山本 翔くん虐待死事件
こんにちは!私は両親から小さい時から虐待を受けていたのがきっかけで、将来、児童虐待防止の中心的役割を果たす「児童福祉司」という仕事を目指している中学2年生です。虐待で辛い思いをする子、亡くなる子供が少しでも減るよう、このブログで少しでも児童虐待防止のお手伝いが出来たらなと思います。私の名前とプロフィール画面にあるオレンジリボンは児童虐待防止のシンボルマークです。
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今回の記事...2001年に千葉県袖ケ浦市で起きた山本 翔くんが虐待により亡くなった事件を取り上げました!
事件の概要
事件で亡くなった子...山本 翔(やまもと かける3歳男児)
事件の加害者 ...「実父」山本健(26) 「実母」山本智栄美(24) 「祖父」関作三(48) 「祖母」関一枝(46) 「曽祖父」関栄作(78)
発生地 ...千葉県袖ケ浦市
虐待の種類 ...身体的、ネグレクト
虐待理由 ...妊娠中の実母のお腹の上に乗っかり、流産させそうになったから
死因 ...脳障害
通告・保護 ...虐待の事実に袖ケ浦市や児童相談所が気づいていた
亡くなった日 ...2001年2月26日
事件の内容
翔くんは父親の連れ子で、新しい母親と再婚し、妊娠中の母親の腹の上に乗っかり、流産させそうになったため、翔くんから見て、実母、実父、曽祖父、祖父、祖母に虐待させられるようになります。
そして、事件の1ヶ月前の1月ごろには、近所の人に「家族がご飯を食べさせてくれない」と言っていました。他にも、家族5人は翔くんを外出させず家に閉じ込めるなどの行為も繰り返していました。この頃から、袖ケ浦市や児童相談所が虐待の事実があることに気づいていました。また、2001年2月中旬には翔くんの歯がかけているのに、治療せずに放置しました。
そして、2001年2月20日午後4時15分ごろ、家族の愛情を求め注意を引こうとした翔くんは、妹(4ヶ月)にいたずらしたことから、母親に平手で叩かれて転倒した翔くんは、石油ストーブに激突し、その2時間後、祖父に数回殴られ、その結果、6日後に脳障害で亡くなりました。
日常の虐待は、「翔くんの足が宙に浮いたり、腰砕けになって、その場に倒れ込んだりするほど激しく、その際、翔くんは手足や上半身をけいれんさせていた」程だったそうです。そして、母親ら4人を傷害致死罪、父親を保護責任者遺棄致死罪で起訴した。
どうすれば助けられたのか
どうすれば助けられたのか↓
・虐待の事実があることに気づいていたのなら、面会や保護者らの相談に乗るべきだった。
・一時保護をするべきだった。
山本 翔くんが来世ではもっと幸せに暮らせますように
亡くなった山本 翔くんのご冥福を、心からお祈りします。こんな形でしか亡くなった山本 翔くんが生きていたことを証明できませんが、こういった事件が二度と起きないよう、皆さんにお願いがあります。児童虐待の疑いがある子を見かけたら通告をお願いします!😊 通告方法は簡単です。電話で189に電話するだけです。「いちはやく」で覚えられます。通信料も要りません。匿名でも大丈夫です。秘密も守られます。あなたの通告がその子どもの希望です。
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