう虐待の連鎖がそれです。

「百鬼丸」の行動を見ていると「寿海」がどのような人であるのか?

は、想像がつきます。

戦乱の世で人として扱われない人・親に捨てられた子供にも愛情を注ぐことのできる自立した大人です。

なので、

彼が育て上げた「百鬼丸」は旅立ち、妖怪と戦うことが出来たのです。

今回の新アニメでの彼は「どろろ」の「賢者・助手」の役割を担っていません。

今回のキャラクター改変はテーマ改変とともに、この新作アニメの土台がぐらつき、結局、中途半端な作品となった理由だと感じます。

法師も「賢者」から「語り部」にキャラクター改変されていますが、ここまで原型をとどめていないのなら、「どろろ」を翻案した別作品で良かったのではないかと考えます。


1280: 1280コメさん 2019/09/17 07:40:53 通報 非表示

面白かった。原作も見てみようと思いました


1281: 1281コメさん 2019/09/17 19:07:52 通報 非表示

他には楽しめた作品があったので、このアニメを手掛けた監督さんと脚本家さんの全作品を否定する訳ではないですが、手塚作品とは相性が悪かったのではないかと思います。

結局のところ、手塚先生の話は母の慈愛と養父の博愛がベースになっている物語が多い。実の父親が息子に優しく出来ないケースでも父性の欠片が残っていて、愛情を完全には捨て切れず、本当の鬼にはなり切れないケースも多いです。
冷血漢にも人間らしさが何処かに残っているんです。

何しろ原作では暴君だった、あの景光ですら、多宝丸を失うまでは百鬼丸に愛情が残っていたのですから。再会した際には、百鬼丸が生きていたことで激怒したり逆恨みをすることは一切なく、ただ動揺し、心を痛めていたのです。

だけど、このアニメの景光は、あっさりと我が子 百鬼丸に対して鬼になってしまう。けれど、領民には至れり尽くせりで愛情を示す。わけが分かりません!

今作の景光にとって妻 縫の方は世継ぎを産む道具で、多宝丸は自分の分身として扱い、最後は、ともに醍醐の地を守る鬼神になろうと目論む。外面ばかりが良い今作の景光は、原作より腹黒でねじれた人格になってしまったと思います。そして拙いことに、まだ大物になるなら良いけれど、ただ家族に八つ当たりして、わめき散らすだけの小物になってしまった。

寿海と縫の方も自殺未遂の末に、我が子 百鬼丸の前で心中するし、この人たちは、「救えぬ!」と言い放った百鬼丸のことは、何故か自分たちが死んでみせることで救った気になっているし、今度は多宝丸を救いません。

あんなボウボウに燃えている城でチンタラしていなければ、百鬼丸も多宝丸も救えたと思います。さっさと二人を担ぐなりして抜け道に避難すれば良かったのに。
自分たちが死にたくて、でも、百鬼丸には自分たちの愛情を示したくて、わざわざ会いに来て、死ぬ。わけが分かりません!! この二人だけではなく、このアニメが伝えたいことが何なのか、全く分かりません。


1282: 1281コメさん 2019/09/17 19:10:29 通報 非表示

「良い子にしてないと鬼になるよ」だの、「親がまだそれほど年を取っているわけでもないのに死にたがりで、子どもの前で死んでしまう」って、こんなの観てスカッとする人っていますかね? アニメは、わざわざ改変までして、どうしてこんな話しにしたんでしょう?

子どもに向かって、「良い子にしてないと鬼になるよ」という人は現代なら、旦那がDV夫で育児ノイローゼの奥さんとか、仕事が上手く行かなくて奥さんや子どもに当たり散らすDV親爺か、未認可の保育所でこき使われている保育士とか? もしくは自分自身がそんな家庭で育ったか、思いっきり甘やかされて我が儘に育ったから、子どもの愛し方が分からず子を脅すのかと思います。

それと、高齢の親の介護に疲れている人なら、親は長生きするよりも「お前をいつまでも愛していますよ」なんて言いながら、年取る前にこの世から消えてくれれば、綺麗な思い出になって残るのに、なんて思うのかもしれない。

そういう人に向けて作られたのか、本当は子どもも親も好きじゃないから、こんな話しか作れなかったのかと思えてしまいます。そのぐらい、わけの分からない話だった。他にもっと描くべきことはあったでしょうに。絵を幾ら綺麗にしたって、やっていることがちっとも綺麗じゃないから、嘘っぽく芝居掛かって見えます。

「鬼か人か」が本当は百鬼丸のことではなく、寿海、縫の方、景光を指していたのなら、成功と言えると思います。私はこの展開が全く好きになれませんでしたが。


1283: 1283コメさん 2019/10/03 13:05:00 通報 非表示

なんかタツノコといいゲゲゲといい、作画が今風になってんな。手塚絵の良さを殺している。


1284: 1284コメさん 「つまらない」派 2019/10/09 02:04:51 通報 非表示

ゲームからどろろを知ったんだけど、個人的にストーリー性は断然ゲームの方がいい。

アニメも見たけど多宝丸のキャラがちょっと残念だった。


1285: 1285コメさん 2019/10/09 03:53:40 通報 非表示

>>1284
アニメの多宝丸って、もしも景光が鬼神と取引をせずに百鬼丸が領主の息子として生まれていたらという、もう一人の百鬼丸みたいな描かれ方をされていたし、グラつき易くく芯が強いとは言い難かったんで、魅力が足りなかった。

個人的に、いっそのこと多宝丸は、もっと大胆に設定を変えて、男性として育てられた時期領主として登場して欲しかったな。

そして、その偽りの人生に満足していなくて、両親に不信感があるから、お忍びで本来の世継ぎの自分の兄を捜しているとか。(その場合、お供の陸奥は女性である必要は全くないので、男性にして欲しい。)あそこまで百鬼丸の影が薄いんだったら、多宝丸がその旅路で百鬼丸に出会うというのも有りだったんじゃないかなと。

陸奥が男装の女性っていうのよりも、多宝丸が時期領主として育てられた男装の女性の方が面白かったと思ってる。そもそも、陸奥が女性というネタ、多宝丸とロマンスがあるわけでも何でもなく、特に生かし切れていなかったし…。

だったら、ここは手塚治虫のオマージュとして、世継ぎとして生まれ、王子として育てられたリボンの騎士のサファイアみたいな、多宝丸を見てみたかったなぁ。

その方が百鬼丸に屈折した感情を抱く理由がハッキリしていて面白いし、寧ろ百鬼丸に歪んだ憧れとか、愛情を持ったり、どろろに共感したりとか、いろいろドラマチックになったんじゃなかろうか。


1286: 1286コメさん 2019/10/15 02:16:15 通報 非表示

このアニメが好きなれなかった理由は、中学受験を控えた息子を実の父親が包丁で刺し殺してしまった名古屋教育虐待事件や、結婚相手の女性をDVで支配し、その連れ子である女児を血の繋がりのない父親が虐待の末に死なせてしまった目黒女児虐待事件のニュースを知ったときのように、後味の悪い嫌な気持ちになったからだ。

