神は存在する?存在しない?


神が存在するとしたらなんでこんなに辛い思いをする人がいるのですか
神様からの試練ですか?乗り越えれない人もいるのに
もし、神が実在する証明を矛盾も穴も無く出来るのなら聞いてみたい。
ちょっと検索してかじっただけだけど、上記条件を満たすものは見つけられなかった。
又、神を創造主と仮定して考えてみても、宇宙の成り立ちにそういう存在が必須とはならないのではないかと思う。
何者かが創ったとか設計したとか、そういう事ではなく、ただ単にこの世界の性質と考えても良い様に思う。
「それでは説明がつかない」からと言って、神を祭り上げるのは違うんじゃ無いかな。
というのが私の考え。
そもそも『神』とは何ぞや?
どう定義されているものなのか?
先ずそこがはっきりしていないのではないか。
そして、日本神道の八百万の神、キリスト教のヤハウェ、エジプト神話の神々、メソポタミア神話の神々、ゾロアスター教の神々……その他数え切れないほどの神達を全て指すのか? どれかに絞り込むのか、はたまた一神のみなのか?
そういうところが世界的に統一されている訳では無い。
つまり諸説有り。
なので、信用するとかしないとか考え様と思っても、何を対象としたら良いのかもはっきりせず。考えるだけ無駄かなと思うのだけど…………
それより、信用するかどうかではなく、神が存在するかどうかがお題なので、客観的な見解が必要なのだろうから結論は出せないな
というのが私の結論。
神様というのは漬物石みたいなものだよ。
泰然とし、ただそこに在り続ける存在でしかない。
そこに在り続けてくれるからありがたいというもの。
そもそも神に願い事を頼むという時点でおかしいんだよ。
神様は人間の御用聞きじゃない。
都合のいいときだけ神頼みとか、そんな身勝手な相手は人間だって構おうとは思わない。
願いを口にするのであれば、それに見合う信仰が必ず求められる。
そこに信仰があるからこそ、神はそこに在り続ける。
神様は信仰の中にしか存在しないのに、そこに実在性やら定義やらを持ち込むのはナンセンスでしかない。
>>12
すみません。
どっちにしようか迷ったんですよ。
いると思うけど、いないとも思うから。
よく分からないと思うんですけど、
中間?なんですよね。考えが。
>>13
同感です 神は崇める対象であり、昔の人が想像で作り上げた存在 結局は人の心の中にしか存在しない
ありもしないものに1日5回も地面に頭こすりつけて土下座している人々を見ると,宗教の恐ろしさがよくわかる。
宗教だろうと、学問だろうと、技術畑だろうと、数字の羅列だろうとその人が信じるところにはその人の神様が必ずいるものだよ。
神様という名前ではないかもしれないが。
拠って立つものを信奉すればするほどに、無自覚ながらも崇めてるものだよ。
否定することが可能なのは他人が信じる神様の存在だけだよ。
>>17
そこまで広い意味ではありません。
唯一神かそうでないかはさておき,
1人間の運命や自然を支配できる
2意志や人格(神格)を持つ
3人の行動を見ており,賞罰を下せる
4人の祈りや願いをかなえられる
5人間ではない存在
属性としてはこんなところかな。
>>18
その考え方やまとめ方は 神は存在する?存在しない? ではなく
民俗学的に世界で信仰されている神様を系統的にわけていく分類法的なものじゃないのかい?
例えるなら、神名辞典みたいな。
その考え方をするのなら客観的である必要がある為、その中にあなた自身の神様を肯定するしないといった意見は入れてはいけないのでは?
>>10
「神様は信仰の中にしか存在しないのに、そこに実在性やら定義やらを持ち込むのはナンセンスでしかない。」
↑この言葉からこの人が「神は実在しない」と考えていることがわかるじゃん。だって「神様は信仰の中にしか存在しない」って言ってるから。信仰の中にしか存在しないってことは客観的実在を否定してるわけだね。
自己矛盾です。
>>10
それって神とはどういうものか。つまり神の定義について語られている訳ですよね。
『神の定義やら』をここに持ち込んでる訳ですよね?『ナンセンスでしかない』のに…………???
