ちはやふる 新はピエロで使い捨ては許せない、腹が立つ?太一エンド最高!?


「ちはやふるは千早と新の話」「運命の恋なんて描いてみたい」「太一は2巻で消える予定だった」言って始まり、「新とまたカルタがしたい」「ちはやふるは真っ赤な恋の歌」「(新が千早の札だと言ったチハ札は)どこにいても手が届く」「一生好き」「(好き言われ)細胞生まれ変わったみたい」「あの声をお守りにカルタに向かう」「あの情熱受けて立てる人間に」「ここにいたらいいのに(もう家族)」とか、あれだけ丁寧に積み重ねた新との絆は全部なかった扱いで、卑怯で姑息で嫌がらせとか他人傷つけた太一にあっさり心変わりして終了って、キャラの好き嫌いやどっちがどうのじゃなく、物語の根幹ぶち壊しでおかしすぎでしょ!???
いくら太一祭りしても、最後に2人が結ばれると信じて15年もついてきたた読者は、金づる扱いで使い捨てだし、馬鹿にしすぎでしょ...。
ただの漫画の高校生の恋愛だ、そういうこともあるとか、所詮作品は作者のものとか言えないレベルだよ。
太一は大事だけど恋じゃなかったし、だからこそ新が言った「好き」を「一緒に生きていこっさ」にまで変換した上で振ったのはどこ行ったんだ?
新と生きてく覚悟だったからこそ、あれだけ太一傷つけたと悩んで泣いても太一に心変わりしなかったのに、最終巻で、新エンドだと思ってついてきた読者、もう離れてもいいやってなったら、自分の好きな卑怯で性格に問題あり迷惑行為しまくったイケメンがハッピーエンドで、主人公に作品のテーマのカルタ教えて情熱や夢与え、太一に嫌がらせされるも全て許した、カルタ大好きでまっすぐな善人の新が、最後に当て馬ピエロにされて使い捨てって、太一ファンは大喜びだけど、いくら何でも扱いが人の道に反するし、自分と太一ファンさえ満足できれば、「千早と新の話/運命の恋」で15年も引っ張り続けた残りの読者を苦しめるとか、この末次って人、常人の配慮もまともな倫理観もなく、人格崩壊しすぎじゃないの?
トレパク反省してやり直しいい作品書いてるならもういいだろ思ってたけど、結局人の性格や思想は変わらないんだといういい例。
新が太一がどうより、物語として辻褄が合わないのと、情熱も夢もない卑怯が得して、夢に向かってまっすぐ努力する善良な人間が使い捨てとか、ほんと許せないんだけど!???
こんな話だとわかってたら、読まなかったって人多数だよ!
太一エンドに喜んでる人って、話の辻褄や、卑怯が得はおかしいとか全く考えない人たちなんだよね。
自分が新みたいな扱い受けたり、太一がしたことされたら怒るくせに、イケメン言うだけで全肯定だし、
とにかく「イケメンの片想いが叶ってよかった!」と、そこしか見てない。
作者の印象操作に簡単に操られて、(設定山盛りで全然不憫じゃないのに)「不憫な太一が報われた!」「(部員みんなで支えてたし、離れてもメンタルで支えてたのは新だったし、失恋したら千早傷つけて部活やめたのに)ずっとそばで支えたから当然だ!」、「(女目当てカルタ何と無く続け、振られてやめ、名人目指すでもなく、勝つ気なく翻弄とか言ってたのに)太一は青春全部かけて誰よりも努力してる!」って、事実を客観的にちゃんと見ずに、表面だけ見て、作者にうまく乗せられ、「太一は不憫で報われない努力家」と思い込んでるだけ。
所詮そう言う人たちだけが満足する漫画しか描けない、低レベルの漫画家だったってことだね。
結局太一なんか〜い、と思ってちょっとがっかりした。
でもまぁ、千早がやっぱり太一のほうが好きってなったのも分かるようなわからないようなって感じ。
新 →福井住みでなかなか会えないのはわかりきってた。
太一 →ずっと一緒にかるた部でやってきた。でも突然退部して遠くに行ってしまったように感じた。
ここで太一の大事さに気づいたのかもしれない。
でも前まで新好き好き言ってたから急に太一派になるとは思わんかったけどねw