このアニメに出てくる大人は自分を正当化する卑怯者ばかりだし、児童虐待&DV親爺の権化の景光を賛美したり支持するような人間ばかりで、見ていて本当に嫌な気持ちになった。そして、アニメの制作スタッフが必死になって景光を善人みたいに演出しまくることに、ほとほと嫌悪感を覚えた。百鬼丸の支えであって欲しい縫の方も、寿海も、琵琶丸も、どろろも、みんな物語の後半からは、百鬼丸に我慢しろ、耐えろという態度だったので本当に嫌だった。

百鬼丸に何もしてあげられないのなら、簡単に耐えろとか言わないで欲しいし、救えぬだとか、存在したり意志や目的を持つことそのものが悪であるかのように、責めたりすることを止めて欲しかった。

人間って、こんなに醜く卑怯者ばかりなんだろうか? 百鬼丸の味方側にいた人たちは、本当のところ何も百鬼丸を助けてはいない。どろろは唯、そばでオロオロしていただけだし、琵琶丸も、もったいぶって深みがあるようなことを言っていただけで、百鬼丸が鬼神になるだなんだと、どろろに不安を与えて後のことは全部まだ幼いどろろに丸投げだったし、ミオたちのことだって、戦が間近な情勢が不安定なときだからこそ、まだ幼いみんなのそばにもう少しだけでもいてあげれば良かったのに、さっさといなくなるし、孤児たちに希望を与えるだけ与えて後のことは全部丸投げだった。

寿海は百鬼丸に生きる術とチャンスを与えたけれど、百鬼丸を旅立たせた後は特に何もしていない。ただ自分が心残すことなく死ねる機会を探していただけだ。最期に菩薩像を百鬼丸に与えたが、その頃の百鬼丸には、もう必要なかったから直ぐに手放していることからも、この行為は寿海のパフォーマンスや自己満足に見えて虚しい。

百鬼丸が助かったのは、百鬼丸が鬼神のように異様に強かったから、それだけだ。本周りにいた大人たちも、どろろも祈っていただけだ。
この物語の登場人物たちは、流されて生きているだけで無力な人たちばかりだった。そんなだから、何も面白くなく感動も出来なかった。


1287: 1287コメさん 2019/10/16 08:10:31 通報 非表示

>>1286
なろうでも見とけ


1288: 1288コメさん 2019/10/16 10:30:01 通報 非表示

>>1287
どこが、なろうなんだか意味が分からん。


1289: 1289コメさん 2019/10/16 13:42:27 通報 非表示

>>1287
1287のコメント、全く意味不明。

なんで、虐待やDVをファンタジーにすり替える?

1287が、どっぷり なろうにハマって

頭の中がファンタジーなんで

こんなことしか書けないんだろうよ。


1290: 725コメさん 「つまらない」派 2019/10/31 22:29:53 通報 非表示

>>1258
ほんとその通りです。

何故頑なに自分の考えを押し通し他者の考えを受け入れられない。

勝手に自分の持つイメージで決めつけ暴言を連発し不快にさせる。

こういう人には何言ってもムダなんでしょうが。

敷き詰めていくと一種のテロリズムを感じるので寒毛がします。

自分とは異なる様々な意見があることを認める包容力、柔軟性を学ぶべきですね。


1292: 1292コメさん 「つまらない」派2019/11/16 21:56:42 通報 非表示

後半がぜんぜんストーリー違って気持ちが入ってこない


1293: 1292コメさん 「つまらない」派2019/11/17 04:40:29 通報 非表示

鬼神の魔力を借りないと、国を豊かに出来ないみたいなテーマに塗り替えられてる

そうじゃないだろ


1294: 1294コメさん 2019/11/28 13:42:22 通報 非表示

この新アニメは「鬼」をどのように定義して製作されたのでしょうか、

「鬼」と一言に言うのは、多くの多様化した概念をもつ言葉なので難しいですが、

その一つに「国家や集団の外部にいるまつろわぬ者たちが鬼とされた」というのがあります。

不具である百鬼丸も浮浪児のどろろも集団の外にいる者たちです、そして作中では生きることを否定されています。

「おいらだって人間だ」と彼らが必死で生きるために抗い、戦っていく、原作はそんな物語です。

つまり「鬼から人へ」の戦いです。

あの原作が「人か鬼か」というテーマになってしまうのは、やはりいただけません。

楳図かずお先生が、

(映画版「漂流教室」は)お金はかかってたんだけど、目線が外れてますので、そういうのが一番危ないんですよ(笑)

と仰っていましたが、

ホントだな、と思います。


1296: 1296コメさん 2019/12/01 01:40:53 通報 非表示

>>1294
全くの私見ですが、アニメでは「鬼神=荒ぶる神、荒魂」というイメージがあったのでは。

アニメのコンセプトに「鬼か人か」とあるのは、百鬼丸を原作通りの霊感が鋭くテレパシーが使える超能力者として描くことよりも、そこから更に進めて「鬼神=荒ぶる神=荒魂を宿す者」という超自然的な存在として描こうとしていたのでは。

時代こそは神代からずっと下がった中世の室町時代ではあるけれど、アニメでは百鬼丸に鬼神の力を与えることで『記紀の英雄譚のように、百鬼丸を大国主命やスサノオノミコトのように描きたかったのかなと。

平たく言うと、このアニメからは原作の『どろろ』に永井豪先生の『凄ノ王』や諸星大二郎先生の『暗黒神話』のテイストを取り入れた、そんな雰囲気が感じられた。…室町時代で神話を、神代から人の世への世代交代を描いた様にも感じた。

《荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。勇猛果断、義侠強忍等に関する妙用とされる一方、崇神天皇の御代には大物主神の荒魂が災いを引き起こし、疫病によって多数の死者を出している。これに対し、和魂は神の優しく平和的な側面であり、仁愛、謙遜等の妙用とされている。

荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮、豊受大神宮の多賀宮といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は荒魂と和魂を支えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の二面性が、神道の信仰の源となっている。また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされている。~ウィキペディア “荒魂・和魂” より~》

百鬼丸が鬼神化して荒魂でもって醍醐の地を破壊すことで、その地に根付いた鬼神と武士たち支配者層を追い払い、百姓たち平民は自らの手で新しい国を作り上げ、一方では未だ魂が不完全な百鬼丸は和魂を得るべく放浪の旅に出る…と、そんな感じかと。

狙いそのものは悪くはなかったけれど、人物像の掘り下げや物語の進め方に難があり、ヒューマニズムが薄れてしまったため手塚先生らしさが感じられず、主人公が悪と正義の境界にいるというのが永井&石ノ森先生っぽくて、他作品との合作みたいになってしまったことが残念…。


1297: 1260コメさん 「つまらない」派 2019/12/07 11:26:18 通報 非表示

このアニメでは、ミオは侍たちの慰み者になるだけでは留まらず、ついには間者の疑惑を掛けられ、彼女が取った行動が引き金になって、孤児たちが巻き込まれて命を落とす・・・というような流れになっている。

