暇〜 みんな、きのこの山とたけのこの里どっち派?
たけのこちゃん٩( ᐛ )و
よく休み時間中に親友ちゃんらと山でたけのこ採りしとったなぁ(((((
>>92
きのこの山(きのこのやま)は、株式会社明治が1975年(昭和50年)から製造・販売しているチョコレートスナック菓子[1]。長さ3センチメートルほどのキノコの形をしており、軸がクラッカー、傘がチョコレートになっている。後続姉妹品に「たけのこの里」がある。値段はたけのこの里より安く、チョコの量が1.4倍になっている。
>>95
1969年(昭和44年)に明治の大阪工場でアポロの生産が始まったが当初は売れ行きが不調であったため、その円錐形の小粒チョコの生産ラインを有効活用できないかと大阪工場の担当者が作った試作品がきのこの山の原型にあたる[2]。それは円錐形のアポロを傘に見立て、その底面にクッキーの軸を挿してキノコの形にするというアイデアであった[3]。この試作品は1970年(昭和45年)に、アポロやチョコベビーなど小粒チョコレート製品の今後の開発方針を検討していた明治の研究所へ持ち込まれたが、当時のチョコレート製品は板チョコやチョコバーが一般的でポッキーがようやく出始めたという状況であり、この奇妙な試作品には賛否両論が出た[2]。
その後は5年の開発期間をかけ、食べやすくするため軸をクラッカーにする[4]、そのクラッカーの焼成方法も工夫する[5]、形に可愛らしさを加える[4]、チョコとクラッカーが組み合わさる味わいをベストにする[5]、チョコにクラッカーを挿す工程を試行錯誤する[5]、など何百もの試作を重ねた[2]。
やがて新商品としてリリースするにあたり、商品名とパッケージについても慎重に議論が進められた[2]。当時は暮らしの欧米化に伴い、スタイリッシュな欧米風の菓子名とパッケージが流行していた[5]。しかし、高度経済成長もひと段落して安定成長に入ったことから、消費者は自然ののどかさを求めていると読み[3]、「郷愁や自然、人間のやさしさといったイメージを表現する親しみやすいネーミング」として「きのこの山」という名前がつけられ[2]、パッケージもそれまで菓子製品には不適とみられていた緑を基調とする[2]、里山をモチーフにしたデザインが選ばれた[5]。前例が無いタイプの製品であったため、発売の半年前にはエリア限定のテスト販売を行うなど、消費者へのアプローチも手探り状態であった[5]。
きのこの山は1975年(昭和50年)に発売されると爆発的な大ヒット商品になり、新発売された菓子の販売記録を塗り替えた[5]。製造ラインがあった大阪工場は、ラインを増やしてフル稼働しても生産が間に合わないほどで、営業担当者から納品を催促する電話が引きもきらなかった[5]。4年後には姉妹品の「たけのこの里」も登場し、日本にファンシーチョコスナックというジャンルが開拓された

