K3125
ここでは夜は明けない。ここへ来て何日、何週間経ったか分からない状態で私は目を覚ました。ひどく酔ってる。私は腰に手を当て、壁に体重をかけながらなんとか立ち上がろうとする。
「大丈夫か?」
立つことに苦労していると、突然手を差し伸べられた。手の主は金髪で少し太った白人の青年で、所々に痣や傷が見える。「新入りか?だいぶ酔ったみたいだな」
「あぁそうみたいだな。ありがとう」
彼の手を取り、ふらつきながらも立ち上がる。不思議なことに頭痛は全くしなかった。
「とりあえず自己紹介でもしておくか。私の名前はフランシスだ。君の名前は?」
「……アルト」
私は忘れかけていた自身の名前をなんとか思い出して言葉を零す。
「アルト・クレフだ」
「アルトか……いい名前だな」
青年は私の目を見て大きく頷き、答えた。
「大抵の人は全てを忘れてしまうんだ。自分の名前を含めて。ここはそういうための場所だから。だが名前ぐらいは覚えておいてもいいと思うんだ。君もそう思うだろ?」
青年はそう言うと、くしゃくしゃな笑顔をしてみせた。彼の人懐っこい笑顔を見て私は思わず笑みをこぼす。
「オーケー、フランシス。一杯やるか?お近づきのしるしってやつだ」
私が誘うとフランシスは笑顔で了承する。
……そうなると思っていたのだが。
「君は……本当にそれでいいのか?」
フランシスの表情は先程とは一変し、陰りを見せていた。
不安、失望、様々な負の感情が混ざったような声でフランシスは続ける。
大抵の人は酩酊街でそのような感情を感じることはない。
「君はそれでいいのか?自身の責務から逃げ、酔いつぶれて。本当にいいのか?」
声に怒りが混じり、言葉が荒くなっていくのを感じる。怒り上戸……ではなさそうだ。
「なんだ、いきなり説教か?ここはそういう場所のはずだ、わかるだろ。酔いつぶれて、全てから解放される。君とは良い友人になれると思ったが、間違いだったようだ」
私はその場を去ろうとする。せっかく気持ちよく酔いが回っていたのに、台無しだ。
「メリ」
フランシスが呟く。私は硬直した。一気に酔いが醒める。『メリ』……なんのことだ?知らないしらないシラナイシラナイシラナイシラナイ…………
「メリ。彼女が残してくれたものを守らなくて良いのか?お前の友人たちの子供を守らなくていいのか?」
フランシスの視線が私のうなじに刺さるのを感じる。
私は振り向き、フランシスの目を見た。
フランシス……フランシス……あぁ……
突如として私の思考は暴走を始めた。記憶が決壊する。
メリ。メリ。メリ………
忘れていたはずの、封印していたはずの記憶が脳内に流れ出る。
あぁ、リリー。君が残してくれたもの。君と私が愛したもの。
私の力不足により"166"とナンバリングされ、囚われてしまっているあの娘。
私が守ると誓ったあの娘。
思い出した。湖畔で過ごした辛く、ただ愛する者と過ごしたあの日々を。
希望を、家族とともに穏やかに過ごすという希望を抱いたあの日々を。
全てが崩壊し、孤独に苦しんだ日々を。
自身が自身でなくなることに恐怖した日々を。
「あぁ……あぁ!」
頭が痛い。忘れた、忘れたはずなんだ。
次は友人たちの顔が浮かんだ。
コンドラキ……
何度も○し合いをした親友。
あいつが自分の息子を嬉しそうに抱きながら、15ものオブジェクトを終了した日のことを鮮明に思い出した。
何故自○なんかした。何故だ。お前には守るべきものがあっただろう。何が『お前に託す』だ、くそったれ。私は託児所じゃないぞ。
ブライト……
最後にあったのは奴の息子の結婚式だ。
あいつ私のこと本気で心配していやがった。
あいつもかなり落ち着いてきたな。少し寂しい気もするが。
グラス……
あいつの反応はいつも面白い。よくコンドラキやブライトと一緒にちょっかいを出したものだ。
あいつの恋の悩みの相談を録音して人事ファイルに載せた時のあいつの悲鳴。あれは傑作だった。
どんなに酷い目にあっても私達を気にかけてくれていたな。根っからの"いい奴"なんだろう。
何故、何故私は彼らを忘れた。
あの日々を忘れたんだ。
流れ行く記憶の波は過ぎ去り、思考が現実へと引き戻される。私は膝をつき、肩で息をしている。酒の酔いとは関係のない吐き気が私を襲う。
「お前は救われることはない」
フランシスは私を見下ろして言い放つ。鋭く、そして哀しく。
「だが人々を、財団を、守るべきものを救うことはできる」
フランシスの言葉で思い出す。彼女を守るためにGOCへ入った日のことを思い出す。
体が、心が壊れようが、彼女のために命をかけたあの日々を思い出す。
「お前は戻らなければならない。世界を人類が暗闇を恐れるような世界にしてはならない。彼女がいた世界を守らなければならない。これはお前の義務だ。お前の贖罪だ。逃げ出すことも、諦めることも許されない」
フランシスはそう言い切ると空を見上げる。
「さぁ戻るんだアルト・クレフ博士。エージェント"ウクレレ"。まだ"古い仕事"が残っているだろう。新しい仕事も発生し続けている。いつか自身が消え去るその時までお前は戦わなければならないんだ」
「……はは。ケインの糞みたいに長い説教だな」
笑いながら私は立ち上がる。そうだ、私はまだ止まるわけにはいかない。止まってはいけないのだ。
何故全てを放棄した。自身の愚かな行いに腹を立てる。
「どうやら私は卑屈なネガティブ野郎になっていたみたいだ。ミスター・せきにんかん って奴が足りないな」
ブライトが結婚式で言っていたくだらないジョークを引用する。それを聞くとフランシスは頭を掻き、笑みを零した。「そうだ。それでいい。それがお前だ」
フランシスに背を向けると、私は"力"を行使する。自身の持ち場に、あるべき場所に戻るために。
空間は歪み、カラフルな閃光の後、現実はロックされた。
振り返らずに私は駆け出す。現実のトンネルを軽快に、迷いなく走り抜ける。
忘れ去られたはずのかつての私は、微笑みながらその背中を見送った。
脚注
1.ライト博士のファーストネーム
2.世界オカルト連合による現実改変者を捜索・破壊するための作戦
3.魔術の類を使用することができる者
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