愛知戸塚ヨットスクール虐待死事件

9 2023/10/11 18:10

こんにちは!私は両親から小さい時から虐待を受けていたのがきっかけで、将来、児童虐待防止の中心的役割を果たす「児童福祉司」という仕事を目指している中学生です。虐待で辛い思いをする子、亡くなる子供が少しでも減るよう、このブログで少しでも児童虐待防止のお手伝いが出来たらなと思います。私の名前とプロフィール画面にあるオレンジリボンは児童虐待防止のシンボルマークです。

*今、児童虐待を受け、悩んでいるお子さんや、子育てに悩んでいる親の方たち、もしよかったら雑談チャットにお越しください。相談に私でよければ、乗ります!😄

他にも、児童虐待に関する質問などあったら、回答します!

今回の記事...1983年までに愛知県知多郡美浜町のヨットスクール「戸塚ヨットスクール」内で発生、発覚して社会問題に発展した虐待事件を取り上げました。

事件の概要


事件の被害者...少年(13)2名、青年(21)1名、少年(15)2名

事件の加害者...戸塚宏氏、コーチ3人

発生地   ...愛知県知多郡美浜町のヨットスクール「戸塚ヨットスクール」

虐待の種類 ...心理的、身体的

虐待理由  ...体罰を肯定していた。

死因    ...少年(13)=低体温症 少年(13)=外傷性ショック死 青年(21)=溺死 少年(15)1名=溺死 少年(15)1名=行方不明

発覚経緯  ...警察の遺体調べ

いつ    ...1979〜1982年

事件の内容


戸塚ヨットは、元々「子どもたちにヨットの楽しさを教えたい」という戸塚氏の希望から、76年に「戸塚ジュニアヨットスクール」として開校しました。

当初は「体罰」もなかったというが、あるとき「登校拒否」の子がスクールに参加します。

スクールの卒業後、「登校拒否」が劇的に「治った」という取材記事が新聞に載りました。

「登校拒否」の子を持つ親たちがその報道に反応し、スクールに我が子を入校させるようになります。

そこから「情緒障害児」を改善するスクールとして知られるようになり、テレビ報道などで脚光を浴びます。

戸塚氏は「体罰」を肯定する教育論を主張するようになり、「教育か体罰か」の議論がメディアで白熱することとなります。

1979年、少年(13)が激しい腹痛を訴えていたにもかかわらず、戸塚らは医師の診察を受けさせずに暴行を加え、訓練を強制した末、少年は亡くなりました。戸塚側は「低体温症によるもので体罰との因果関係は無い」と主張し、警察は病死として不起訴にしました。

1980年11月4日、特別合宿生として同年10月31日から入校していた青年(21)が、早朝体操、穴掘り作業、海上訓練などの際にコーチらから暴行を受け、亡くなりました。戸塚及びコーチらは傷害致死罪で起訴されました。

1982年8月14日未明、鹿児島県・奄美大島での夏期合宿を終えた少年2名(15)が、体罰から逃れるため、高知県沖の太平洋を航行中の船から海に飛び込んで行方不明となり、その内、1人の死亡が確認されました。後の1人は、まだ行方不明です。戸塚及びコーチらは監禁致死罪で起訴されました。

1982年12月12日、少年(13)が特別合宿中に亡くなりました。入校一週間で早朝体操、自主トレーニングなどの際に暴行を受け、海上訓練の際には、戸塚宏とコーチらがヨットから何度も海に転落させられたそうです。少年は、12月9日頃からは食事もほとんど摂らなくなり、12日に亡くなりました。この間、一切治療は行われませんでした。戸塚及びコーチらは、傷害致死罪で起訴されました。

当時13歳だった少年の母親は新聞のインタビューで、「出所後も焼香や謝罪は一切無かった。再犯が懸念される」という旨のコメントをしている。また、1982年にフェリーから海に飛び込んだとされて行方不明となっている少年の父親は同じく実名で「息子が本当に船から海に飛び込んだのかどうか未だにわかっていない。本当は突き落とされたのではないか」とコメントしている。

一連の事件は、日本において体罰の是非を問う討論等でたびたび参考として出され、また個人の教育論の展開(講演会や商業書籍の執筆など)のために、引き合いに出されているほど、体罰事件として有名になりました。

裁判...1992年7月27日、名古屋地方裁判所(小島裕史裁判長)は、1980年に起きた青年の事件と、1982年に起きた少年の事件についてそれぞれ傷害致死罪の成立を認め、あかつき号事件について監禁致死罪の成立を認めました。その上で、戸塚宏さんに懲役3年、執行猶予3年(検察側の求刑は懲役10年)、コーチら9人に懲役1年6ヶ月から2年6ヶ月、執行猶予2年から3年を言い渡しました。