どろろの母お自夜のかの有名なお粥シーンでは、お自夜の我が子どろろを救いたいという母親の純粋な愛と強さを示すシーンが、原作にはなかったイタチの登場でなんとも後味の悪い嫌な雰囲気になってしまったし、その上、お自夜は亡くなった後もイタチからは墓を荒らされてしまう。

そして縫の方はというと、母と言うよりも世間知らずの姫様で、やっと神仏にすがることを止めて自ら行動を取るようになり、領民に目を向け、息子たちにも真正面から心を通わせるようになったのかと思ったら、息子二人が今にも刃を交えようとしている場面に居合わせておきながら何も言えなかったり、今度こそ息子たちと心を通わせたのかと思ったら、あっさりあの世へと旅立ってしまう。

そして、どろろのあの切ない、別れのシーンは、通り掛かりの一話こっきりの尼さんの暴露で根こそぎカット。
白面不動の死霊の女のエピソードの改変。
チョロッとしか出てこない、まいまいおんばの妖艶な奥方姿。

数々の改変は脚本家さんが女嫌いだとしか思えず、『どろろ』を観ているというよりも、脚本家さんの女性観をみせられているようだったので、物語の展開よりも、どういう気持ちで脚本を書いているのか、そのことが気になってあまり楽しめなかった。女嫌いで特に母親の愛にうさんくささを感じているのだろうか、幼女よりも大人になり掛けた少女、その少女よりも更に母親が嫌いなんだろうかと、お自夜と縫の方の人物像の描き方を観ていて思えてしまった。

アニメ版のどろろは、序盤の脚本のベースを書き上げたのが監督さん(第1話、第2話)で、その後は監督さん自らがメインライターさんにストーリー制作をまかせたという。 

縫の方の性格が激しく変わってしまったり、男性の寿海が父性よりも母性が強い人物になってしまったのは、母親を描くことに脚本家さんが抵抗があったんじゃないだろうかと、そんな風に物語り以前のことが気になってしまいアニメ本編がなかなか楽しめなかった。
次があるなら男性の作家さんに脚本を書いて欲しい。


1298: 1298コメさん 「つまらない」派2019/12/07 12:32:15 通報 非表示

ちゃんと最後まで見てから評価しろよゴミ共


1299: 1299コメさん 2019/12/09 00:48:30 通報 非表示

>>1298
と書いている本人が、最後まで見たかどうかなんて
到底分からない、中味のないコメントを書くのは何故?

実際には作品を見ていないから中味のないことを
書いたのか、

最後まで見たものの、このアニメに中味が感じられず
心の中に何も残らなかったから
コメントも中味がないのか。

作品の出来不出来は端からどうでも良くて、
誰でも良いから、ただ批判したかっただけなのか。

批判するならするで、中味のあるコメントを
書いたらいいのに。


1300: 1300コメさん 2019/12/25 15:14:02 通報 非表示

原作未読の方にはネタバレになりますが、原作コミックスでは、領民たちの一揆を境に醍醐屋敷で別れた百鬼丸とどろろのその後が描かれていない。

百鬼丸は魔神から完全に体を取り戻すことが出来たのか? どろろの父 火袋の財宝は何処へ? 百鬼丸とどろろの再会は?
当時の漫画制作の状況が分からずとも、「これって打ち切りなのでは?」と思った読者は多いのでは。…かくいう自分がそう。

原作コミックスのラストでは、百鬼丸のその後を知るものは誰もおらず、48体の魔神像は地獄堂とともに50年後に戦火で消失とある。

そのまま受け取ると、どろろと百鬼丸は再会することはなかったということになるし、百鬼丸が体を全て取り戻せたとしても還暦はとうに過ぎていて、今ならまだしも人生50年だった当時を考えると、百鬼丸はこの頃には老人で最後の魔神とは相打ちで命を落とした(そして、地獄堂もろとも魔神が消えた)のでは、などと思えてしまう。

原作のどろろと百鬼丸のラストは、互いを思いやっての別れが描かれていて切なく、自分を捨てた両親を憎み切れず、思慕の念を捨てることが出来ない百鬼丸の姿が丁寧に描かれていて、全編には無常感や寂しさの中にも人の心の優しさが漂っている。結末が描かれていない寂しさはあるが余韻が残り、それだけにアニメには期待していた。

アニメでは火袋の財宝の行方とその後、(例え不完全だとしても)百鬼丸とその父母の和解、百鬼丸とどろろの再会の示唆が描かれていて、スルーされなかったことが良かった。
多宝丸が原作のように百鬼丸を一方的に罵るだけではなく、不器用ながらも百鬼丸を兄として受け入れ、一度は堕ちてしまったものの、人として成長しようとする様には心動かされるものがあった。

アニメの何が拙かったかというと、寿海、縫の方、景光の三者の人物像のゆらぎが大きく、百鬼丸、どろろ、多宝丸、琵琶丸が巻き込まれて、それぞれの魅力が生かし切れなかったことだと思う、

寿海に比重を置くのなら、縫の方とキャラクターを被らせる必要は全くなかったし、魔道に堕ちた景光をあそこまで薄っぺらく魅力なくするのではなく、芯というか存在感が欲しかったと思う。揺らいでこそ人なのかもしれないが、キャラクター設定にはもう少し一貫性が欲しかったし、脚本をもう少し練って欲しかったなと思う。


1301: 1301コメさん 「つまらない」派 2019/12/25 15:57:42 通報 非表示

長文多すぎ

誰も読まないのになぜ頑張ってるのか


1302: 1302コメさん 2019/12/25 17:26:00 通報 非表示

>>1301
アニメを観て、つれづれなるままに心に移りゆくことを書いたら、長くなってしまうというのは、頑張っているのとは違うと思うけど。

本当に読んで欲しいなら、それこそ頑張って要点を絞って短くしたら良いのだから。

総じて文章が長いのは、おもしろくない派(残念派・もったいない派を含む)だと思う。
おもしろい派の人たちの多くが短文なのは、アニメを観てモヤッとすることが特になかったからだと思う。

観ててモヤッとして、理由を書いたら長くなってしまうのは仕方ない。

ここがツイッターみたいに文字数制限の縛りが大きければ、それに従うよりないから、誰の投稿でも短文になるよ。


1303: 1303コメさん 「おもしろい」派 2019/12/26 02:48:54 通報 非表示

百鬼丸かわいそう


1304: 1304コメさん 2020/01/06 00:53:18 通報 非表示

>>1301
アニメの感想になってるのなら、別に長文でも短文でもどちらでも良いだろ。

「なぜ」とか書いてるけど、単に長文を書く人は暇人だ、変人だと言いたいんだろ。暇人でも変人でも、人を小馬鹿にしてる様なコメントよりずっとマシだよ。

せっかくコメント欄があるのなら、いろんな意見がみたいけど、「おもしろい」の投票数が増えても、おもしろい派のコメント投稿がほとんど増えない、そのことの方がよほど不思議だよ。


1305: 1305コメさん 2020/01/06 02:01:25 通報 非表示

>>1301
ここで日記を書くことしか趣味がないんだよ

暖かく見守ってあげて(*´ω`*)


1316: 1316コメさん 2020/01/15 23:57:02 通報 非表示

>>1305
日記というのは自分の身の回りに起きたことや体験を記録することでしょ。どこに日記が載ってた?