しかも、全体的に随分はっきりと言い切っておられますが、それって持論じゃないのですか?
何処かの教典や神典、若しくはそれに類するものに表されているものならそれも良いのでしょうが、違いますよね?
例えば、安産祈願や合格祈願、祈願絵馬などを多くの神社で受け付けられていると思いますが、あれって願い事ですよね?
貴方のおっしゃられている様なはっきりとした定義(決め事)が有れば、願い事を受け付ける神社は無いはずですが?
それに、
『願いを口にするのであれば、それに見合う信仰が必ず求められる。』とおっしゃるのなら、『祈願する人々』がいて、それに見合った神様が(宗教の中に)存在しているという現状を否定するのはおかしくないですか?
>>23
全然、矛盾していないよ。
神を信じているわたしの中に神はいる。と言っているのだから。
信じる人の心の中には神はいる。それがすべてなんだよ。
あなたがどれだけ強く否定したとしてもね。信仰とはそういうもの。
それでも神様はいないというのであれば、
心の中にいる神様の実在性や定義を問う前に、まずはあなたが相手の心の実在性と定義を行わなければならない。
人間には心なんて曖昧なものは存在しない。と断言できれば、神様の存在も否定できるので。
>>24
認識は個々人によって違うのに、形の見えない神様という共通の認識なんてつくれるわけないでしょ?
赤い という色ですら、人によって認識はまちまちなんだよ?
あなたの理屈はね、話さなくても自分の考えていることは相手に通じる。
話せばわかる。わかりあえる。という前提にもとづいているもの。
人が認識できるのは、自分の脳みそが認識している世界の中だけ。
他人の脳みそが認識している世界は認識できない。
それでも、形はあったほうはわかりやすいよね。それ故に偶像はつくられる。
偶像がつくられたとしても、結局はそれを信仰するしないは、個々人の認識の中でしかない。
.
商売として成立するのだから絵馬があるのは当たり前。
ありがたがる人がいるのだから、そこに商売があるのは当たり前。
商売として成立するのだから、都合のよい理屈が入りこんでくるのは当たり前。
それはそれ。これはこれ。なんだよ。
都合のいいときだけ、頼ってくるようなふざけた人間にあなたは協力しようとおもうかい?
書き込まないと書いたけど、これだけ追加。
>>24
10 は 神様 という言葉が独り歩きするように存在感だけがある。
人間の都合のよいように結果がでないから存在しない。なんてことにはならないと書きたかった。
結局は全部、認識している人間の都合なんだよ。
天皇も敗戦までは「神」だったんだよね。
それを信じて国を作って戦争に行ってたくさんの人が死んだ。
戦争に負けたら「天皇は神様じゃありませんでした。人間ですのでよろしく」ってことになった。
石ころでもそれを信じて崇める人がいればそれは「神」となる。
だれか権威ある人が「それ普通の石ころだよ」って言うまではね。
>>26
*
私の返信コメントは10コメさんと貴方が同一人物と判断してのものです。
もし別人の横入りコメントであるなら、そうおっしゃってください。
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>認識は個々人によって違うのに、形の見えない神様という共通の認識なんてつくれるわけないでしょ?
正典の無い日本神道に於いては、信者全員に通ずる共通認識は無いかも知れませんね。でも、ただそれだけの話しです。
私は作れるなんて一言も言ってません?(貴方がそう解釈しただけ)
ただ私は、10コメで断定的に説かれている内容が『神様に願い事をする行為』を否定するものであるから…………断定的に公言しているから『神に願い事をする人達』の信仰の自由を侵害するする行為なのではと思い反論したまでです。
まあ、これが誰にも聞かれてない独り言なら何を言っていただいても構わないのですが、不特定多数の目に触れるここでは公言になりますから、何を言ってもお咎め無しとはいかないですよ。
言論の自由は確かに有りますが、それだから何を言っても許される訳では有りません。
その言い方やシチュエーションによっては
・名誉毀損罪(刑法第230条)
・侮辱罪(刑法第231条)
・脅迫罪(刑法第220条)
・強要罪(刑法第223条)
・威力業務妨害罪(刑法第234条)
他パワハラ、モラハラ、セクハラ
などで訴えられる場合も有ります。
だから私は「全体的に随分はっきりと言い切っておられますが」と前置きした訳です。
ものには言いようが有るでしょ?
