石畳の街の時計守
石畳の街ヴィルネには、古い時計台がひとつだけあった。
街の誰もがその時計を頼りに暮らしていたが、百年以上も止まらずに動き続ける理由は、誰にもわからなかった。
ある秋の日、見習い細工師のエリオは、師匠から奇妙な頼みごとをされた。
「時計台の内部を、一度見てきてくれ」
時計台は固く鍵がかかっており、普段は誰も入れないはずだ。
しかし、なぜかその日は扉がわずかに開いていた。
中は薄暗く、古い歯車がいくつも積み重なっていた。
その奥に、小さな机と、椅子がひとつだけあった。
そこでエリオは、一人の老人と出会う。
灰色の服に、静かな目をしたその人は、まるで何十年もそこにいたかのように自然だった。
「いらっしゃい。時計の調子を見に来たのかい?」
「あなたは…ここで働いている人ですか?」
老人は笑い、机の上の懐中時計を布で磨いた。
「私は“時計守”。街の時間が乱れぬよう、ここで時を整えている」
エリオは初めて聞く言葉に戸惑った。
老人は続ける。
「時間というものは、不思議な生き物だよ。油断をするとすぐに遅れたり、急いだりしてしまう。
だから、誰かがずっと寄り添っていなければならない」
その言葉を聞きながら、エリオは老人の指がわずかに震えていることに気づいた。
長い年月の重さを、その指先が語っているようだった。
「…大変なお仕事ですね」
「いや、好きでやっている。だが、そろそろ代わりが必要かもしれない」
老人はエリオの手を取り、静かに言った。
「君は器用だし、街をよく見ている。もしよければ、時計守にならないか?」
突然の提案にエリオは言葉を失った。
自分が街の時間を預かるなど、あまりに大きな役目だった。
「僕なんかに務まるでしょうか」
「務まるかどうかは、時間が決めるよ」
老人はそう言って、懐中時計をエリオの手にそっと渡した。
そのとき、外の鐘が鳴った。
気づけば老人の姿は消えており、机の上には一枚の紙だけが残されていた。
『次の時計守へ。時間を、頼んだよ。』
エリオは慌てて外へ飛び出したが、石畳の街に老人の影はどこにもなかった。
ただ、時計台だけがいつもより静かに、正確に時を刻んでいた。
その日から、時計台の扉は再び固く閉ざされた。
けれど街の人々は気づいていた。
以前より時計の音が、ほんの少しだけ若くなったことに。
このトピックは、名前 @IDを設定して、メンバー申請しないとコメントできません
名前@IDを設定する