1317: 1317コメさん 「おもしろい」派2020/01/24 01:02:25 通報 非表示

こんな凄い内容を当時の手塚先生は今みたいにアニメが発展してない時代に試行錯誤されてたんですね。

ほんとに日本の誇りです。


1318: 1318コメさん 2020/02/12 11:59:33 通報 非表示

そのような意味で描かれた新アニメではないのかもしれませんが、

「どろろ」をリメイクするならば差別問題は避けて通れない中で、

大勢のために個人を犠牲にすることは「ふさわしい弱者の選別」という

前作・他のリメイク作品より非道い差別表現に見え、

それらも含めて本作の2クール以降の不評につながったような気がします。


1319: 1319コメさん 「おもしろい」派 2020/02/27 23:43:38 通報 非表示

闇夜...Eveくん...!!


1320: 1320コメさん 2020/03/01 02:44:39 通報 非表示

手塚絵ではないことや、画風のこと、そして声。この3つが多く批判されていると思います。確かに僕の母も、美大画風になっていると言っていましたが、どのアニメにもいえることで。リメイクされる作品は、旧新別のものだと思います。

時代や人のニーズに合わせたから、作品が疲弊するわけではありません。旧新それぞれの深みや良い点を味わうべきだと思います。


1321: 1321コメさん 「おもしろい」派 2020/03/08 15:47:31 通報 非表示

思ったんだけどさ

ここにコメントする人長文書く人多くないか?

関係ないけどさ…すいません💦


1322: 1322コメさん 2020/03/09 06:18:05 通報 非表示

原作ファンでアニメがアンチな場合は、原作のいろんな場面やキャラクターの本来の性格とアニメをついつい比較してしまうので説明口調になって長くなる、過去のいろんな作品と比較して長くなる、そもそも不満を書いているので愚痴っぽくなって長くなる、そんな感じ。


1323: 1323コメさん 2020/03/09 21:29:33 通報 非表示

個人的にアニメの絵が嫌い、声優が気にくわない、というのはなかったけれど、ストーリー展開が雑でメインキャラが同じ名前の他人になってしまったのが嫌だった。(←※顔や絵柄のことを言っているのではなく、本質とか魂的なこと。)

最初の方は演出が丁寧だったし脚本も自然だったので、喋らず表情が分かりにくい百鬼丸にも人間らしい感情が見て取れて、脇を固めるキャラにも共感できたし、ストーリーも面白かった。

アニメは演出が良くないという意見は一部あるけれど、ところどころ納得出来たり面白い試みだなと思える演出があったので、それだけに惜しいなと思った。それと2期のОPは好きじゃないけれど、それ以外のОPとEDは良かった。

一番馴染めなかったのは脚本。特に中盤以降は一話あけると別人格で言動に一貫性がないなと思った。この人ならばこうするというのではなくて、尺を含めたあらすじのためだけに、このキャラにはこうさせるか、みたいな流れになっているように思えたので。

ラストに希望を書いてくれたのは良いけど、寿海はもう少し救われても良いんじゃないかなと思ったし、多宝丸の人生って何だったんだろう? 兄の身代わりに死んでいった? もう一人の、真の生贄? 母が側にいればそれだけで満足って、まだ若い多宝丸にはもっと生きた証みたいなものがあっても良かったのになぁ。

漫画はもっとあっさり死んでるけど、図太い感じがあったので結構本人はサバサバして去っていったような気がするので、見ているこちらにも心残りみたいなものはなかった。

長くなったので最後に一言でまとめると、アニメには生命力とか高揚感が足りなかったなと思う。


1324: 1324コメさん 2020/03/18 14:43:32 通報 非表示

百鬼丸自身について言えば、今作では体を取り戻しても単純で感情も平坦な描写が多く、まるでロボットみたいだと残念に思うことが多かったんですが、同程度かそれ以上に、どろろの内面の解釈と演出がイマイチだったと思います。

演出については、ところどころ良かったところもあったので全否定するわけではないですが、話数がそこそこあったにもかかわらず、主役二人のどちらも型にはまったようなリアクションが多くて、原作キャラの内面をちゃんと引き継いでいれば、設定がところどころ変わったって、そんな行動は取らないんだけどな、と思わずにいられないことが多かったです。

演出の拙さと言えば、9話の行き摺りの尼さんの「どろろの秘密のネタばらし」。あんなところで唐突に、何でわざわざ入れるのかなあと、不思議で残念でなりませんでした。あれで原作のラストで一番盛り上がるシーンが無くなってしまうことがはっきりしてしまい、非常にガッカリしたんですが、何故、アニメではああなってしまったのか。それは “TVアニメ「どろろ」Blu-ray BOX 下巻” のジャケットのイラスト(百鬼丸に肩車されているどろろ)を観て分かった気がします。

原作では川に転落したどろろは、あまりに汚れまくっていたので、そのまま百鬼丸に沐浴させられてしまうんですが、恥ずかしさから胸を両手で隠していました。そんなどろろが、ふんどし一丁で百鬼丸の首や肩にどっかり跨ったりしますかね?

旧作アニメのОPの一揆のシーンでは、確かにどろろは農民のおじさんに肩車されていますが、どっかり腰を下ろしているという描き方はされていなくて、騎手のように腰を下ろさずに乗っています。(とはいえ、この旧ОPが作成された頃はアニメスタッフも、どろろが女の子とは知らなかったようですが、どろろの所作としてはセーフだと思います。)

新作アニメでは、どろろが百鬼丸に頬に手を当てられたり、顔を近づけられて頬を染めたり、刀鍛冶の娘おこわにヤキモチ焼いたりしていますが、終始どろろが女の子だということに向き合って作られていたのなら、あの尼さんの登場はNGだし、先ほどのジャケットの構図もNGだと思います。

どろろは男の子っぽい女の子なのであって、男の子じゃないので、ふんどし一丁で百鬼丸に肩車される、なんてのはあり得ないと思います。


1325: 1325コメさん 2020/03/18 19:23:27 通報 非表示

別に原作と何もかも同じじゃなくて構わないんだけど、新作アニメは、どろろも百鬼丸も、縫の方も寿海も琵琶法師も、デリカシーが足りないので観ていてイラっとした。

寿海も縫の方も繊細ぶっておきながら、我が子 百鬼丸の目の前で「救えぬ!」と言いながら、義足をぶっ壊したり、自分の喉を刃物で突いて見せたり、こちらの百鬼丸は普段は ほぼ仏頂面でクールでありながら心は幼いという設定にして、それをキャラの魅力にしたいと制作側は考えたんだろうけれども、話が進めば進むほど、魅力になっているとは とても思えなかった。

ミオ回、絡新婦回を乗り越えたのなら、百鬼丸には、もっと精神的な成長を遂げていて欲しいところなのに、後半では成長どころか逆行していて、いっぱいいっぱいでテンパっているのがアリアリで、なんの非もないどろろを ど突き飛ばしておきながら何もなかったように振舞うし、醍醐の国で戦があるから行くのは危ないと止めた通行人のおじさんに刃を突き付けたりと、なんなの?この人って感じだった。

