長谷部 真人くん児童虐待死事件
こんにちは!私は両親から小さい時から虐待を受けていたのがきっかけで、将来、児童虐待防止の中心的役割を果たす「児童福祉司」という仕事を目指している中学生です。虐待で辛い思いをする子、亡くなる子供が少しでも減るよう、このブログで少しでも児童虐待防止のお手伝いが出来たらなと思います。私の名前とプロフィール画面にあるオレンジリボンは児童虐待防止のシンボルマークです。
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今回の記事...1999年に茨城県取手市で起きた長谷部 真人くんが虐待により亡くなった事件を取り上げました!
事件の概要
事件で亡くなった子...長谷部 真人(はせべ まひと5歳男児)
事件の加害者 ...実母の再婚相手の男(36)
発生地 ...茨城県取手市
虐待の種類 ...心理的、身体的、ネグレクト
虐待理由 ...男が凶暴的な性格だった
死因 ...不明
通告・保護 ...病院や近所の住民から通告
亡くなった日 ...1999年4月5日
事件の内容
真人くんの母親は真人くんの父親と離婚し、真人くんをのちに虐待死させた男の方と再婚し、真人くんを養子縁組します。母親と同居していた当時から、男には気に入らないことがありました。
それは、当時3歳の真人くんの「おねしょ」でした。
何度言ってもおねしょが治らない真人くんに対し、男は苛立ちを隠しませんでした。
それ以外にも、言うことを聞かないときは容赦なく体罰を加えていました。
母親とはその後別居していますが、もしかすると体罰を加える男に対する母親の苦言を男が嫌った可能性もあります。
母親と別居して以降、男の体罰は酷くなる一方でした。そしてその暴力は、言うことを聞かない真人くんのみならず、真人くんの母親である妻に対しても行われていました。
それらは理不尽なことや些細なことが原因であり、母親は真人くんを守る意味もあって何とかしなければと思っていました。
母親は一時、八尾母子ホームへ避難するなどしていたが、男が迎えに来たことでいったん自宅へと戻ってしまいます。
この時ばかり男も反省したのか、母親と真人くんへの暴力はおさまったといいます。しかし人はそうそう変われるものではありません。結局半年もすると、再び真人くんへの暴力が始まりました。
しかも、以前よりもひどい状況になっていました。
1998年夏、一家は大阪を離れます。実は男と真人くんの母親には借金が200万円ほどあり、その返済が追い付かなくなったことでいわば夜逃げのような形で大阪を離れる決意をしたのです。引っ越し先は、とりあえず関東方面と決めました。
8月から9月にかけ、一家は関東方面を転々としていました。
しかしその間も、男による真人くんへの暴力は続いていました。夏ということもあってか、この頃の男の虐待は「水責め」が多かったです。
男はとにかく真人くんが「なつかない」ことに苛立っていました。
普通は、大人の方が歩み寄り、距離を縮める以外にないと思うが、男は暴力と恐怖心で真人くんを従わせようとしていました。
真人くんは男に対する恐怖心で、なつくどころの話ではなかったのですが、それがさらに修二を苛立たせました。
「あいさつをしない」「こそこそしている」
こんな理由で、真人くんは日常的に暴力を受けるようになっており、一度は水風呂に沈められ溺れかけたこともあったといいます。
9月、水戸市内のマンションにいったん落ち着いたあと、男は新聞の拡張員として働き始めます。
そこで事件が起きます。9月中旬、言うことを聞かないとしてまたもや水責めを行った後、室内で真人くんを殴りつけたのです。真人くんは意識を失ってしまいます。
ここで修二は信じられない行動に出ました。失神した真人くんの顔面に、ポットの熱湯をかけたのです。真人くんの顔面は赤く爛れ、しかも殴られた際に家具に頭をぶつけて急性硬膜下血腫まで起きていました。
この時はさすがに母親が病院へ運び、真人くんは9日間の入院となりました。