もう一つ。
人の言に対してナンセンスと言えば批判になります。
特に断定的な文調ですから、煽りにもなりうる事です。
これも、『ものは言いよう』ですね。
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>それでも、形はあったほうはわかりやすいよね。それ故に偶像はつくられる。
偶像でしかない神様が、願い事をする人間に対して不快に思ったりするとは思えませんが?
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>>26
>都合のいいときだけ、頼ってくるようなふざけた人間にあなたは協力しようとおもうかい?
そこで私がどう思うかと、宗教(信仰)の中にしか存在しない……つまり実体のない神がどう思うかと、どう関係してくるのでしょうか?
性質。在り方。次元。存在意義。存在に至った経緯。などなど
相違点が多そうで、又、違い方も大きそうで、同じ目にあった場合の私がどう思うかなんて関係有りそうには思えませんが、貴方の認識ではそこに何かの関連性が有るのでしょうか?
もし有るのならその根拠をお訊きしたいですが。
それと、
願い事をする為に人間が作り出した偶像に対して願い事をするタイミングが何故「都合がいい時だけ」になるのでしょうか?
全て『願いたい時に願う為に作った偶像を拝む』だけだと私は思うのですが、
どういう場合だと『都合がいい時』になるのですか?
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>商売として成立するのだから絵馬があるのは当たり前。
ありがたがる人がいるのだから、そこに商売があるのは当たり前。
商売として成立するのだから、都合のよい理屈が入りこんでくるのは当たり前。
それはそれ。これはこれ。なんだよ。
『商売になるから絵馬が有る』とか、おっしゃられてますが、願い事が出来る相手で無ければ商売になるとか関係ない事になりますよ。
そもそもの時点で『願い事が出来る相手』かどうかが問題になりますので、『それ』と『これ』はそうそう切り離せるものではないと思うのですが?
そもそも、願い事を受け付けるかどうかの話なのに、そのアイテムの一つ存在が『商売になるから当たり前』って。
一体、何を言っておられるのですか?
『絵馬があるから』の前に『神社が(神が)願い事を受け付けるから』絵馬というアイテムが存在しているだけでしょ?
商売になるとかどうとかは別の話しじゃないですか?
『それはそれこれはこれ』なのではないですか?
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ちなみに、日本の神社は元々お願い事をする為に存在しているようですよ。
最初は公共性の高い願い事だけだったようですが、平安時代後期頃から個人の願い事も受け付けるようになったとか。
情報ソースは宗教法人神社本庁の公式ホームページです。
興味がお有りならご覧ください。
>>26
>あなたの理屈はね、話さなくても自分の考えていることは相手に通じる。
話せばわかる。わかりあえる。という前提にもとづいているもの。
↑
私はただ単に考えを伝えようとしているだけです。
基本的にどんな考え方を他人が持っていようと構いません。
ですが、断定的な公言で人の信仰の自由を侵害(否定)していると思われる所が有れば反論する謂れが生じます。
ただそれだけの事です。
前提云々等関係ありません。
宇宙を創造した主体が存在するというのは仮説としてありうるが,その存在がちっぽけな人間を見守ってくれているとか,まして人間の祈りをかなえてくれるとかはまったく別問題。宇宙的視点から見ればバクテリアもアリもサルも人間もあまり変わりないから。
「神」に対する考え方の違いから戦争が生まれる。
神の存在よって多くの人の命が奪われる。
そんなことなら神なんぞいなくても良い。
神は存在します。
ですが、完全では無いです。
神の存在自体は信じていますが、
神自身は信じてません。