いっぱいいっぱいなのは重々伝わるけれど、どこも格好良くないし八つ当たりする様子が全く原作とは別人過ぎて、絡新婦に見せた温情や、1話目で土手で足を滑らせた男の子や どろろに見せていた紳士的な態度は、いったい何処へ行ってしまったのかとガッカリしてしまった。

どろろの、百鬼丸の手足目玉を鬼神にくれてやれ!発言は論外。それって結局、百鬼丸を思っているというより、百鬼丸を自分の所有物みたいに考えているようにしか思えない。
寿海もどろろも縫の方も、鬼神教徒にでもなったんですか、というぐらい言動がおかしかった。

琵琶丸はミオたちに夢を持たせるだけ持たせて、まだ鬼神を倒し終わっていないのに、さっさと消えて、亡くなったと聞いたら「あの子たちには可哀想なことをしたねぇ」とさらっと流すし、縫の方の手を引いて醍醐の城まで連れて行き、何やら察知しておきながら結局、死なせちゃうし。この人は法師というよりも死神みたいだった。
ここまでキャラクターがことごとく別人ばかりなら、タイトルを『どろろ』にする必要はなかったと思うよ。


1326: 1326コメさん 「つまらない」派 2020/04/04 21:24:59 通報 非表示

百鬼丸が原作より暗くて無口で萎える


1327: 1327コメさん 2020/04/04 22:31:08 通報 非表示

>>1326
ホント、そう思う。
それから無口なだけならまだ良かったけど、勝手だし思慮が浅いので、この百鬼丸は好きになれなかった。

無口でも『カムイ外伝』のカムイみたいに思慮深いタイプなら良かったんだけど、この百鬼丸はクールでもなんでもなく、ずっと子どもだったんで…
最後の最後に一気に成長させられても、何それ?って感じ。
このアニメは多宝丸の側近とか、おこわとか余計なキャラを増やしたり、無理やり景光を良い人にみせようとしたり、寿海をブレブレの弱弱しい人にしてみたりと余計なことに力を注いで、主役の百鬼丸とどろろの成長や絆を深めていく過程をおざなりにしてしまった。

ほとんど人とコミュニケーションが取れなかったアニメの百鬼丸の喋り方がたどたどしいのは仕方ないとしても、賢さが感じられない展開ばかりで非常にガッカリした。

後半では不知火の巻のときの「どかーん、どかーん」で賢さを出そうとしたんだろうけど、それならそれで、いい加減、そろそろ賢そうに話して欲しかったし、ラストで多宝丸とやりあったときの「(醍醐の城は)なら、俺のだ!」なんかはアホっぽかった。…そもそも、セリフのセンスが酷過ぎた。

皮肉にも、序盤の口がきけなかった頃の方が賢そうで優しそうに見えたし、百鬼丸らしかったよ。


1328: 1328コメさん 2020/04/09 14:12:38 通報 非表示

長文すみません。でもこれを書いたらもう何も書くことはないので。1クール目、中でも序盤はスタッフのやる気に満ちていて、脚本、作画、ОP、EDともに良かった。スタッフとスポンサーの連携も上手くいってたんだと思う。

特にОPの百鬼丸のシーンは圧巻。みおとの想い出のシーンや多宝丸と刃を交わすシーン、盗賊を切り伏せる殺陣のシーンは、まさに百鬼丸! 腕を取り戻す痛みに精悍な面持ちで耐えてみせるシーンや琵琶法師の言葉に涙するシーンと、本当に作画に関わったスタッフは押さえるべきところをしっかり押さえてくれていて、紛れもなく力作だった。

累々たる兵士たちの屍のシーンから始まり、タライに乗せられて川を流れていく赤子の百鬼丸とエコーの掛かった歌声がまたピッタリだったし、終盤のお囃子みたいな畳み掛けと百鬼丸の剣戟もピタリと合っていて、高揚感が半端なく感動を覚えた。

どろろも、転びざまに向かってくる相手に石を投げて奮闘する姿が小気味よく、アニメ本編にはない、兄貴とテレパシーで連絡を取り合う姿を入れてくれたのも嬉しかった。

百鬼丸の新解釈も良かったし、旧作では、どうみても男の子にしか見えなかったどろろの外見が、どちらに見える感じにアレンジされていたのも良かった。

個人的に、このアニメに期待していたことは、原作と新解釈が上手く融合している良いとこ取りだった。1クール目の序盤とОP、EDは、まさに良いとこ取りだったので、原作どおりではない良いとこ取りの “どろろ”に期待感が高まっていった。

でも、全部見終わったら、二次創作みたいな仕上がりになってしまったというのが率直な感想。他のアニメや漫画、特撮からネタを持ってきたような仕上がりになっていたのが残念だった。

戦争を直に体験した世代は既に高齢者か鬼籍に入った方たちなので、現場のアニメスタッフには限界があったのだろうと思う。

けれども、スタッフだって臨界事故や自然災害に泣かされ続け、それでも立ち直ってきたこの日本に住んでいるわけで。だから、百鬼丸個人の力や景光の思惑ばかりに焦点を当てないで、共同体という人間社会の底力を描いて欲しかったなと、しみじみ思う。

よって、終始 添え物だった村の若衆とお金で解決を図るどろろには違和感しかなかった。『どろろ』の醍醐味は群像劇と運命に流されず抗う民衆の気骨にあると思うので、そこを見たかったんだよ。


1329: 1329コメさん 2020/04/09 21:46:12 通報 非表示

>>34
どっかの、鬼を殺すアニメよりよっぽど面白かった


1330: 1329コメさん 2020/04/09 21:53:53 通報 非表示

>>3
これ、最初見て思ったのが、「どろろ」って子供の方のなまえなんかい⁉って事。


1331: 1331コメさん 2020/04/09 22:47:46 通報 非表示

>>1330
それ以前に「どろろ」が人の名前だったってことの方が驚きだったんで、百鬼丸の名前がどろろじゃなかったってことは、あまり不思議に思わなかった。
私の場合は、原作が妖怪ものだということを知っていたから、怪奇ものにつきものの「ヒュー ドロドロドロ…」の効果音をまず連想してしまったので。

それに百鬼丸の名前は、あまりにも百鬼丸にぴったりだから、百鬼丸の名前が「どろろ」だったとしたら、その方がびっくりだな。

原作者の手塚先生曰く、「どろろ」の名前は「泥棒」からきていて、「どろろ」のキャラをとても気に入っているからタイトルを「どろろ」にしたんだそうだけど、ジャンルが妖怪ものだから「おどろおどろしい」とか、人間の情念を扱った物語だから「ドロドロ」とか、どろろ自身が泥まみれだから「泥んこ」とか、いろんな意味合いをタイトルに込めたんじゃないか、などと推測している。


1332: 1331コメさん 2020/04/09 22:55:21 通報 非表示

>>1331
「どろろ」の名前が「泥棒」からきているのなら、全身が欠損している百鬼丸なんかは、思いっきり泥棒の被害にあっているよね。

百鬼丸もどろろも、みおたちも、奪われる側の人間で、奪った側は泥棒だから、タイトルが「どろろ」になったのかもね。


1333: 1329コメさん 2020/04/09 23:38:58 通報 非表示

坊さんがカッコイイです。


1334: 1329コメさん 「おもしろい」派 2020/04/09 23:42:51 通報 非表示

>>1333
マジカッコイイです!


