戦争の恐ろしさ〜二度とあの過ちを繰り返さないために〜
こんにちは。中学2年生の優馬です。今回は戦争の恐ろしさについて、まだ曖昧な知識しか持っていない人が多い。と思い、この記事を書きます。〜死ぬ瞬間・生きる意味〜この記事では沢山のイイネをありがとうございました。
それでは、戦争の恐ろしさについてです。最後まで読んでいただけるとありがたいです。
原爆によって
1945年8月6日午前8時15分、日本に、人類初の原子爆弾が投下されました。広島の街は大きな音と共に一瞬にして火の海となりました。死者数は約14万人で、投下された場所から遠く離れた所にも被害がおよびました。この原爆が落ちた場所は病院になっていました。爆風によって吹き飛ばされて亡くなった人もいたそうです。
実際に、原爆の恐ろしさを体験した方から話を聞きました。その方は、「被爆した人達は一言も痛い、熱いなどと言わなかった。」言っていました。話してくださった方自身も、友人や知人をたくさん亡くしてしまったと、原爆の影響で声を出しにくい中、話をしてくださいました。被爆した人の気持ちになって考えてみると、絶対に今何が起こっているのか分からないし、知人や友人がたくさん亡くなったら、悲しい、寂しいではおさまらないと思います。
原爆ドームにて
平和記念資料館を見学しました。その中には8時15分で止まっている小さな時計がありました。それから、爆弾が落とされた直後の、被害を受けた人の模型もありました。その姿はとても悲惨で、皮ふはドロドロに溶け、髪の毛もこげていました。これを見て、心の底から原爆をおそろしいと思いました。当時の街の様子をリアルに再現していた所。その中には、三輪車が展示されていました。この三輪車は「伸ちゃん」という子が乗っていました。伸ちゃんは、当時3歳でした。伸ちゃんは、この三輪車に乗っている時に被爆してしまいました。このように、幼稚園にも入っていない子にも影響を及ぼしてしまう原爆のおそろしさは、街の様子の再現を見ただけでも伝わってきます。
原爆ドームは、被爆する前は『広島県産業奨励館』という名前の建物でした。でも今は、建物の中がむきだしになっていて、被爆する前とは全然比べ物にならない状態になっていました…
平和
平和とは私達の生活にかかせないこの世で一番大切な事だと思います。私達一人一人にこの平和な生活をおくれる権利があると思います。
けれど、このだれもが大切な平和を、自分たちの手で壊しているのが、今の現状です。現在でも戦争や核開発などによって多くの命が失われています。たとえどんな問題が起きても争いや、戦争で解決しては絶対にいけないと思います。
戦争は世界中の問題です。その問題を解決するためにも、戦争をしている国も、戦争をしていない国も、今、この時にこの問題について真剣に取り組むべきです。
そのためにも、今、国民の一人一人がこの問題に取り組むべきです。確かに、一人だけの力は小さいかもしれないけど、
「戦争をしてはいけない」
「争いごとはいやだ」
という声や気持ちがたくさん集まればきっと何かを変える事ができると思います。
今、こうしている間にも世界のどこかで命を奪われているかもしれないのです。いまこうしている間にも戦争をやめてほしいと願っている人がいるはずなのです。これを見てくれたあなたの気持ちしだいで世界の人が救えるのです。
あなたも戦争をやめてほしいと願ってみてください。きっとどこかで助けられる人がいるはずです。
伝えていこう…
今、戦争の恐ろしさについて語ってくださっている方は高齢のかたです。いつかお亡くなりになります。すると次の世代へ受け継ぐ人が居なくなります。すると戦争をまた繰り返してしまうかもしれません。目をそらしたくなる内容があるかも知れません。けれど俺たちが今度は戦争を表面だけではなく、中身まで理解し、伝えて行かなければなりません。それが俺たちの使命なんです。
>>1
理解してマス
戦争恐ろしいよね
さてと......
皆、平和主義になろっか←おい