小説 紅影⑤
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灰灯の部屋、畳の中央に、ハルは紅剣を置いた。
「持っていかなくて良いのか」
後ろから、ラカールがそう言った。
「…あぁ、俺はこれに頼らない」
「なら、これを持っていろ」
ラカールは腰から銃を差し出した。
「これだけでは機械人間には届きえない。だが、ないよりはましだ」
「…重」
ハルは銃を受け取り、しばし見つめた。
「だが…それだけで機械人間に勝てると思うな」
「わかってるわかってる」
ハルはそう言って襖を閉めた。
剣の紅が、わずかにハルの目を射抜いたような気がした。
ーー
森を抜けた先に、その村はあった。
村は柵で囲まれており、寂れた村の門が、虚しく開いていた。
ハルは足を止めた。
「……ここがフジ村か」
ラカールは周囲を見渡しながら短く答える。
「ああ。間違いない」
その時だった。
その門から、一人の若い女が走ってきていた、
「灰灯の方ですか!?」
ハルとラカールは止まった。
「ナツです。あなた方を、村まで案内するよう仰せつかりました」
ナツは、黒髪を後ろで束ねた若い女だった。
「機械人間は?」
ラカールが言う。機械人間は今のところ見当たらない」
「…とりあえず、私の家に」
何かを言いたくないように、ナツは低い声で言った。
ーーー
崩れた石垣。
歪んだ木柵。
雨風に削られた家々。
フジ村だった。
だがーーー
静かすぎる。
「……人の気配がないな」
ラカールが呟いた。
昼間だというのに、誰も外を歩いていない。
洗濯物すら出ていなかった。
風だけが通りを抜ける。
ハルは周囲を見回した。
「廃村じゃないのか?」
「いや」
ナツが振り返る。
「みんな、家にいるだけです」
彼女の腰には短刀。
だが顔立ちは柔らかく、戦う人間というより普通の村人に見えた。
「三日前から、機械人間が村の近くに現れるようになりました」
ナツは小さな声で続けた。
「だから皆、日が落ちる前に家を閉めるんです」
ラカールが辺りを見回す。
窓。
扉。
隙間。
そこから視線だけが覗いていた。
「……妙だな」
ハルはつぶやいた。
「機械人間は、バカなんじゃないのか?」
ハルはラカールに、真顔で言った。
「通常のは、な」
ラカールは少し考えてから言った。
「紅剣、持ってこなくて良かったな」
「…それって、どういう…」
その時。
遠くで子供の泣き声が聞こえた。
すると、すぐに消える。
誰かが慌てて口を塞いだみたいに。
ラカールの目が細くなる。
(怯えすぎている)
機械人間への恐怖が、村全体に染み込んでいた。
ナツが足を止めた。
「ここです」
古い木の家だった。
戸を開けると、中から男が顔を出した。
痩せた男だった。
腰には剣。
目の下には濃い隈がある。
「……連れてきたのか」
男はラカールたちを見る。
ナツが頷いた。
「灰灯の人たち」
男は少しだけ安心した顔をした。
「入ってくれ」
家の中は狭かった。
囲炉裏。
棚。
干された薬草。
そして、部屋の隅には小さな子供がいた。
五歳くらいだろうか。
ナツの後ろに隠れ、じっとハルを見る。
「息子か?」
ハルが聞く。
ナツが頷いた。
「リクです」
リクは黙ったまま、小さく頭を下げた。
ラカールは部屋を見回していた。
窓には板が打ち付けられている。
扉の近くには槍。
水瓶も多い。
まるで籠城だ。
「ずいぶん警戒してるな」
ラカールが言う。
夫が苦笑した。
「……夜になると、足音が聞こえるんだ」
部屋の空気が少し冷える。
「機械人間か?」
「分からない」
男は首を振る。
「でも、外へ出た奴は戻らない」
沈黙。
囲炉裏の火が小さく鳴る。
ハルは子供を見る。
リクは木彫りの人形を握っていた。
兵士の形だった。
腕が片方折れている。
「それ、お前が作ったのか?」
子供は小さく頷いた。
「父ちゃんが昔、兵隊だったから」
夫の顔が曇る。
ラカールはそこを見逃さなかった。
「旧軍か」
男は少し黙ってから答えた。
「……都市防衛隊だ。京都の」
ハルが反応する。
「京都?」
「昔の話だ」
男は疲れた声で言う。
「怪我して辞めた。それからここへ来た」
ラカールは何も言わなかった。
その時だった。
外で、何かが倒れる音がした。
ガタン。
全員の動きが止まる。
ナツの顔が青ざめる。
夫が槍を掴んだ。
ハルは思わず、腰の銃に触れる。
ラカールは静かに窓へ近づく。
板の隙間から外を見る。
通りの向こう。
黒い影。
ガコン。
ガコン。
金属音。
誰かが走っていた。
二人の村人だった。
必死に逃げている。
その後ろを、黒い装甲の人影が歩いていた。
速くはない。
だが一定の速度で近づいている。
逃げる二人のうち、一人が転ぶ。
悲鳴。
機械人間の腕が動いた。
血が飛ぶ。
リクが小さく息を呑んだ。
夫が震えていた。
槍を持つ手が揺れている。
ナツが言う。
「また……」
もう一人の村人も転んだ。
そして機械人間の方を向き、焦燥している。
「…誰か、助けて…」
ハルは、聞き逃さなかった。
逃げていた村人。
倒れた。
動かない。
その光景が、別の景色と重なる。
カル。
血。
母。
崩れた酒場。
頭の奥で、声が蘇る。
『渡せば助かるかもしれない』
助からなかった。
誰も。
駆け出そうとした時、手を掴まれた。
ラカールだった。
ラカールはハルから目を離さない。
「待て」
ハルは動かない。
「情報が少ない。今出るのは――」
「また同じになる」
ハルが呟いた。
ラカールが見る。
ハルの目は、窓の外を見ていた。
「今度は」
静かな声だった。
「見てるだけは嫌だ」
ラカールは眉をひそめる。
「今は、見ているだけだ」
「違う」
ハルは答える。
「敵の数、敵の強さ、敵の目的、敵の正体。全部が不明だ」
「それが…」
「今しくじれば!?」
ラカールの声が大きくなった。
「我々が死ねば、もう誰も奴らを止められなくなる。死ななくても良かった人間が、今度は大勢死ぬんだ!それが、理解できないか!」
彼は低く、そして力強く言った。
ハルはラカールの手を振り払った。
母が死んだ時。
カルが死んだ時。
止められなかった。
外で、また悲鳴が響く。
リクが怯えて母親にしがみつく。
その瞬間。
ハルは扉へ向かっていた。
家の扉を蹴り飛ばし、機械人間の方に向かった。
村人は、まだ死んでない。
ハルは走り、村人の正面で、機械人間と相対した。
「速く行け!」
ハルは村人に言った。だが村人の足は震えていて、とても動けそうにない。
腰から銃を抜き出し、片手で機械人間に突きつける。
機械人間の腕が、横薙ぎに動く。
振り下ろされる直前。ハルは咄嗟に銃を撃った。
銃口が、跳ね上がる。
衝動に耐えきれず、肘や手首が曲がる。
反動で跳ね上がった銃が自分の顔にぶつかった。
ハルは思わずよろめき、倒れそうになる。
機械人間の腕が、振り下ろされる。
(しくじった…?)
それだけを思い、ハルは倒れた。
血飛沫が見えた。
自分の血ではない。斬られたのは、ハルではない。
助けようとした、村人だった。
背中を斬られ、そのままハルの目の前に倒れ込む。
「…カル?」
ハルは思わず、つぶやいた。