1335: 1335コメさん 2020/04/27 04:07:07 通報 非表示

>>1320
新作は画風や声より「人物の内面描写・統合性」に難を感じる。

旧アニメの画風は、どろろはともかく百鬼丸は劇画調で手塚絵という感じは全くと言って良いほどない。両親に捨てられた過去を思うと原作が冷たかったわけではないが、旧アニメでは年齢が上がった分、母への思いやりがあり、縫の方その人の行動にも、より母親らしい愛情が感じられた。

原作で寿海が百鬼丸に旅立つことを促した切っ掛けが、百鬼丸がいることで寿海宅に妖怪が寄り付き、ともに暮らすことが困難になったことにあったのに対し、旧アニメでは百鬼丸が呪われた運命に打ち勝つべく体を取り戻す旅に出ることを、父親らしい厳しくも温かな大きな愛情で送り出す様子が、原作よりも分かりやすく、より自然に描かれていた。

旧作アニメの景光は多宝丸を溺愛していたけれど、自らが魔神に生贄にささげた百鬼丸のことを忘れ去ることは出来ず、ことあるごとに百鬼丸をカタワだと貶める多宝丸を叱り(景光には百鬼丸の体が欠損しているのは百鬼丸の所為ではなく、自身の野望の所為だという自覚があり、無視することはできなかった)、また兄弟が争うことを嫌っていた。鬼のような男でありながら、百鬼丸と決闘したことで多宝丸が命を落とすまでは、百鬼丸に対して父性が残っていた。それらは原作と同じだが、旧作アニメの景光は最期には乱心し妖怪と化して縫の方を殺め、そのまま百鬼丸と刃を交える。葛藤や心情は原作より分かりやすく、流れも自然に描かれていた。

旧作アニメではキャラクターそれぞれのアイデンティティがしっかり描かれていて、人物像にブレがなかった。葛藤はあっても、それぞれの志が感じられた。
けれども、新作アニメは人物像のブレが大き過ぎて、登場人物が自分の意志で物語を動かしているのではなく、シナリオに沿って無理やりセリフを言わされているような不自然さがあった。

ざっくりと「あらすじ」だけを追うならば、新作アニメの狙いは分かるし、「あらすじ自体ば破綻していない」と思う。けれども新作アニメの登場人物の言動には一貫性が感じられずバラバラなためアイデンティティが感じられない。物語の前半と後半ではメインキャラが皆、別人過ぎる。成長して別人になったのなら良いのだが、そうではなくて、シナリオの都合でチグハグな行動を取っていたみたいにみえた。尺の使い方と内面描写に難を感じた。


1336: 1336コメさん 「おもしろい」派2020/07/08 14:42:05 通報 非表示

新しいどろろ見てます!!!!


1337: 1321コメさん 「おもしろい」派 2020/07/11 10:19:58 通報 非表示

手塚治虫舐めるな


1338: 1338コメさん 2020/07/12 19:10:58 通報 非表示

誰が誰を好きで どの作品を好きでも、その人の勝手だけど琵琶法師は原作の方が断然カッコイイよ。
原作では琵琶法師は名乗ることは一度もなかったけれど、寿海と同様に百鬼丸を生かすべく現れた人物で、紛れもなく百鬼丸の師だった。

百鬼丸は、アニメのように偶然にみおたちのもとに辿り着いたのではなかった。琵琶法師が自らみおたちに引き合わせるべく百鬼丸を連れて行った。その道中のシーンと別れ際に琵琶法師が百鬼丸に諭す言葉がとても感動的だった。

でも、このシーンは現在では身体障○者に対する差別になるからと言葉狩りの憂き目にあい、セリフが改変されてしまったので心に迫る感じがうんと薄らいでしまった。その為、新版を読んでも心が揺すぶられる人は少ないのではと思えるし、原作ファンがこのシーンを重視する気持ちも分かり難いと思う。それがとても残念。

手塚先生は差別を助長させようと『どろろ』を描いたのでも、あのシーンを描いたのでもなくて、差別することの愚かさと、差別される側の悲哀を作品を通して伝えようとしていたのに、セリフを変えてしまっては本末転倒になってしまう。言葉で悲哀を薄めて大したことではないようにしてしまう方がよほど罪深いことなのに。

話を戻すけれど、すっかり自信を失い将来を嘆く百鬼丸に、生きることの意味と命の尊さを自分の心と体で感じ取って欲しい、自分の中の可能性を自分の力で育んで欲しいと、琵琶法師は百鬼丸を戦災孤児のみおたちと交流させることで、人間とは何なのか、生きるとは何なのかを教えたんだ。

貧しくて体が欠損していてどんなに汚れていても支えあいながら生き抜く子供たちの姿を通して、困難にもめげずに生きようと努力することの美しさ、人々が協力し合うことの美しさ、希望とは努力あってこそのことなんだと、琵琶法師は言葉だけではなく、それ以外の方法で、正に「百聞は一見に如かず」で教えた。

だけど、アニメの琵琶法師は偶然出会ったことになっているので、その分、みおたちに対する情が薄いのか、これから戦があることを知っているにも拘らず、大人が側にいてあげなくてはならないときに、あの危険な鬼神が棲みついている土地がまるで希望の地であるかのように夢を持たせて、百鬼丸は片足を失いまだ傷も癒えていないのに去って行ってしまった。だからカッコイイとは思えず、口ばっかりの、死神や悪魔的なおっさんだな、と思う。


1339: 1338コメさん 2020/07/12 19:17:32 通報 非表示

>>1338
1338だけど「身体障○者」って「害」の字をちゃんと打ち込んだのに、このサイトも言葉狩りがあるんだね…。
「害」の字が〇に変換されているよ。

周りに害を振りまく人という意味で害の文字があてられているのではなくて、「困難な場面に出会うことが多い」ということを表現するためにあてられた文字なのにな。


1340: 1340コメさん 2020/07/13 10:44:06 通報 非表示

>>1329
鬼滅は出だしは間延びした感があったり、セリフで状況を説明し過ぎな感があったり、悲惨な背景のわりに炭治郎がやたらとハイテンションになって騒いだり、「はい、ここ感動ポイントですよー」という演出が入ったりで合わなく思えて視聴を早々に止めていたけれど、3話のラストが気になって、そのまま11話まで頑張って(?)観たら、結構面白いじゃないか!となった。

原作未読の自分から観ても、(特に後半からは)アニメのスタッフがキャラクターの個性を大事にして描いているんだなというのが伝わってきた。

兎にも角にも、鬼滅の場合は作り手の熱意が感じられるし、少なくともアニメ全話通して各々のキャラクターにブレはなかったし、意志がはっきりしているのが良かった。

でも、このアニメどろろの登場人物は、ただ流されて時間が過ぎるのを待っているような人ばっかりだったし、干渉はしてもコミュニケーションを取ろうとする人がほとんどいない。

