エブリシングサンズとジョルノ・ジョバーナはどっちが強い?


ジョルノ(最強論)について:
「GERは自分に危害が加わることをなかったことにして、殴っただけで無限の死を与える」
「強さ比べのジョルノは同次元スタート+ステータスが計りきれない=無限でしかねぇ!」
「無限じゃなくて無限とは別の0=1」
「ステータスの無し=絶対無限」
「真実は絶対無限をも包容する」
「ステータスのなしは、スタンドのステータスは無限がいるから無限まで測れることになって、GERはなし(測定不能)だから無限を超越になって、絶対無限になった」
「GERは何でもありだから+ステータス無限、改変、あらゆる意思動作をゼロに戻すになる」
「ジョルノはスタンドを使わずとも、相手にそのまま攻撃を返せるし、相手の能力とか無効化できる」
「tiktokで現実の人間にも勝ってた事がある。」
「最強論=通常論(原作)である」
「全てのフィクションをぶっちぎりで超越した存在」
「天国DIOに敗北した事については、設定崩壊だからノーカン」
「GERの前にたった全ては真実に到達することが出来ない」
「GERの前に立つ対象が真実に辿り着く際、それはGERに好都合な真実へと辿り着く」
「真実が絶対的領域なのはどうやらディアボロのエピタフの未来視も絶対的領域にあるものらしく、それを阻止したので同じく絶対的な真実と言われてる。」
「絶対的真実とは、「真実は一つだけ」理論(一つしかない未来が絶対的真実)」
ジョルノ(最強論)の絶対的真実は、絶対無限と同じ言葉や表現などで表せる領域を超えたものと言われてるが、実際、絶対的真実は「真実はいつもひとつ理論」(普通の真実も一つ)と「絶対的未来」という名の100%これから起こる只の未来の事です。そういう未来は並行世界でいくらでもありますし、それに、その未来はディアボロの時飛ばしだけ変わりますし、この事から、この未来は時の概念に囚われる只の未来で、「絶対的未来」いう割には言葉で表せるような物であり、絶対無限どころか時間軸にさえ遥かに劣るものである。
ジョルノ(最強論)の絶対無限は、ステータスなし=絶対無限だったら、普通の人間であるボス(ディアボロ)を一撃どころかその風圧でも食らえば死ぬはずだが、劇中ではボスがGERの瓦礫ショットに手を貫かれても生きており、GERの無駄無駄ラッシュを数発耐えて生きてる描写がある為、絶対無限ではない(そもそも、ステータスが無限でも、惑星を破壊できない存在もいるからそれに近いだろう)。
GERの本体である"ジョルノ"は、普通の人間な為、耐久力は勿論、全て(精神力以外)が普通の人間と同等なのが弱点。
後、ジョルノの過去は心が折れたるぐらい悲惨であり、ギャングの助けたがなかったら、道を外していたかもしれない為、ジョルノの過去は致命的な弱点とも言える。
スタンドはスタンドでしか攻撃できない設定をよくマウントで使われているが、原作でスタンドじゃない存在「振り返ってはいけない小道」の"無数の手"は、アニメ版でキラークィーンを明確にダメージを与えるシーンがあり、露伴先生を死なせないで、チープトリック(人間に寄生して強制的に自分のスタンド使い(スタンドとスタンド使いは表裏一体でスタンドが死ぬと人間死ぬ)するスタンド)だけを倒したりしてるので、スタンドじゃなくても倒せる。
ジョルノ(最強論)の対峙が常時なのはTikTokのルール上、対峙から始まるから常時扱いされているのであって、対峙前から始まるルールなら常時ではないし、GERはそもそも、対峙で発動するスタンドではなく、攻撃してる者に発動するスタンドです。
GERが対峙発動系スタンド扱いされているのは、能力をかっこよく言ったら本来の能力と違う事を言っちゃってるセリフから信者が都合よく解釈した結果です。
ジョルノ(最強論)の絶対無限は、スタンド能力ステータスが無限大となしがあって、無限大よりなしの方が強そうだから。
しかし、ステータスのなしがあるのはGERだけじゃなくて、ボヘミアン・ラプソディーやスカイ・ハイもステータスになしが存在する。
ちなみに、スタンドのステータスの無限大(例:メイド・イン・ヘブン、ボヘミアン・ラプソディー)は、本当の無限ではなく、人間視点からの無限ようなステータスであると思われる。(実際にラプソディの効果範囲(射程距離)は全世界に及ぶが、地上から約10000m以上には達しない。)
ステータスなし=絶対無限だったら、普通の人間であるボス(ディアボロ)を一撃どころかその風圧でも食らえば死ぬはずだが、劇中ではボスがGERの瓦礫ショットに手を貫かれても生きており、GERの無駄無駄ラッシュを数発耐えて生きてる描写がある為、絶対無限ではない(そもそも、ステータスが無限でも、惑星を破壊できない存在もいるからそれに近いだろう)。
ジョルノ(最強論)の絶対的真実は、絶対無限と同じ言葉や表現などで表せる領域を超えたものと言われてるが、実際、絶対的真実は「真実はいつもひとつ理論」(普通の真実も一つ)と「絶対的未来」という名の100%これから起こる只の未来の事です(ちなみに、なんでジョルノの真実が絶対真実と呼ばれてるかと言うと、ディアボロが「エピタフの未来は絶対だ」とか番組のカットインでエピタフの説明で絶対と書いてあったのを信者が利用して、都合のいい結果にした結果)。
そういう未来は並行世界でいくらでもありますし、それに、その未来はディアボロの時飛ばしだけ変わりますし、この事から、この未来は時の概念に囚われる只の未来で、「絶対的未来」いう割には言葉で表せるような物であり、絶対無限どころか時間軸にさえ遥かに劣るものである。
ジョルノ(最強論)の最大の武器は「絶対的真実」や「絶対無限」、「無限の死」ではなく、ジョルノ信者の数と暴論である。これにより、どんな相手だろうと弱体化させ、無理矢理ジョルノを勝たせようとする。
ジョルノ信者はとにかく、他のキャラにマウントをとりたがる。
ジョルノ信者はジョルノを最強に仕立て上げる為、暴論でジョルノを強化するのではなく、相手(他のキャラ)を弱体化させたがる。(「真実超越→真実以下(絶対的真実という名の只の真実に支配される)」や「常時→任意」や「最強→雑魚」って、感じ弱体化させる。)
気に食わなかったら、ジョルノ最強論信者のスレバトル(暴論)で解決するのがジョルノ信者である。
結論:ジョルノ最強論は、ジョルノ最強論信者がでっちあげたジョルノis最強の茶番劇に過ぎない。