学生の想像する勉強は、参考書や問題集など、教材に沿って学習する、、程度の意味しか持たない。しかし、世間一般で言う勉強は、研究など、自発的で開発的な意志を持つ学習を含んでいる。ここで本題に入るのだが、まず、参考書や問題集に沿って学習することは、その参考書や問題集の著者からの洗脳を受けるのと同義だ。これは、教師からの授業、危機感を煽る発言などにも同じことが言える。その洗脳を受けることによって、我々は世間から見て優れている人間に少しずつ近づいていく。つまり、理想的な人間になるように洗脳、これは、我々の現状の世間を根本的に否定する開発的思考を排除しているのと同義であるのではないか。勉強のもう一つの定義、自発的で開発的な意志を持つ学習についてだが、我々がこの学習をすることで、その学習に沿った思考が我々の思考の根本に位置することになる。つまり、この場合の勉強もまた、学習分野に洗脳されるという側面を持っている。この場合もまた、現状の世間を根本的に否定する開発的思考を排除しているのと同義であるのではないか。
私が考えるのは、一番新鮮で、鋭くて、開発的思考を持つ瞬間というのは何の固定観念や受けてきた洗脳を忘れ、完全に無の状態から思考を開始する瞬間である。例示はしないが、これを読んだ人思い当たる経験があるのではないかと思う。