当然、病院は虐待の可能性が高いとして水戸児童相談所へ通告。児相も、状況からその可能性が高いと判断し一時保護を試みるも、男に強く拒絶されたことで保護には至らなかったのです。
児相は在宅での指導を試みていましたが、真人くんが退院した直後、一家は水戸から姿を消しました。
11月、取手市内のマンションへ入居した男は、再び新聞拡張員の仕事を始めました。水戸にいた時とは違う販売店でした。
この頃、真人くんへの虐待は苛烈を極め、水責め、殴る蹴るといったそれまでのものに加え、食事制限やベランダへの締め出しなどが行われていました。
また、家族の輪に真人くんを加えないなどの精神的な虐待も行われていました。
夕食時、台所の食卓に、真人くんの席はありませんでした。
真人くんは、家族が食事をする間、別の部屋へ閉じ込められていました。与えられるものは食べ残し。それすら、もらえないこともありました。
体重は水戸にいたころ20キロあったといいますが、この頃には15キロ近くまで減っていました。
おなかをすかせた真人くんは、近所の食料品店でパンを万引きしてしまうことさえありました。
家族が外出する際は、家の中の食べ物を勝手に食べられないように部屋にカギをかけられ閉じ込められました。大阪では通っていた保育園も、大阪を離れて以降は通えませんでした。
そんな真人くんも、外出することがあったといいます。
それは、男の洗濯物、仕事で使うワイシャツをクリーニング店にもっていくことでした。とぼとぼと洗濯物を抱えてやってきた真人くんを見た店員は、息をのみました。
その顔には、マジックで「バカ」と書きなぐられていたのです。日にあたっていないのか、やけに青白いその顔の反対側は、火傷の痕で爛れていました。これまでにも、店員は真人くんの顔の痣や傷に気づいていて、その都度、真人くんに誰にやられたのかと聞いていました。
しかし真人くんは頑として何もしゃべらなかったといいます。「誰がバカって書いたの…」そう聞いた店員に、真人くんは「おとうさんがやった」とだけ答えたといいます。
真人くんへの虐待を見た人はほかにもいました。自宅はマンションの3階にありましたが、その3階のベランダから逆さづりにされた真人くんを見た人がいたのです。
1999年2月、見るに見かねた住民からの通報を受けた民生委員が市の児童相談室へ報告。翌日には担当職員が自宅を訪問するも、真人くんに会うことは出来ませんでした。
担当職員は、管轄の「土浦児童相談所」へ報告しました。
そして、再度の家庭訪問が行われるその3日前に、真人くんは命を落としました。
裁判↓
起訴事実を認めていた男でしたが、弁護側は児童相談所をはじめとする行政にも落ち度があったという責任転嫁にも思える主張を展開しました。
虐待を察知していながら未然に防止できなかった警察や児童福祉の関係機関にも落ち度がある、というのが趣旨でした。
実は男とその家族は水戸市に住民票を移していませんでした。大阪から逃げてきた経緯を考えれば、住民票を移せなかったと考えるのが自然で、それ自体はその立場に立てばやむを得ないというか理解できなくはない話です。
しかしこれが実はすべてを後手後手にしてしまっていました。
そもそも大阪時代、真人くんの母親はあらゆるところにSOSを発信していました。
暴力に耐えかね、真人くんが当時通っていた保育園に相談していたし、富田林の子ども家庭センターのケースワーカーにも相談していました。
そして、男から追い出された際には八尾母子ホームに避難していたのです。
閉ざしてしまう親、特に母親にはそれが見えることが多いが、真人くんの母親は出来る限りの行動をしていました。
水戸市でも児相とかかわりを持ったものの、住民票がなかったことで引っ越してしまった一家を追うことがすぐには出来なかったのです。
ただ、水戸の児相も何もしてなかったわけではないです。捜していたのです。
そして、3月になってようやく土浦の児相に持ち込まれたあの家族が、追っていた水戸の家族だと判明していました。