このアニメでは、百鬼丸が生き延びたのも、生まれつき持っていた第六感と鬼神に対する憎悪によるものが大きいという印象が強かったし、鬼神を倒すときは殆どが個人プレーだったんで、話の展開も単調で淡々としていて、後半は失速感が半端なかった。

アニメどろろは生まれつきの才能がほとんど全てを決める、みたいな仕上がりになってたんで、私はアニメ鬼滅の方が面白かったな。


1341: 1341コメさん 2020/08/09 19:07:16 通報 非表示

これ決めつのパクリじゃん!😡😡


1342: 1342コメさん 2020/08/15 18:00:48 通報 非表示

>>1341
鬼滅な。


1343: 1343コメさん 2020/08/31 10:11:11 通報 非表示

>>1341
いやいや、この新作アニメどろろの元ネタは漫画だし、その原作漫画が発表された時期は1967年。昭和の時代の漫画が平成に発表された鬼滅の刃のパクリになり得るはずがないんだよ。

安易に決めつけず、せめてこのアニメのタイトルの三文字だけでも打ち込んで検索してみてよ。Wikipediaにもちゃんと書いてあるから。ごくたまーに、『どろろ』はジブリのパクリだとか、なんちゃらというゲームのパクリだいう意見を見掛けるけど、その時代はジブリも、そのゲームをやるゲーム機の存在自体がないから、全くの誤解。

原作者の手塚治虫は昭和一桁生まれの第二次世界大戦を経験した人物で、ギリギリ出兵こそは免れたものの、爆撃機が頭上を飛び交い、焼夷弾が落とされる、そんな少年時代を過ごしたんだ。

戦争が本格的になる「比較的裕福で自由があった時代」と、いつ自分も徴兵されるか分からない、徴兵されなくとも命を落とすかもしれないという「死と隣り合わせの時代」と、「終戦の喜びと戦後の高度経済」という流れの中を生き抜いて、「一瞬にして価値観がひっくり返るような時代の変遷を生身で体験し、全てを投入して描いた漫画が『どろろ』なんだ」よ。

だから『どろろ』の元ネタは、突き詰めて言えば原作者手塚治虫の人生そのものと言っても良いと思うな。


1344: 1344コメさん 2020/08/31 19:42:33 通報 非表示

>>1341
うーむ、それって『ジャングル大帝』(記念すべき日本のカラーアニメ作品第一号という、あまりにも昔の作品なので知らんかな?)をみて、『ライオンキング』のパクリじゃん!っ言ってるようなものだよ。

鬼滅のアンチでも熱狂的なファンでもない、中立的な立場からの意見だけれど・・・
“決めつけの刃”って揶揄してる書き込みをちらほら見掛けることがあるけど、原作の有無やその発表時期をちゃんと調べないで、「ただ何となく似ていると感じただけでパクリだ!」って書いちゃう人がいるから、“決めつけの刃”って言われちゃうんだと思うよ。これは、その典型例になっちゃってると思うな。

それにしても、どこが似てるの?
どろろに出てくる鬼や妖怪って、新旧のアニメも原作も炎に焼かれて消滅することはあっても、朝日で消滅したりしないし、吸血鬼に襲われた人が感染してしまったみたいに自分も鬼になるってのはなかったけどな。妖怪に憑りつかれるというのはあったけれど、体を乗っ取られていなければ妖怪を倒せば元の人間に戻れていたし、戦馬のミドロ号の場合は傷が深くてもう死ぬよりなく自らを妖怪に捧げてしまったので妖馬になってしまったけどね…どの辺がパクリなんだか分からないよ。

アニメでは、賽の目の三郎太が自分を鬼神に喰わせて同化させてたけど、でもこれは永井豪が70年代初頭に発表した漫画『デビルマン』みたいだった。デビルマンに出てくるデーモンは、喰った相手を取り込んで同化させることが出来るし、喰われた当事者の意識が残っているパターンもあったんで。

それでもって、アニメでは多宝丸たちが百鬼丸の目や手を生やすシーンがあったけど、これは90年代後半に発表された初期のヴァンゲリオンのテレビシリーズと雰囲気が近かった。エヴァンゲリオンではシンジの乗ってる初号機が腕がもげたとき、初号機がそのまま使徒の腕をもいですげ替えをするシーンがあるし、アニメどろろと鬼滅よりも前に発表された八木教広のクレイモアでも、腕のすげ替えをするシーンがあった。

でも別に、どれもこれも、いちいち誰それのパクリだとか思わなかったけどな。いろいろと参考にはしてるのかもしれないけどね。鬼や妖怪や悪魔って人間からみたら、みんなバケモノだし、人にはできないことが出来るから人外なんだしね。それをパクリだって言ったらキリがないよ。


1345: 1345コメさん 2020/09/16 02:03:40 通報 非表示

>>1341
原作漫画『どろろ』を『鬼滅の刃』のパクリと言ってるのなら、「いやいやいや!!!!んなわけない!!!!!」ってなるけど…

でも、原作とアニメはストーリーがかなり別物だから…純粋に「今作のアニメ どろろ」の、殊にキャッチフレーズになっていた「鬼か人か」を指してパクリだと言ってるのならば、もしかしたら、制作時期が被っていた今作に限っては『鬼滅の刃』の影響を少なからず受けていたかもしれないね。

「鬼か人か」をテーマとして描いた作品としてみたとき、原作漫画『どろろ』は『鬼滅の刃』とは全く似ていないし、発表時期もずっと前なのでパクリも何も影響の受けようがないんだけど、旧作アニメどろろでの最期が印象的だった醍醐景光に『鬼滅の刃』のテイストを加えたら、今作の景光みたいな人になりそうではある…。といっても、今作の景光は鬼神に魂を売ったわりに気迫が感じられず(気迫が感じられたのは第一話だけ)、あるのは妄執のみという感じだったけども。

今作のアニメどろろでは、「人か鬼か」については寿海や琵琶丸の説法めいたセリフに頼り過ぎだった点が物足りなかったなぁ。

テーマを「人か鬼か」にするのなら百鬼丸や景光以外のキャラ、例えば今作では完全にモブ扱いになっていた田之介や賽の目の三郎太や不知火の狂気よりも、彼らに残された「人」の部分にもっとスポットを当てるべきだったと思う。当事者の鬼の部分よりも、今なお心の奥底に残っている人の部分の表現が今作は不十分な為、この人たちが単なる当て馬になってしまい魅力が無くなってしまった分、ストーリーが浅くなってしまったな、と。(ちなみに今作には「叶うなら、遠くまで」っていうキャッチフレーズもあったけど、それも相俟って雰囲気重視みたいになって、後半は特にテーマがブレてしまったんじゃなかろうか…。)

「鬼か人か」に話を戻すけれど、目標に向かって懸命に歩んでいた人が鬼に変化する背景や心情を切々と描き、そのもう一方では鬼になっても人としての感情を消さずに人に戻りたいと願った鬼の有様を描くなど、『鬼滅の刃』は「鬼か人か」というテーマを丁寧に描いていたと思うな。
だから、1341コメさんには「鬼か人か」というテーマを扱った『鬼滅の刃』が真に迫っていて深く心を揺さぶられたので、このアニメどろろは『鬼滅の刃』のパクリみたいに思えたっていうのなら、分かる気がする。


1346: 1346コメさん 2020/09/20 12:55:45 通報 非表示

ひゃっきまるがすき


1347: 1347コメさん 「おもしろい」派 2020/10/25 23:19:57 通報 非表示

とちぎテレビの放送でハマりました!大好きです!

