生まれて誰かの為にならないなんてことはありえん
人それぞれいい所が一つは絶対にあるんだからそれと同様だと思う
価値ない人間は居ないんじゃないかな
#人間の生きてる価値は少なくともあるだろ!!
今日、「生産性」という物差しで、人間の価値を測るような世の中の風潮が強まっている。インターネットを開くと、障害者や高齢者を“社会のお荷物”とみなすような露骨な投稿や主張を目にすることも多い。
「障害者って、生きてる価値はあるんでしょうか?」
「なぜ税金を重くしてまで、障害者や老人を助けなければならないのですか?」
「自然界は弱肉強食なのに、なぜ人間社会では、弱者を救おうとするのですか? 優れた遺伝子が生き残るのが、自然の摂理ではないですか?」
こうした素朴で露骨でデリカシーのない問いや主張は、今日の日本が抱える財政難や混迷を続ける経済状況を背景にますます増長し、力を強めているようにも思える。
2016年7月には、神奈川県相模原市の知的障害者施設で、19人の障害者が殺害され、27人が重軽傷を負うという衝撃的な殺傷事件が起こった。事件を起こした元施設職員の男は、「障害者はいなくなった方がいい」「障害者は不幸をつくることしかできない」との主張から犯行に及んだと報じられている。
渡辺さんは2018年に出版した『なぜ人と人は支え合うのか』(ちくまプリマー新書)でこの事件を論じて以降、事件を起こした植松 聖(うえまつ・さとし)被告と手紙のやりとりをし、実際に拘置所での接見を重ねるなど、事件や今の風潮の根底に何があるのかについて考え続けている。
「犯行から3年以上たった今でも、植松被告は『重度障害者は安楽死させるべきだ』という考え方を変えていません。自分は殺人者ではなく、社会を重度障害者から解放した『救世主』であるとも主張しています」と渡辺さんは言う。
「とはいえ、私自身も胸に手を当ててみれば、若い頃は障害や福祉の問題を『人ごと』と考えていましたから、植松被告と似たようなことを漠然と思っていなかったかというと自信がありません。もちろん、『障害者はいなくなった方がいい』などとはっきり考えていたわけではありませんが、植松被告やそれに同調する人たちの考え方を高見から全否定するのではなく、そうした考え方が果たして正しいのかどうかを、わが身に照らしてじっくり吟味する必要があると思っているのです」
生まれてこれることは奇跡なんだよ。
一つの命を大切に生きようよ。
無駄な命なんてこの世にないから。
大切じゃない人なんてこの世にいないの。
全ての人間に存在価値がある
それを決めるのは他人じゃない自分でしょ
人間って生きてる価値ないとか言う人結構いるけど、私はそうは思わない
あくまでも個人の考えだからみんなに押し付けるつもりは別にない
でも普通に考えて人間に価値ないわけないと思う
誰もがみんな生まれてきただけでもうそれで価値あるんだよ