天国や極楽浄土、黄泉の国などは同じ?別物?


同じに投票しましたが、回答としては同じであり、別のものだと思います。たしかにそれぞれ別物として存在しているけれど、それぞれ互いに対立するものではなく、行き来も自由だと思います。別に仏教徒が天国にいる人に会いにいってもいいし、その逆も然りです。なぜなら神様にとって宗教の違いなど別にどうでもいいと思うからです。もし違う宗教の説く死後の世界に行ったからと「何をしている!この裏切り者めが!」などという神様がいるのならなんと器の小さい神様だと思います。
例えるとするならば、死後の世界という国があり、その中にそれぞれの宗教の説く天国、浄土などの場所が日本で言う県のような感じで存在し、それぞれの神がそこのトップとなる。さらにその中で宗派や教派が市町村のように分かれて存在している。あくまでそれは区切ってあるだけで、仏教県からキリスト教県に移動したりするのは自由です。「ちょっと仏教県の友達ができたから会ってくるね」とキリスト教徒が浄土にやってきても何も問題ありません。
じゃあ宗教なんてひとまとめでいいじゃんかというとそれも違います。なぜならひとまとめにしたとしてそれが万人受けするかはわからないからです。いろんな種類があった方が自分に合ったものを選べるのでかえっていろいろあったほうがやりやすいのだと思います。それこそ本来の宗教のあり方だと思います。異教徒を悪魔と罵り正当なのは自分たちだけだと主張するのはとても幼稚でくだらないと思います。
>>1
死後の世界というのはそれぞれが思い描く理想の世界になっていると思います。生前いい関係を持っていた人、あるいは持ちたいと思っていた人にはいつでも会える、反対に関係が悪くて、お互いにもう会いたくないと思っていた人には会わなくて済む。そういう世界だと思います。もし信じた宗教によって行く世界がまったく別物なのだとすれば、とても仲の良かった家族や友達などが、信じた宗教が違ったという理由だけで永久に会えなくなってしまいます。そんな残酷な話はないでしょう。生きていた時に保っていた関係はそのまま死後の世界にも持ち越され、自分の好きなようになれるのです。もちろん死んでから「やっぱりあいつともう一度話そう」と思えば死後の世界で関係を改善することもできると思います。
宗教は死後の理想の世界に行くための道です。自分で道を選び、それに従えば死後理想の世界へ行けるのです。