小説 ピンクバレンタイン
予定と違った公開()
楽しんでいただけたら幸いです(
本庄 澪(ほんじょう みお)
乾 冬真(いぬい とうま)
ごめん、俺いらない───佐藤の声に、澪はゆっくりと顔を上げた。
いらない……? 何が? チョコ? 彼の言ったことが理解できずに、ぱちぱちと2度、瞬きする。
佐藤は気まずそうに目を伏せたあと、澪の手の中にあるピンク色の箱を指さした。
「それ、チョコレート、だよな。ごめん、本庄。俺、今日彼女に他の女からチョコ貰っちゃいけないって言われちゃって……」
他の、女。彼女。
それはつまり、佐藤に彼女がいるから、彼にチョコをあげてはいけない、ということだ。
「そっ、か」澪は俯き、小さな声で呟いた。
今日は2月14日。男女共にそわそわと落ち着きが無くなり、街中が鮮やかなピンク色に染まる───即ち、バレンタインデーだ。
澪はこのバレンタインという行事を利用して、佐藤に告白しようと計画していた。文武両道で優しく、整った顔立ちをしている佐藤は、クラスの中でも特に人気者だった。澪は1週間前から念入りに準備をし、慣れない菓子作りを何度も練習した。
だが、いらないと言われてしまってはどうしようもない。これまでの努力が、全て水の泡になってしまった。
佐藤が去ったあと、澪は暫く呆然としていた。失恋とはこんなものなのか。あまりに呆気なくて泣く暇もないな……。
ピンク色の箱に視線を落とす。佐藤の好きなうさぎの柄だ。だが、失恋してしまっては、こんなものは無駄なだけだ。
片手で箱を引っ掴む。夕暮れ時の太陽が眩しい。大きく腕を振り上げ、橙色の空に向かって投げようとした。
急にはしっ、と音がして、腕が下せなくなった。
え、と声を出そうとしたが、掠れて不明瞭な声が出ただけだ。恐る恐る、後ろを振り返った。
黒髪の男が澪の手首を掴んでいた。
陶器のような白い肌に、すっと通った鼻筋。前髪の間から切れ長の黒い瞳が覗いている。背は澪よりもずっと高い。よく見ると澪の高校のブレザーを着ていた。首に巻いた赤いマフラーが、紺色のブレザーに映えていた。
「ねぇ、それ、俺にくれないかな?」
彼の視線が下を向く。澪もつられて下を向いた。その先には、澪が佐藤のために作った、チョコレートの箱があった。
え? 箱? チョコが欲しいの? そもそも、あなたは誰?
澪は訊こうとしたが、舌が張り付いたみたいになって声が出なかった。彼に尋ねるように瞬きする。
彼は澪を見てにこっと微笑んだ。
「君、さっき振られてたじゃん。必要ないでしょ? チョコ」
澪は息を吞んだ。
この人は、見ていたんだ。頬がかあっと熱くなる。恥ずかしさと惨めさで消えたかった。
そんな澪の様子を見て、彼が首を振った。
「あ、別に言いふらそうとか、そんな気一切無いから。俺はチョコが欲しいだけだから、ね」
彼は一拍置くと、「あ、俺乾冬真」と付け足した。
澪は眉を顰めた。乾なんて名字の人間、澪の学年にはいない。知り合いの誰かの兄や弟という訳ではなさそうだ。
彼がどういう意図で、どのような理由でチョコが欲しいのかは分からない。しかし渡すべき人に渡せなかった今、このチョコの必要性はなくなってしまった。見知らぬ人に手作りのチョコを渡すなど、少し気が引けるが───捨ててしまうよりかはマシだ。
澪は冬真に箱を手渡した。冬真の顔がぱっと綻ぶ。
「こんなので、いいんですか? というか、なんで急に……」
「君、名前は? 何年生?」
澪の質問を無視し、開けたばかりのチョコを頬張りながら冬真が訊いた。口元がチョコで汚れている。澪は少しむっとして「……高校一年生、本庄澪」と答えた。
「そっか。本庄澪。君のチョコ、中々美味しいよ」
澪は目を見開いた。そんな言葉を冬真が口にしたことに驚いた。なんとなく、くすぐったいような、そんな気持ちになる。澪があまりに驚いた表情をしていたのだろう、冬真は少し目を細めた。澪は誤魔化すように俯いた。
「あの、どうして私のチョコを……あなたは何者なんですか」
消え入るような、小さな声で尋ねる。最後の質問は少し失礼だったかもしれないと思い、澪は小さく頭を下げた。冬真は俯いた。
「……あんたが頑張って作ったであろうチョコを、無駄にするわけにはいかないだろ」
呟くような冬真の答えに、澪は驚いて顔を上げた。ゆっくりと瞬きする。冬真は遠目からでも分かるくらいに、顔を真っ赤にしていた。
「え……」
「箱とか、チョコとか。あいつの好みに合わせて作ったんだろ。それに気づかずに受け取らないなんて損したな、あいつ」
佐藤の好きな、うさぎ柄のラッピングペーパー。男子は甘いものが苦手かもしれないと、砂糖の量を減らして作ったチョコレート。
冬真の言葉が、言葉の一つ一つが、心に染み込んでいく。胸にあたたかいものが広がったような感覚になった。
思わず涙が出そうになり、澪は顔を逸らした。
「……じゃあ、俺はこれで」
気まずくなったのか、そそくさと帰ろうとする冬真。澪は慌てて「待ってください」と彼を呼び止めた。何、と彼が振り返る。
「あなたは、何年何組なんですか……私と一緒の高校ですよね」
また、会いたい、この人に。
澪は真っすぐに冬真を見つめた。
冬真は虚を突かれたように目を丸くしたが、すぐににこりと微笑んだ。そのまま歩き出す。
「2年5組。別にいいよ、会いに来てくれても」
次は、彼にちゃんとしたチョコレートを渡すんだ───澪は思った。
橙色の太陽の光が、彼が歩いていく道を、照らしていた。
短編集SHORTSでもお試し的なやつで公開します!
続きは書くかもです、いいね多かったら(
きゅんきゅんですね。失恋からこんなことになるのか…(心の中:うわああああああああああああああ、めっちゃかっこいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい)