【歴史から見る】アフガニスタン政権崩壊、なぜ起こった

7 2021/08/21 23:32更新

前回の記事で、次回は「政党を見る」シリーズの第2弾を投稿するとお伝えしたが、急遽予定を変更して、アフガニスタンについての記事を書かせてもらう。

8月15日、アフガニスタンの首都カブールに反政府武装勢力「タリバン」が進攻し、政府に対する勝利宣言を出した。一方、ガニ大統領は国外脱出し、事実上、政権が崩壊した。カブールの空港では国外脱出のために大勢の人が集まり、飛行場まで人がごった返すパニック状態となっている。

なぜこのような事態になってしまったのだろうか。それは、中東の歴史を学べば見えてくる。

ソ連アフガン侵攻、混乱の始まり


中東混乱の歴史は1979年に遡る。東西冷戦の最中、凍らない港、所謂「不凍港」と、「緩衝地」としてアフガニスタンを安全保障上の要地と見ていた社会主義国家ソビエト連邦は、アフガンで反社会主義勢力が蜂起したことを受け、アフガンへの軍事介入を始めた。これが日本で一般的に言われる「ソ連アフガン侵攻」である。

もとより、アフガンの人々が大切にしているイスラム教を含めた「宗教」はソ連の掲げる「共産主義・社会主義」とは相反するものであった。アフガンの人々はイスラム世界を守るための戦い、「聖戦」という意味のある「ジハード」を掲げ、ソ連軍に対抗せんとする。これが「第一次アフガニスタン紛争」である。

当時、アメリカと共に「世界の二大国」として覇権を争っていたソ連のソビエト連邦軍相手に、アフガン勢力では勝ち目はないはずだった。

だが、この紛争に目を付けた大国がいたのだ。ソ連と覇権を争う西側諸国のトップ、アメリカである。アメリカはアフガン側を支援することによってソ連の弱体化を目論んだのだ。アメリカはパキスタンを通してアフガニスタンに最新鋭の兵器を大量に送り込んだ。その一つが「携帯型防空ミサイルシステム・スティンガー」である。このスティンガーは専門知識のないアフガン戦闘員でも容易に扱うことができ、尚且つ発射とともにソ連軍のヘリコプターのエンジン熱を探知し自動で軌道を修正するという優れものであった。このような最新兵器を手にしたアフガン兵士とソ連軍の戦いは泥沼化し、1989年にソ連がアフガンから撤退。ソ連は疲弊し、崩壊への道をたどることになる。

実は、この第一次アフガン紛争にはアフガン勢力を援助するため、近隣のイスラム諸国から多くの義勇兵が駆けつけていた。その中に、後に米同時多発テロの首謀者となる「ウサーマ・ビンラディン」が含まれていた。アメリカにとっては、宿敵ソ連の崩壊への思惑が当たった一方で、後に米史に屈辱的な事項を刻む人物を、この紛争で支援していたことになるわけだから皮肉なものである。

さて、ソ連軍が撤退し、アメリカも関心を失ったアフガニスタンには、荒れた大地だけが残った。そこから、アフガン内で民族紛争が始まる。「第二次アフガン紛争」である。

そして、この争いに目を付けたある国が、紛争に介入し、事態は混乱を極めることとなる。そのある国というのが、「パキスタン」である。

パキスタンという国はイギリスの植民地政策の影響で、インドと非常に仲が悪い。アフガニスタンがインド側の国になることを恐れたパキスタンはアフガンの民族紛争に介入し、アフガンをパキスタン側の国にしようと企んだのだ。

第一次アフガン紛争の際、戦いから逃れるために多くの難民がパキスタンに流れ込んだ。あるパキスタンの難民キャンプで、行き場を失った学生たちに近づいたパキスタン系の「教育者」は、イスラムの教えを捻じ曲げた過激思想を難民学生たちに教え込み、洗脳した。そうして出来上がったイスラム過激派の組織こそが「タリバン」なのである。(「タリバン」というのは「学生」と言う意味がある)

イスラム過激思想に洗脳されたタリバンは武器を持ってアフガン民族紛争に介入を始めた。

実は、パキスタンは第一次アフガン紛争の際にアメリカからアフガンに流すよう渡された武器を、一部くすねていたのだ。その最新兵器を片手に、タリバンはアフガンに侵攻。勢力を拡げ、1996年に首都カブールを占領し、「アフガニスタン・イスラム首長国」の樹立を宣言した。これにより第二次アフガン紛争は終わりを迎えることになる。

湾岸戦争と同時多発テロ


第一章では義勇兵としてアフガニスタンで戦っていたビンラディン。実はこの男、中東の大国サウジアラビア王国の御曹司なのである。イスラムの聖地メッカを有し、石油も大量にとれる、中東のドン、サウジアラビアの有力者がテロリストになったのは何故なのか。第二章ではそこにも注目していこう。

時は1990年。長く続いた冷戦も終わり、ソ連は崩壊寸前、アメリカも中東に関心を失っていた。

この状況をチャンスと見た男がいた。当時のイラク共和国大統領、「サッダーム・フセイン」だ。フセインは潤沢な石油資源を手にするため、隣接する小国、クウェートに攻め込んだ。「湾岸戦争」の勃発である。

面白くないのがサウジアラビアだ。「イラクはそのままサウジアラビアに攻め込むのではないか」と考えたサウジアラビアは、イラクに対して警戒感を強めていた。そこに声をかけたのがアメリカだ。今でこそ石油が採れるアメリカだが、当時は中東の争いによって石油の輸出が止まれば死活問題だ。そこで、米軍とアラブ系諸国との多国籍軍を作り、イラクに対抗することにしたのだ。

これに猛反対したのがビンラディンである。なんせイスラムを守るために遠く離れたアフガニスタンまで戦いに行く男だ。古くから確執のある、キリスト教の国の手を借りて国を守るというのは許せなかった。米軍がイスラムの教えを無視し、聖なる中東の地で、酒を飲んだり肌を出したりするのも反対の理由のひとつだった。

しかし、いくら有力者とはいえ王に歯向かうことは許されなかった。ビンラディンはこれによってサウジアラビアを追放されたのだ。

米アラブの多国籍軍がイラク軍と戦っている最中、祖国を追放され行き場を失ったビンラディン一派はアフガニスタンに向かった。持っていたのは偏にアメリカを憎む心だけである。そこには第一次アフガン紛争で共に戦ったかつての戦友がいる。その仲間たちと、ビンラディンは、第一次アフガン紛争の際にイスラム教スンナ派を主体として結成した「アルカイダ」を国際テロ組織に発展させる。

一方、米アラブ多国籍軍はイラクをクウェートから追い出すことに成功した。湾岸戦争は「一国の横暴を止めるため、多くの国が団結した」という歴史的に珍しい戦争としてその名を残すこととなった。

アルカイダを率いるビンラディンは中東を混乱に陥れ、自分が祖国を追われる原因を作ったアメリカへの復讐として、あるとんでもない作戦を計画していた。それが、旅客機をハイジャックし、アメリカの富の象徴とも言える世界貿易センタービルに突っ込ませるという内容の、「アメリカ同時多発テロ」である。

2001年9月11日午前8時46分40秒。

その時がやってきた。

ハイジャックされたアメリカン航空11便が世界貿易センタービルの北棟に突入した。これで数百人が即死。11便のジェット燃料によって爆発的な火災が起きた。

この時点では旅客機の衝突はテロ攻撃ではなく事故であるという見方が大勢を占めていた。だが、午前9時02分59秒、ユナイテッド航空175便が南棟に突入し、爆発炎上した。11便の突入をテレビが生放送で伝えていた中での出来事で、全米を震撼させた。世界のtop of topであるアメリカが、テロによって屈辱的な思いをすることとなったのだ。

当然、アメリカは報復を考える。全精力を挙げ、首謀者がビンラディンであることを特定し、アフガニスタンにビンラディンの身柄引き渡しを要求した。

だがアフガニスタン・タリバン政権はこれを拒んだ。「仲間を裏切らない」というイスラムの教えを守る、ジハードの一環である。

怒り心頭のアメリカは、同時多発テロ時に、合衆国議会かホワイトハウスに突入することを狙いとしてハイジャックされていたユナイテッド航空93便の乗客らが、テロリストから飛行機を奪還しようとした際に合図の言葉とした「Let's Roll.(さあやろうぜ)」をスローガンとし、(93便は議事堂及びホワイトハウスには突入できず、墜落した)「不朽の自由作戦」の名の下にアフガンへの報復戦争を開始した。

世界一の軍事力を誇るアメリカを中心とした、欧米諸国による多国籍軍は、わずか二ヶ月ほどでタリバン政権を崩壊させた。

一方、ビンラディンは逃亡。アルカイダの構成員も散り散りに逃げ、行方が分からなくなったのであった。

アメリカの責任は?


アメリカの中東介入は止まらない。2003年には「イラクに大量破壊兵器を作っている疑いがある」として国際社会の反対を押し切りイラク戦争を開始。徹底的な空爆を繰り返し、多くの死者を出した。フセイン独裁政権が崩壊した一方、開戦の大義名分となっていた「大量破壊兵器」は結局、見つかることはなかった。2011年にビンラディンが米特殊部隊によって殺害され、イラク戦争は終わりを迎えた。

このイラク戦争をきっかけに、イラク国内ではスンナ派とシーア派の立ち位置が逆転。支配体制をしいていたスンナ派はシーア派からの弾圧を恐れて武装。これに「対米憎悪」の共通点を持つアルカイダが近づき、分裂していくなかで「イスラム国」が生まれた。

一方、タリバン政権が崩壊したアフガンでは、タリバンの残党による抵抗が続き、それを米軍治安部隊が抑えるという構図が取られることになった。

アメリカはアメリカで事情があった。20年近く続く「米史上最長の戦争」に国民はうんざりしている。なぜ、遠く離れた中東の地のために、アメリカの若者が命をかけて戦わねばならないのか。このような意見が米国内で飛び交うようになったのだ。何より大きいのが、アメリカで石油が採れるようになったこと。これにより、アメリカの中東への関心は一気に薄れることとなった。

米トランプ前政権は、2019年、「タリバンがアフガンを攻撃拠点としないこと」を条件に段階的な米軍撤退でタリバンと和平合意を結んだ。20年続いたアフガン報復戦争の終結である。

だが、それが終わる前にトランプ氏が大統領選で敗れてしまった。アメリカではバイデン新政権が発足。問題なのがこの後だ。

バイデン大統領は米軍撤退の期限を9月11日に延長した。これは、タリバンからしてみれば約束を反故にされたに等しい。そして何より問題だったのが、バイデン政権が撤退を「無条件」にしてしまったことだ。これにより、アメリカはタリバンの行動に文句がつけられなくなった。

アフガニスタン軍にも問題があった。アフガン軍では上層部が腐敗し、兵士に対する給与未払い問題などがあり、兵士の士気は非常に低かった。タリバンが攻め込んできたら即座に軍事施設を明け渡すようなことも多々あったようだ。

バイデン大統領は演説で、「われわれのアフガニスタンにおける任務は国家を樹立することでは決してなかった。われわれの唯一の重要な国益はアメリカに対するテロを防ぐことで、いまもそうだ」と述べた。前政権の「米国第一主義」を厳しく批判し、国際協調を謳ったバイデン大統領だが、この撤退と演説は「米国第一主義」以外の何物でもないだろう。

今回の件でバイデン政権の「見通しの甘さ」、もっと言えば「無計画さ」が露呈した。今、アフガンではタリバンから逃れようとする多くの国民が空港や国境で苦しんでいる。女性の権利、子供の安全に非常に大きな懸念がある。それでもアメリカは、自国内の世論によって、その人々を見捨てたのだ。

日本はどうか。国防を米国に頼っているという点では、アフガンと大差はない。バイデン大統領は「日本とアフガンは別だ」と述べたが、正直言って信用に値しない。他国に安全保障を頼ることの恐ろしさを、日本は目に焼き付けておかなければならない。

タリバンを擁護しようとは思わない。だが、今回の米軍撤退が良いものだったかと聞かれれば、それは違う。「アフガンのためにアメリカの若者が死ぬのはおかしい」「アフガン政府軍は自国を守る気がない。アメリカが手を貸す義理はない」「もう中東の石油に頼る必要はない。アフガン駐留はコストに見合わない」わかる。全て理解はできる。

だが、冷戦での勝利のために、大量の武器を中東に流し込み、紛争の火種を作ったのは誰か。中東での紛争に積極的に介入し、混乱を招いたのは誰か。根拠のない言いがかりをつけて、イラクを攻めたのは誰か。後々のことを考えず、スンナ派を追放し、宗教内対立のきっかけを作ったのは誰か。

テロに屈しない姿勢、自由を拡げようとする姿勢、それはご立派だと思う。だが、欧米的な価値観でイスラム諸国に介入し、中東地域を引っ掻き回したのは紛れもなくアメリカだ。撤退するなとは言わない。だがせめて、自分達が起こした混乱の尻拭いはすべきだっただろう。その観点から、今回の撤退は時期尚早過ぎた。

とにかく、タリバン支配で苦しむ人が、いち早く安全な暮らしを得られることを願うばかりである。

終わりに


次回はシリーズの続きをやることになると思う。是非そちらもよろしく

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政治と経済2021/08/21 22:47:52 [通報] [非表示] フォローする
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1: *海音 @shokupanman 2021/08/21 22:49:34 通報 非表示

次回たのしみにしてます


今日も記事を読んでいただきありがとうございました。
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3: *海音 @shokupanman 2021/08/21 22:52:30 通報 非表示

>>2
Twitterやってないのでできないです

すみません

ですが、あなたのその活動はすばらしいとおもいますよ


いっつも勉強になります!

塾でニュース見ておいてねと言われたけどこれほど深く知れるとは…

時事問題の対策にもなるのですごく助かってます!

次回も読ませていただきます(*⁰▿⁰*)


勉強になります!

次回以降も見させてもらいます!


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