執行猶予となったのは、戸塚さんと、1人をはぶくコーチ8人について起訴後の勾留期間が1100日を超えていること、Cについても起訴後の勾留期間が1000日近いことが量刑上考慮されたためです。弁護側は、体罰が正当業務行為であると主張していましたが、この主張は退けられました。なお、コーチ1人は、強制わいせつ罪についても起訴されていましたが、これについては無罪となりました。

この判決に対して、検察側と戸塚さん、コーチ5人が、裁判所に不服を申し出ます。

もう一度裁判...1997年3月12日、名古屋高等裁判所(土川孝二裁判長)は「訓練は生徒達の人権を無視し、更生の名目で数々の暴力を振るった。もはや教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚宏さんに懲役6年、コーチ1人に懲役3年6月、コーチ1人に懲役2年6月、コーチ1人に懲役3年の実刑判決を下し、2人のコーチについて執行猶予判決を下しました。

また、一審判決では、青年、少年(13)の死因について外傷性ショックであるとの認定がなされませんでしたが、二審判決では、いずれも外傷性ショックが死因であると認定された。この判決に対して、戸塚さん、コーチ3人の4人は即日裁判所に不服を申し出ました。

最後の裁判...2002年2月25日、最高裁判所(福田博裁判長)は二審判決を支持して、戸塚らの上告を棄却しました。これで戸塚宏さんの懲役6年とコーチ陣ら起訴された15人全員の有罪が確定判決となりました。起訴から結審まで19年を要する長期裁判となりました。

他のコーチの裁判...1983年11月10日、名古屋地方裁判所(卯木誠裁判官)は、元支援者1人に対して懲役8月、執行猶予2年(求刑懲役1年)を言い渡しました。

1983年12月19日、名古屋地方裁判所(早瀬正剛裁判官)は、元コーチ1人に対して懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)を言い渡しました。元コーチは、不服を申し出ず、有罪判決が確定した。

1985年2月18日、名古屋地方裁判所(橋本享典裁判長)は、元コーチ1人に対して懲役2年、執行猶予2年(求刑懲役2年6月)を言い渡しました。

事件後...2006年4月29日、満期で戸塚さんが静岡刑務所を出所しました。戸塚さんは記者会見で「体罰は教育。正しい教育論がないから教育荒廃が起こる」などと持論を述べ、今後もヨットスクールを続ける意向を語りました。

そして、その後、2006年10月9日、スクールから同月6日にいなくなった訓練生の25歳男性が、美浜町河和の沖合で水死体となって発見されました。警察は自殺と事故の両面で捜査を行いました。男性はうつ病で通院中であり、父親もスクールで共に寝起きしていたが、目を離した隙にいなくなり、スクールから3キロ離れた地点で水死体になって発見されました。男性の遺体に目立った外傷はありませんでした。

2009年10月19日、訓練生の18歳女性が寮の屋上より飛び降りて亡くなりました。

2011年12月20日、訓練生の30歳男性が寮の3階より飛び降りて重傷を負いました。

2012年1月9日、訓練生の21歳男性が寮の3階より飛び降りて亡くなりました。

どうすれば助けられたのか


どうすれば助けられたのか↓

・全国の全ての施設に、体罰や虐待を防止する法律をつくる。

亡くなった4人の方が、来世ではもっと幸せに生きられますように

施設内虐待の中でも、有名な事件。この記事を読んで、少しでも体罰がいけないことだと感じてくださる方が増えたら嬉しいです。亡くなった4人の方のご冥福を、心からお祈りします。ニュースにはなっていないけれど、戸塚ヨットスクールで他に体罰を受けた人も、心身に一生の傷を負って生きていかなければならないのです。戸塚さんが出所後には、体罰をしていないとのことですが、多数の自殺者が出ているのが、少し不思議に感じます。こんな事件が二度と起きないよう、皆さんにお願いがあります。児童虐待の疑いがある子を見かけたら通告をお願いします!😊 通告方法は簡単です。電話で189に電話するだけです。「いちはやく」で覚えられます。通信料も要りません。匿名でも大丈夫です。秘密も守られます。あなたの通告がその子どもの希望です。

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他にも事件とか取り上げていこうと思ってます!😊


>>1
楽しみにしてます!


>>2
ありがとうございます!


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