その矢先の、真人くんの死でした。
水戸地裁土浦支部の山嵜和信裁判長は、
「再婚相手の連れ子を2年に渡って常識ではおよそ想像もつかないような虐待行為を日常的に続けたものであり、正視に耐えないほど痩せ細り傷だらけになった遺体の状況が、これまでの虐待の過酷さと被害者の苦痛の大きさを物語っている。これらは被害者への憎しみから行われたものであり、しつけという名目を使ったからと言って正当化されるものではない。空腹に耐えかねた被害者が勝手にカレーを食べたことに腹を立て、感情の赴くままに犯行に及んだものであり、酌むべき事情は全くない。本来なら両親から愛情と栄養を十分に与えられてしかるべきであるのに、被害者は養父の手によって日常的に激しい虐待行為を受け、口答えはおろか実母に助けを求めることさえできないまま怯えながら生活し、短い人生を終えるに至ったものであり、誠に哀れというほかなく、犯行の結果が重大であることは言うまでもない。被告人は短気で粗暴な行動傾向や、自己中心的で身勝手な考え方をする傾向が顕著であり、他人に対して暴力を振るうことへの罪悪感が鈍麻している。」と厳しい言葉で男を非難し、その人格を矯正するには長い時間が必要、かつ、容易なことではないとしました。
さらに、この期に及んでも心からの反省をしているように見えないことなどを挙げ、口では謝罪をしてはいるものの、この事件が児童虐待の最たる例として社会に報道されたことなども考えると一般予防の観点にも十分な配慮が必要、としました。
要は、厳しい判決を持って臨まなければ世間も納得しないし、同じようなことを起こす人が出てくるということを危惧していました。
真人くんの母親は男の裁判に自身の供述を提出していました。
「何を言っても、真人か私が殴られた。夫の暴力が怖くて子供への虐待を止められなかった。(犯行時、真人くんが)私をにらみつけた顔が今でも忘れられない。
「お母さん助けて」という目をして、私を見つめていた」
さらに、真人くんが意識を失った際、男はこう言い放っていました。
「死んでるで。知らんぞ。お前ら勝手にしとけ」
そういうと、そのまま外出したのだといいます。
広島で愛人の子どもを短期間に二人も殺害した男も、命を落とした子供に対し、『死んでも腹が立つ」と言い放ちました。
あの日、真人くんは下の妹と共に家に置き去りにされていました。普段なら鍵がかかっていた部屋に、その日鍵はかかっていませんでした。もう何日も満足に食事をしていなかった真人くんは、空腹のあまり台所で食料を捜しました。冷蔵庫にあったのは、レトルトパウチのカレー。それを、温めることもなく、貪るように真人くんは食べました。後始末はしたつもりでしたが、すぐにバレてしまいました。
カレーは、真人くんの好物だったといいます。
「お腹空いたな…カレー食べたいな…」
真人くんは死の直前、口癖のようにつぶやくことがあったといいます。
どうすれば助けられたのか
どうすれば助けられたのか↓
・男に拒否されても、権限を使い、一時保護するべきだった。
・通告が何回以上きたら、権限を使い一時保護など、決めておくべきだった。
長谷部 真人くんが来世ではもっと幸せに暮らせますように
亡くなった長谷部 真人くんのご冥福を、心からお祈りします。こんな形でしか亡くなった長谷部 真人くんが生きていたことを証明できませんが、こういった事件が二度と起きないよう、皆さんにお願いがあります。児童虐待の疑いがある子を見かけたら通告をお願いします!😊 通告方法は簡単です。電話で189に電話するだけです。「いちはやく」で覚えられます。通信料も要りません。匿名でも大丈夫です。秘密も守られます。あなたの通告がその子どもの希望です。
児童虐待を受けたと思われる子どもを見かけたら、通告をお願いします!😊
なんで虐待なんてする親がこの世にいるのかなって
気に入らないこともあるかもしれないでもそれは小さな子だから仕方ないんだよ
だから育てるんだよ
育てて、いいこと悪いことを教えて愛情を注ぐんだよ
なんで???
心が苦しい
って思いました