百鬼丸に惚れました。

ブルーレイ買っちゃおうか迷ってます。どろろも可愛くて大好きです。


1348: 1348コメさん 「つまらない」派2020/10/31 16:29:14 通報 非表示

どろろの声がイライラする


1349: 1349コメさん 2020/12/02 19:35:40 通報 非表示

>>1329
鬼滅の刃が嫌いな人には、このアニメは面白いんだろうけど、どろろの原作が好きな私には改変が多過ぎて、原作のキャラの内面的な魅力やストーリーの展開の良さが大きく失われてしまった、このアニメがどうにも好きになれなかった。

だから寧ろ、原作愛が感じられる鬼滅のアニメスタッフにどろろを作って欲しかったぐらいだ。どろろの監督前期のОPとEDと同じぐらい、アニメ本編にも原作愛を注いで欲しかったと思う。

どろろのアニメは前期はともかく後期はストーリーが別物過ぎたし、絵もどんどん雑になってくし、キャラクターに一貫性がないから言動も破綻してるし、アニメとしての出来が良かったとは思えない。


1350: 1349コメさん 2020/12/02 19:47:05 通報 非表示

>>1348
全部アニメのことだけど、私は百鬼丸の身勝手さと、どろろが口ばっかで煮え切らない態度ばっかなところと、寿海がいつまでも過去に囚われてウジウジしてるところと、縫の方がプッツンなところが嫌い!!! 所詮、アニメで架空の人たちなんだけど、本当にこんな人が身近にいたらイラっとすると思うね!


1351: 1351コメさん 「おもしろい」派 2021/01/04 11:50:57 通報 非表示

確かに手塚絵の方は不気味さ、アクション共にあって好き。しかし、現代の子達にとっては少し可愛すぎるかもしれない。そこを考慮して作ったんだとしたらとても良作。原作にもある程度忠実であり、絵も萌えすぎない。


1352: 1352コメさん 2022/01/10 23:01:46 通報 非表示

>>407
え、14?!

最終話まで観たけど、年の割に表現力あって凄いな。


1353: 1353コメさん 2022/01/10 23:04:27 通報 非表示

つまらなくもないしおもしろくもない

ただグロくてトラウマになりかけた、、、w


1354: 1354コメさん 2022/03/03 16:11:43 通報 非表示

>>371
大したアニメだしアンチがすごいってお前のことだろ?


1355: 1354コメさん 2022/03/03 16:12:54 通報 非表示

>>32
わかる!!めっちゃかっこいい


1356: 1354コメさん 2022/03/03 16:13:51 通報 非表示

>>16
うまいしお前の思ってるどろろの声って何なんだよ


1357: 1354コメさん 2022/03/03 16:14:12 通報 非表示

>>17
一話も面白いよ


1358: 1354コメさん 2022/03/03 16:15:13 通報 非表示

>>23
どろろファンに悪口いってんの?ww


1359: 1354コメさん 2022/03/03 16:16:07 通報 非表示

>>36
百鬼丸は百鬼丸だしそんな事言うなら見るな


1360: 1354コメさん 2022/03/03 16:17:26 通報 非表示

>>178
めちゃくちゃじゃねーし話さないと展開に繋がらないからだろ。24話の中でテレパシーとか言ってる場合じゃないし


1361: 1354コメさん 2022/03/03 16:18:21 通報 非表示

>>39
原作好きならアニメも好きになれるだろ 「普通は。」


1362: 1354コメさん 2022/03/03 16:18:55 通報 非表示

>>47
眉毛太いよりも細いほうが普通だろ


1363: 1354コメさん 2022/03/03 16:19:08 通報 非表示

>>49
面白いし


1364: 1364コメさん 2022/03/03 17:16:40 通報 非表示

>>1362
47コメ本人じゃないけど、百鬼丸の眉毛が細いことよりも眉毛が短いのが剃り落したみたいにみえて、昔のヤンキー漫画っぽくって気になったな。


1365: 1364コメさん 2022/03/03 18:49:20 通報 非表示

>>1361
39コメさんじゃないけど、同じく原作好きの立場から意見を言わせてもらうよ。

“原作好きならアニメも好きになって欲しい”というのならば願望を言っているだけだから分かるけど、なんでわざわざ、“原作好きならアニメも好きになれるだろ 「普通は。」”って、「普通」を強調したの??

ここで「普通」を使う意図は何?
原作好きの人はアニメ化作品が面白く感じられなければ異常とでも言いたいの?

アニメ化されたことで、キャラクターの内面が別人になってしまったり、好きなシーンのテーマや印象が別物にすり替わってしまったり、名シーンがことごとくカットされてしまったことで、原作好きがアニメ化作品にガッカリしてしまうことは「普通」にあることだと思うね。

原作好きが実写映画化された作品を観てイメージが違っていてガッカリしたりするのは奇妙でも何でもなく「普通」にあることだし、それはアニメ化作品にも当て嵌まる。

感性は人それぞれだから、もし皆が皆、同じ様に感じるなら、それこそ「普通」ではないことになってしまうし、人からの受け売りや人に同意するばかりで、自分では何も感じず、自分で考えることをせずに作品を観ていたことになるだろうね。

ドラマや映画の1作目のファンで続編を観てガッカリした経験がある人はそこらじゅうに「普通」にいるよ。
だけど、原作付きアニメに限っては、それは当て嵌まらず普通ではないと言うの? それこそ、普通じゃないよね。

1361コメさん限定で言っているのではないけれど、つまらない、面白くないと言うならば、最初から観なければ良いという人はいるけれど、観なければ面白いか面白くないか、自分に合うか合わないかは分からない。

服だって靴だって試着してみなければ、本当に自分に合うかどうかは分からない。本も映画も音楽も、先ずは触れて見なければ感動できるかどうかは分からない。

「原作ファンがアニメや映画化された作品を観るときは、作品に期待もしていて、応援したいという気持ちも普通に持っているよ。」

そう思って観続けても、その作品が自分の感性に訴えるものがなく、魅力がなければ、つまらないと思ってしまうことは仕方のないことだ。

ここは、おもしろい、つまらないの両方の意見を書くサイトだから、39コメさんが「アニメを好きになれない理由を書くのは普通のこと」だと思うね。


1366: 1366コメさん 「つまらない」派2022/03/13 17:03:38 通報 非表示

そこまでじゃないけどあかんわ


1367: 1353コメさん 2022/03/13 17:12:02 通報 非表示

怖すぎて見れんかった(((


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