静岡県の歴史
こんにちは、歴政です。
今回は静岡県の歴史を解説しようと思います。
長くなりそうなので前半・後半で分けようと思いますが、それでも足りなかったら1、2、3…と続けます。
それでは、どうぞ
旧石器時代~奈良時代
旧石器時代~奈良時代で一括りにしたのは、私の勉強不足と静岡で何があったかわからなかったからです。
旧石器時代の浜松市に浜北人という民族がいたらしいです。浜北人は他の地域の民族とあまり変わらないと思いますので、そこんとこは調べといてください。(また勉強不足が出てしまった)
次に、縄文時代を飛ばして弥生時代を解説します。
弥生時代の静岡県の遺跡と言えば、やはり登呂遺跡ですよね。確か弥生時代の人々が米を管理する高床倉庫は、この登呂遺跡で見つかったと聞いたことがあります。
静岡県の古墳、飛鳥、奈良時代に関しては全くわからないので省かせていただきます。
平安時代、鎌倉時代初期
ここら辺になれば誰でも知っているかもしれません。
源頼朝が平氏によって伊豆に流された時に、北条政子と源頼朝が遭遇します。そして北条政子は源頼朝と結婚しようと、父である北条時政に話しましたが、北条氏は平氏の1団体だったので北条時政は困ったようです。ですがそれを北条政子は押し通し、源頼朝と結婚しました。
1180年代、源頼朝は平氏打倒のために兵を挙げ、出陣します。富士川には平維盛がいましたが、鳥の群れというかなんやかんやあって逃げ出し、富士川の戦いは戦わずして頼朝が勝ちました。
山口県の壇ノ浦の戦いで義経により、平氏は滅びたので頼朝は神奈川県の鎌倉に幕府を開きました。それを鎌倉幕府と言い、北条氏は鎌倉幕府を補佐する執権という管理職に就きました。
ちなみに初代執権は政子の父である北条時政です。頼朝の死後、北条政子は尼将軍になり、幕府を支配しました。将軍は、息子である源頼家が就きましたが、実権は政子が持っていました。それに不満を持った頼家は、政子により、修善寺へ流されてしまいます。それから、頼家は入浴中に何者かに暗殺されました。この事件は北条氏が起こしたと言われています。
その後の将軍である源実朝も、北条時政が暗殺を図りましたが、それを北条政子と、息子である北条義時にバレてしまい、伊豆へ追放されました。
鎌倉時代
鎌倉時代の時、静岡県にお茶が伝わりました。そのお茶を伝えた人物というのは聖一国師(円爾)です。
聖一国師は唐に行った帰りにお茶を持ち帰りました。それが静岡茶の原点なのです。静岡県のお茶が全国的になるのはもっと先の話ですが、その歴史は鎌倉時代から続いていたと言っても過言ではないと勝手に思っています。
ここまでのご閲覧、ありがとうございました。
この感じでいくと、前半後半では足りないと思うので細かく分け、解説しようと思います。
よかったら次の投稿も見ていただけたら嬉しいです。
ご閲覧、ありがとうございました。