Nemo Ex Machinaとオーマジオウ&アノス最強論&高遠夜霧&リムル最大解釈はどっちが強い?


Nemo
圧倒的に差があり過ぎる
まず、ヒルベルト空間や多世界要素がある時点でHigh 1−Bは確実にある
そして知性体の時点で形而上学や次元超越を無限に超越しているからそれ以上に強いNemoではOverkill過ぎる
最大解釈してもいいって事は、即死チートキャラが高遠夜霧の無敵の理屈をついに解き明かせたような気がするとか言い出したあやふやな話を夜霧のスペックとして持ち出してもいいのか?
即死チート世界は無限時空の前提で確率論を考えると、誰にも倒せそうにないほどの究極的な実力者に文字通りの全てが壊滅させられる確率が100%にならないとおかしいのに
この先もずっと一度たりとも文字通りの全てが壊滅しないと事が発見されたのは、高遠夜霧の本体の即死チートによって、究極的な実力者が全員即死したからではないかという説が、とある登場人物によって唱えられてる。
究極集合的な世界はどんな世界も含むため、これに当てはまらない世界などは、観測できないせいで相互に影響を与えられないならそんな世界など存在しないのと同じ事だと即死チート一番の物知りキャラが言ってた。
最大解釈なら文字通りの全ての世界=究極集合世界=現実の最大宇宙理論のレベル4マルチバースにしてもいいだろうか。
高遠夜霧がもし敗北したら、究極的な実力者を誰も倒せなくなり究極集合的な世界の全壊を阻止できない事が確定事項になってしまうので、世界が存在しているだけで自動的に高遠夜霧が勝利したと証明した事にしてもいいなら、オーマジオウ&アノス最強論&高遠夜霧&リムル最大解釈に1票。
今回は最大解釈してもいいとの事なので、保育園児未満級を超える知性のある即死チート全キャラは、自分1人だけの独自世界法則を垂れ流しており、他人の垂れ流している独自世界法則を
自らの世界法則内に吸収したり混ぜ合わせたりしない限りは、全ての行動も思考すらも出来ないかもしれない設定は無視して投票した。
最大解釈ありなら究極集合以上の多元宇宙存在しないからその規模で全知全能のオーマジオウに勝てる奴おらんぞ
どれだけ宇宙論重ねても宇宙論である以上は究極集合に内包されるからな
Nemo Ex Machinaはオーマジオウやアノスどころかジョルノより弱いと有名youtuberのやまだしき様によって解明されていたぞ
https://youtube.com/shorts/wMYRJjDuNvM
詳しくは動画を見てくれ
疑問質問は全て動画にコメントしてくれ
チャンネル登録&高評価もよろしくお願いします
>>12
なんや、ただのジャンプキッズの人か
冗談は他所に言って、どうぞ
>>13
恐ろしいことにその動画投稿主のやまだしきはキッズではなく50歳越えのお爺さんで、ジョジョ以外だと聖闘士星矢とラッキーマンが大好きらしいです。。。
比較すると以下のようになる
リムル<アノス<オーマジオウ<高遠夜霧<Nemo Ex Machina
こうして見ると高遠夜霧が一番のMVPになるくらい高遠夜霧ってかなり強いねぇ
>>15
高遠夜霧は確かに強いがオーマジオウ程ではない
ちなみに全創作最強キャラはyoutubeで最も強さ比べに詳しい人曰くジョルノとされている
ジョルノ>>>>>Nemo Ex Machina>オーマジオウ>高遠夜霧>アノス>リムル
>>18
ジョルノでは最強になれないんだ
勿論ほとんどのキャラクターは最強になれないのよ
これまでこのトピックで最強かそれに近い強さのキャラクターはまだ出ていないんだ
>>18
ジョルノ過大評価しすぎ
それどうせやまだしきでしょ
こう言っちゃ悪いがあの人のことあんま当てにしない方がいい
巨大知性体の時点でこのスペックだし勝ち目ないと思う
極限を越えて進化したコンピューターであり対応する宇宙で全知全能、と言うよりは宇宙そのもの
より正しくいえば宇宙そのものかつ、現象の総和であり、法則そのものでもある
その宇宙内の形式論理を含めたあらゆる法則、さらに法則の法則といった無限ループもすべて巨大知性体の制御にある
その巨大知性体が集まって多宇宙を構築し、巨大知性体群は多宇宙全体を制御する
多宇宙は無限に多様であり、その多様性は図形の配置の仕方になぞられる
有限種類の図形を個数の制限なしに並べて得られるすべての図形列、すなわちある文字体系で記述可能なすべての文字列がこの多宇宙に対応する
さらに文法は問われないためそれぞれの文字列にどんな意味を与えることも許されるうえ、文字の構築も自由であり、一文字の区切りをどこにおいても、黒塗りの中に黒文字を見いだしても、空白の中に白文字を見いだしても許される
事実上、多宇宙はすべての可能な文字列に対応する
また、巨大知性体は人間には理解不能と言われる
名付けは可能であるため否定神学ほどの超越性は持たないが、依然として人間によって理解・想像されるすべてを超える
確かにそこに「いる」にも関わらず形而上学的な「存在」を持たない、存在なき実在とでも言うべきものである