ハッピーエンドを下さい。
最近、死にたいと思うようになった。
まぁおそらくどうせ死なないだろうし、死んでもいい事ないとか親の気持ちとかそういうのは分かっているつもり。
そもそも死にたいというのも、明確に嫌なことがあったとかそういった類のご立派な理由があるわけでもなくて。
ただただ怠惰を突き詰めていったらその先に死があっただけの話。
その死すらも面倒だと思ってしまうのだから、きっと前世はベルフェゴール辺りだったんだろう。
人生の大半の出来事は大雑把であれ仔細であれ、自分の基準でカテゴライズすることが可能だ。
例えば、よくやるのは「好き」か「嫌い」か。
それだけで言っても「好き」「大好き」「まぁまぁ好き」「嫌い」「大嫌い」「まぁまぁ嫌い」「普通」があるのだからカテゴライズとは実に奥が深い。
でも気づいた。
全てのことは、「自分」か「それ以外」であることに。
それっきり、何もかもつまらなくなった。言ってしまえば、色を失ってしまったのである。
あんなに大好きだった読書もゲームも恋人も
結局は「自分以外」でしかなくて。
「自分」が「自分以外」をコントロールすることなんて到底出来なくて。
「自分以外」は私のことなんて置き去りに移ろっていくものだから。
今まで学んできたことも、愛した人も、読んだ本も、歌った歌も、紡いだ物語も、結局はいつか移ろい消えゆく。
それ故に好きで好きでたまらないものを、ずっと愛し続けるのが怖くなってしまった。
これだけ私が好きでも、大好きな本はいつか忘れ去られる。
これだけ私が大好きでも、いつかゲームはゴールを迎える。
これだけ私が愛していても、いつか彼女は離れていってしまうかもしれない。
深く愛せば愛するほど、失うことへの恐怖が深まるばかりで、何もできなくなってしまった。
つまるところ、私は世紀の臆病者、側から見たら良いお笑い草に成り下がってしまったのだ。
でもやっぱり彼女のことは大好きで、話せば話すほど恋というのは膨らむばかり。
失う孤独に耐えられずに独り押し潰されるほかないのである。
こんなに苦しいのならば何も知りたくない。
こんなことならばじっと蹲って、目と口を固く閉ざして何もしたくない。
私の怠惰の根源は、いつだって愛情であった。
この心臓が引き裂かれる様な苦しい思いをするのならば、私は死んでしまいたい。
そう、きっと私は生まれた瞬間から誰かを愛し続け、生まれた瞬間からずっと死にたかったのだ。
そう独り合点した途端、スゥと気持ちが楽になった。
いつだって死んでしまえるのだからもう少し好きでいようと。
失う苦しみは、失ってから感じればいい。
苦しくて苦しくて息も出来なくなった頃に死ぬのでも遅くないと。
やはり私にはそういう楽観主義がよく似合うのだった。