【食べ物総選挙】「とある喫茶店の過ごし方」
これは僕と僕の大切な人の何気ないひとときの話だ。
冬の某日16時27分
僕、館中 淹矢(たてなか えんや)は高校の帰りに小雨が頬を打ち続ける中、小走りでとある喫茶店へと向かっていた。
目的地に着いた頃には雨の勢いはずっと強くなっていた。濡れて冷えてしまった両手を擦り合わせながら僕は喫茶店「eternidade」の扉を開けた。店内には鈴の音が響き、僕は他に人はいないかどうかを確認するため、店内を見渡した。僕が全体を確認するよりも先に、カウンターに立っていた高身長で長い黒髪とシックなカフェの制服がよく似合う女性が僕を見つけるとすぐに口を開いた。
「やぁ、いらっしゃい。災難だったね。冬の雨は冷たいというのに…」
「こんにちは!ほんとに冷たかったですよ…天気予報にもなかったので傘も忘れましたし…」
彼女はここの店長の娘であり高1である僕の一つ年上の水珈谷 馨(みずかや かおり)である。一つしか歳が変わらないとは思えないほど大人びた落ち着いた声はいつもと同じように僕に安心感を与えた。
「とりあえず、いつもの席に座ってて…注文はいつものでいいね?」
「え?あ、はい…でも服が濡れてて…」
僕が言葉を続ける前に馨さんは店の奥へと向かっていった。
(ん?なんでわざわざ奥に行ったんだ?)
僕はそんな疑問を浮かべていた。濡れているので座るわけにもいかず、ただ突っ立っていると、馨さんがハンドタオルを手にして戻ってきた。
「そのままじゃ寒いでしょ?ほら、拭いてあげるからじっとしててよ?」
「いや…そこまでしてもらうわけには…」
「はぁ…もうここまで持ってきたんだから手遅れだよ…ほら、じっとしててよ」
そう言うと馨さんは僕の頭をタオルで拭き始めた。
「ぐぬぬ…僕だって子供じゃないんですからー…そういえば、ご両親は今はどこにいるんですか?」
「ちょうどお父さんがお母さんの迎えに行ってるから今は私が留守番をしてるの…ていうか、それを言うなら淹矢くんは友達は誘わなかったの?」
馨さんの質問に対して僕は少し悲しげに答えた。
「僕にはそんな友達いないんですよ…それに…」
僕はスマホを取り出して操作し、画面を見せて話を続けた。画面はLI○Eのトーク画面であり、相手からの「彼女できた」という言葉に対して「おめでとうございます!!」と返している。相手は「日彩先輩」という人である。
「最近、先輩に彼女ができたらしいんですよ…いなかったら誘いやすいんですけど…それに…ちょっと悔しいというか…はぁ…」
僕が言い終わると同時に拭き終わったのか馨さんはカウンターのほうへ向かいながら話し始めた。
「へぇ…なら仕方ないかもね…でも、恋愛に対して焦ることは無いと思うよ?私がいるんだし…」
「へ?え?それって…え…?」
馨さんの言葉に僕の心臓の鼓動が一瞬とても強くなった。しかし、馨さんは笑いながら言葉を付け足した。
「ふふ、冗談だよ。そんなことより、この店にも新メニューが欲しいと思わないかい?」
「えぇ…んん…別にそんなことは…」
ツッコミどころの多い馨さんの言葉の連続に僕は情報過多になりながらも答えた。
「うーん、どんなメニューがいいんだろうねぇ…あ、そういえば友達が温かいトマトジュースがどうとか言っていたような…それをメニューにすれば…」
「いやダメだと思いますよ!?そんなの誰も飲みませんよ!?」
僕は自分の意見が無視されたことも忘れて馨さんの奇想天外な発想に対して食い気味に反応した。
「ふふっ、相変わらず淹矢くんは面白いね…ま、今言ったことは冗談だけどね。実は考えてあるんだよ。それで、淹矢くんには試食をして欲しいんだがいいかい?」
「え?全然いいですけど…何の料理なんですか?」
いつも座るカウンター席に座りながら僕は疑問を口にした。
「それは作ってからのお楽しみだよ」
そう返すと馨さんは調理器具を用意して料理を作り始めた。作っている最中の馨さんの顔はとても楽しそうで、僕には邪魔することなど到底出来ないほどだった。
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5分後、料理が完成し、馨さんはコーヒーと料理を僕に差し出した。その料理とはオムライスであった。
「完成したよ、上手くできたつもりだけどどうかな?」
「美味しそうです!いただきます!」
馨さんは心配そうな面持ちで見つめてきた。僕は目の前に用意された料理に感動しながら手を合わせ、一口掬って口へ運んだ。
「ん!すごい美味しいです!僕が好きな味ですね!」
「ほんと!?そう言ってもらえてよかったぁ!」
僕の感想を聞いた馨さんの顔はパッと明るくなった。僕はその顔を見たあと、食事を再開した。
「ねぇ…淹矢くんはさ…10年後とか…大人になったら何をするつもりなの?」
「え?急ですねぇ……夢のあることをしたいですけど、結局は普通にサラリーマンとかじゃないですかね。まぁ、僕は優柔不断なので、その時の気分にもよると思いますが…」
馨さんの口調の変化にも少し驚いたが、僕は馨さんの質問に対して笑いながら答えた。そして、馨さんが俯きながら話し始めた。
「そっか…私はさぁ、ここを継ぐつもりでいるし、そっちのほうが私には向いてると思うからやりたいんだけどさ……でも、我儘を言うなら、ただここのマスターをやるんじゃなくて、大切な"なにか"が変わらずそこにあってくれたら嬉しいの…だから…」
その言葉に僕は先ほどよりも強く衝撃を受けた。まさか、馨さんがそんなことを言い出すとは思わなかったからだ。馨さんは言葉を続けようとしていたが、僕に与えられた衝撃によって放たれた想いがそれを遮った。
「なら、僕がいつまでもこの店に通い続けます!毎日…は流石に無理かもしれませんが、突然の別れなんてものが来ないように頑張りますよ!」
僕がそう言っても馨さんからの返事が中々返って来ず、僕は「馨さん…?」と呼びかけた。すると数秒後、馨さんは笑顔になって口を開いた。
「ふふ…そっか、ありがとね…淹矢くんは、本当に優しいね…」
気がつくと、雨音は止んでいて、馨さんの言葉はとてもはっきりと聞こえた。窓の外を見ると、それまで降っていたものは雨粒から雪へと変わっていた。それを見つめた僕は、
「暗い気分になってちゃ駄目ですよ?ほら、今は子供なんですし、こんな雪でも子供みたいに笑っていましょう!」
と、笑いながら言った。
この何気ない日の僕は、10年後にはこの店が僕がマスターとして働く場所になることは知る由もなかった。
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