【野球】野茂英雄さん
2023年12月10日
大谷翔平さんのロサンゼルス・ドジャースへの移籍が決まりました。
10年で約1015億円だそうです。
しかし大谷さんを始めとする日本人メジャーリーガーの活躍はこの男を無しに語れません。
その男こそ野茂英雄さんです。
NPB時代
野茂は体を大きく捻って球を投げる「トルネード投法」を武器にマウンドに立っていました。そんな彼は1989年ドラフトで8球団競合の末、近鉄バファローズという球団へ入りました。するとその才能は周囲の期待を裏切らず、1年目から新人王・MVP・沢村賞の3部門を獲得。日本を代表する投手へとなりました。ちなみにプロ入り前の1988年ソウルオリンピックで日本代表として出場した際、後に盗塁阻止率日本記録を持つ古田敦也さんとバッテリーを組んだのは有名。
MLBでのトルネード旋風
1990年、故障によりシーズン途中から出場しなくなると近鉄のオーナーから大幅な減給・トルネード投法の封印を命じられました。怒った野茂はNPBを任意引退し、MLBを挑戦します。しかし当時のメディアや野球関係者からのバッシングは酷く、「大リーグで通用するわけがない」「プロ野球を捨てた裏切り者」と言われるようになりました。そんな中迎えたMLBのマウンド、ドジャースのユニフォームを着た彼は球を得意のトルネード投法で投げます。落差のあるフォーク、見分けのつかないストレートを多く使いMLBの強打者を次々に三振に打ち取ります。いつしか野茂のことを応援するファンも増えていき、彼らは「NOMOマニア」と呼ばれていきます。
野茂の残した功績
野茂はアジア人史上初となるMLBでの新人王・最多奪三振・ノーヒットノーランを成し遂げます。特に最多奪三振は1995、2001年に。ノーヒットノーランは1996、2001年に達成。ノーヒットノーランに関しては1度目はナ・リーグのドジャース、2度目はア・リーグのレッドソックス。両リーグでのノーヒッターは史上4人目の快挙。そして1度目のノーヒットノーランの際の球場はクアーズ・フィールド。ここは高地で空気が薄いため、「打者天国」とも呼ばれています。いまだにこの球場でのノーヒッターは野茂のみです。また1995年には日本人史上初のオールスターゲームに出場しています。
受け継がれるパイオニアの魂
こちらの写真は日本ハム時代の大谷と視察に来た野茂。大谷の高校時代の目標は「パイオニアになりたい」。そしてMLBの歴史を動かした野茂英雄との対面。
トルネードの魂は今、二刀流へと注がれている。
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