死生観に興奮する
はいどーもっ てんたけしです。
僕はすごく小説が好きで、特に好きなジャンルがあります。それは死生観を語った本です。たとえば、山田悠介の自殺プロデュースとか。まず、死生観とは、「生きることと死ぬことに対する考え方」です。人がどんな気持ちで生きてるかとかどんな気持ちで死んでゆくのかなど、人の生についてのことです。ここの一番のおもしろさは、自分と比べた時です。例えば、僕は人とのコミュニケーションが苦手で、吃音もあってそこからのいじめ、、などとてもつらくて、一時は死にたいと思っていました。しかに、本の登場人物はもっと大きな理由でも、生きたいと思ってたりします。最近読んだ本では、山田悠介の二ホンブンレツなんですが、親にも恋人にも会えなくなってもそれでもなんとか会おうとした主人公がいました。このように、主人公に比べたら自分なんてちっぽけな理由だなって思ったりします。そんな面白さがあります。
そして、僕の何冊か読んだ末の結論では、生きたい人ほど、状況がつらく、簡単に死ぬとかいう人はそこまで大きな理由じゃなかったりします。人間は個性にあふれているのでみんなおなじくそうだとは限りませんが。しかし、そうゆう傾向があります。
また、死ぬことへの恐怖についてですが、基本的な価値観としてはものすごく怖いと思います。だれだってそうですよね。死にたくない死にたくない。それが普通なんです。自殺をする人っていうのは、その恐怖を超えたなにかがある人です。人生を放棄できるほどのとても大きな何かが。ストレスなどが一番多いですかね?でもそうゆう感情もなくて、何もないのに死ねと言われたら死にたくないですよね?死生観を主にした本では、そうゆう死にたくないのに、、っていうところもあります。個人的にこれが一番面白いと思います。死ぬ直前はどうする?とか。現実だと、例えば死刑とか、殺人とか。死んだ本人はまだ生きたかっただろうに、、世間、周り、家族がこいつは危険だと思うから、そうなります。ここは胸糞ですね。しかしこれは人間の本能です。人間は恐怖対象を排除しようとします。みなさんもわかりますよね?殺人とかした人が近くにいるって思ったら誰だって近寄りたくない。こっちにこないでほしい。どっかいけ、、、、最終的には死ねって思いますよね?仕方ないといえば仕方ないことなのです。では、冤罪の場合はどうでしょうか?いや、もし、冤罪だったらどうでしょうか?後悔しません?なんで、なんで、なんで、って。人間は一度死んだらもう元には戻りません。そこが面白ポイント二つ目です。死は人間の最後なのです。簡単に扱える代物ではないですね。なので僕は、人に簡単に死ねって言う人を軽蔑します。そうゆう人は本当の死を体感したことない人です。実は僕もそうです。まだ死についてよくわかっていません。小説などではたくさん見てきたのですが、実際にはありません。これからの人生で、ぼくの疑問が解ける日が来るでしょう。話がそれましたが、皆さんに死生観の結論として伝えたいのが、死を軽くあつかってはいけないということです。文章長すぎるので、最後まで読んだ人にしか伝わってないとおもいますが。何があっても死を軽く見てはいけません。僕は3年A組というドラマにとても共感し、心を打たれました。僕が言いたいことがまとまってるドラマだと思います。最後にもういちど。死を軽く扱ってはいけません。例などは、あえてあげません。死生観は個人個人が理解して成り立つものです。では。伝わればいいな。読んでくれてありがとう。お疲れ様w
>>3
いや、これ見て自分についてトピック作って話そうかなって思いました。(きっとつまんねーのができる)
>>11
あー思い出した!
あれでしょ、音楽奏でたら逆に生きる勇気取り戻しちゃって、それで屋上から突き落とすやつ