霊(=肉体の死後も残る意識)は実在すると思う?実在しないと思う?


オーブってある程度の条件が揃わないと撮れないからね
今まで亡くなった数より少ないよね
成仏したって事なのかな
霊は物理現象じゃないんでしょ?
それがなぜ写真に写る?
写真に写るのは電磁波。電磁波は物理現象。
細菌もミミズも昆虫も魚もヘビもブタもサルも人とおなじく細胞でできているよね。魂はどの段階からあるの?人だけ?人ってどこからが人なの?生物の進化は連続的なんだよ。どこまで類人猿でどこからはっきり人とか,そういうのはないんだよ。
よく霊が自分の死体を上から見ると言われるが,「見る」というのは物体に反射した光を知覚すること。
網膜も視神経も視覚中枢もないのにどうして自分の体に反射した光を認識できるの?
>>12
それは生きている人間では限界があるから
霊魂の事なんてほぼわからないんだから仕方ない
まあデジタル化が進んで一時霊やUFOの写真も減ったけど、最近デジタル加工の進歩で本物かわかりにくいものも出てきてる
うさんくささはあるけど、絶対に無いとも言えないし、あると思ってる方が楽しいから
>>13
霊があると思ってるほうが楽しいからそう思っておこうということね。
そういうこと言う人かなりいる。
つまりはご都合主義。
>>15
事故物件以前に、うちの実家は墓地の真ん前だけど、怖いとか思ったことないわ。
霊って「非物質的」なものだっていうけど,じゃあなんで物質でできた世界を認識したり,物質でできたものを動かしたりできるの?
これにちゃんと説明をあたえないと無意味。
ブログ「海底の鳥」より引用
たぶん「霊は存在しない」という意見よりも「霊が存在する」ということを言い出した方が先のはずなんだよ。
そもそも「霊」という精神的実体に対する概念がまだ存在してない時代に「いない」と主張する人は出てこないと思うんだ。必ず「霊というものがいる」と考えた人から発信されて議論は始まると思うんだよ。
と言うことは、まず「いる」と主張する肯定側からその根拠を示す必要があるんだ。それには存在を証明するのが一番明確だよね。だから「『いない』ということを証明せよ」と言う前に、肯定派が「いる」ということを証明するのが先なんだよ。
ところが、説明を聞いた全ての人全員がパーフェクトに納得する形で証明できた人って果たしているのだろうか。どれもこれも最終的には「信じるか信じないかはアナタ次第」みたいな煮え切らない形で終わってるのではないか。心霊写真も心霊動画も自称霊能者の意見も、聞いた全ての人が納得できる解明はできてないんじゃないだろうか。だからどうしてもどこか「言ったモン勝ち」的要素が含まれてるような気がしてならない。
霊が存在するかしないかは、言ってみれば100かゼロかの答えしかないわけで、100側(霊が存在すると言い出した側)がその100を証明できなかったということは、その時点でゼロであることを証明する必要はないと思うんだ。なぜなら100かゼロのどちらかしかない事の100を証明できなかった時点でゼロである事が証明されたことになると思うからだ。
それに人の五感の全て、あるいは五感のどれかで確認できないものは「ない」と判断していいと思うんだ。肯定側が「見える」もしくは「聞こえる」「感じる」と判断してるのは脳であって、それはその人の頭の中でのみとらえてるだけだと思うんだよ。私にだって「(これは自分だけに見えて他の人には見えてないな)」って思うものはあるからね。それはたぶん私の網膜がおかしいのか、または脳が一時的にバグってるんだと思ってる。それを人によっては霊と決めつけるかもしれないけど、私は決めつけることはできない。なぜなら
「これが正真正銘の『霊』の姿」
というものを見たことがないから。
>>24
続き
もしかしてそれが一種の超常現象だとしても、それをすぐに霊と結びつけるのは違和感ある。仮に「現れたがすぐ消えた」という何かがいたとして、それを霊だと決めつける理由は何なのか。数々の心霊動画として流されてる映像の中には、もしかしたら作り物ではない映像もあるのかもしれないけど、作り物ではない映像=「心霊動画」とは決めつけれないはず。
現代の科学では解明できない不思議な事象はあるのかもしれないけど、しかし人って何故かそういう時に霊の仕業と思いたがる。霊どころか死後の世界までもあると思ってる人もいる。なぜそんな想像にすぎない事を信じたがるのか。誰かが死んだ時、人はなぜ存在しなくなったものに手を合わせて思いを伝えようとするのか。肉体は消耗品だから使い物にならなくなったら「意識」だけで存在できると信じたいのか。では脳は何のためにあるのか。今「意識」できているのは脳があるからじゃないのか。死んだら肉体全てがなくなるのだから脳もなくなる。それでも意識だけで存在できると思うのか。死んだら生まれる前の「無」の状態に戻ると考えるのが一番リアリティがあると思うのだけど…。
よく「死んで楽になりたい」と言う人がいるけど、死んだら楽になるわけではなく無になるのだから楽になるというのとは意味が異なる。
霊魂だけで存在できるのだとしたら肉体を手に入れる前にはどこにいたのか。その頃の事覚えてる人っているのか?霊魂には記憶するというシステムがそもそも無いとか?もしそうだとしたら肉体が滅びたらまた元の霊魂とやらに戻っても肉体があった頃の記憶って持ってないはずだから人間がそれに向かって手を合わせる意味はゼロだよね。記憶してないんだから霊魂からしたら「なんかオレ手ぇ合わされてるんだけどナニ?あんた誰?」ってなるよ。