小説 紅影⑥
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機械人間の腕が、ゆっくりと持ち上がった。
倒れた村人の血が、黒い装甲を伝って滴っている。
ハルは息を切らしながら銃を構えていた。
腕が震えている。
引き金に指はかかっていた。
だが、撃てない。
背後では、家から飛び出してきたラカールたちが身構えていた。
「距離を取れ!」
ラカールの声が飛ぶ。
機械人間が一歩前へ出る。
ガコン。
ガコン。
一定の歩幅。
無機質な足音だけが響く。
しかし、その動きが突然止まった。
「……あーあ」
聞こえたのは機械音ではなかった。
人間の声だった。
ハルの目が見開かれる。
黒い装甲の隙間から、指が伸びる。
そして兜のような頭部が外された。
中から現れたのは、痩せた男だった。
頬はこけ、目だけが異様な光を宿している。
リクが小さく息を呑む。
「……人?」
男は鼻で笑った。
「見りゃ分かるだろ」
装甲を軽く叩く。
「本物の機械人間なんざ、そうそういねぇよ」
ラカールの目が細くなる。
「残骸利用か」
男は肩をすくめた。
「この辺じゃ珍しくもねぇ」
ハルは銃を下ろせなかった。
男は続ける。
「食うためだ」
静かな声だった。
「村は閉じこもる。都市は見捨てる。だったら奪うしかねぇだろ」
血のついた刃を見下ろす。
「腹が減れば、人は何でもやる」
少し間を置いて、続けた。
「孤児になってからずっと、俺はこうして生きてきた」
ハルは言い返せなかった。
男の目は、狂気というより疲れ切った人間のそれだった。
「……じゃあ」
ハルが言う。
「なんでこんなことを」
男は即答する。
「脅しただけじゃ渡さねぇからだ」
空気が重くなる。
男は薄く笑った。
「でも、これなら話が早いだろ」
装甲を軽く叩く。
「みんな勝手に怯えてくれる」
その視線が、ナツの後ろへ向く。
リク。
男の動きが変わった。
一瞬で間合いを詰める。
「リク!!」
ナツの叫びが響く。
男はリクを引き寄せ、身を盾にするように後ろへ回る。
短刀がリクの首元に添えられた。
「金目のもん全部出せ!」
ナツが凍りつく。
夫が前に出ようとする。
「やめろ……!」
だが次の瞬間、男の動きが止まった。
男の短刀が、夫の喉を貫く。
騒ぎの中で、状況は一気に崩れる。
夫は倒れ、静けさが広がる。
誰も声を出せない。
ナツはその場に崩れ落ちた。
ハルも動けなかった。
胸の奥に、過去の記憶が重なる。
守れなかったもの。
失われたもの。
「何してる! 早く金を出せ!」
男の声が響く。
「うるさい」
ハルは低く呟いた。
そして、駆け出した。
男はリクを盾に取ろうとする。
「やめて!」
ナツの声が響く。
ハルは一瞬で死角に回り込んだ。
そして銃で男の腕を打ち、動きを止める。
男の手が緩み、リクが解放された。
ハルはすぐにリクを抱き寄せる。
男は体勢を立て直そうとするが、間に合わない。
ラカールが静かに距離を詰める。
「もう終わりだ」
男は一瞬だけ周囲を見渡した。
そして、力なく笑う。
「上手くいかねぇもんだな」
次の瞬間、男は踵を返して走り出した。
村の出口へ。
「おい!」
ラカールの声が飛ぶ。
だが男は振り返らない。
「俺は機械人間なんかじゃねぇ!」
叫び声だけが遠ざかっていく。
「どこからでも来い!」
そして森の奥へ消えた。
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男のその後は誰にも分からない。
名前すら知られていない。
だが確かに、生き延びた。
たとえその生き様が、やがて忘れられていくとしても。
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ハルはリクと共にナツのそばに立っていた。
ナツは亡骸の前でうずくまっている。
言葉にならない悲しみが、その背中を覆っていた。
「……私は、これから何を思って、どう生きていけばいいの」
涙が落ちる。
それは夫だけに向けられたものではなかった。
失われた日常そのものへの問いだった。
ハルの耳に、かつての言葉がよみがえる。
「こんなところにいたんじゃ、なんのために生まれてきたんかわからねぇだろ」
カルの声だ。
「決まってるんじゃない。意味は、これから見つけるんだろ…」
そう言い、ハルは小さく息を吐く。
そして歩き出した。
ナツとリクの泣き声が背後に残る。
ラカールが隣で静かに言う。
「気休めだな」
「……そうかもしれない」
ハルはそれだけ返した。
そして、前を向いたまま歩き続けた。
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オオツ村。
村人は埋められ、人々が生きていた残骸が飛び散り、冷たい風が吹き荒れている。
「…機械人間に襲撃されたんだな」
「遺体は、埋められたのか…?」
状況確認のため、京都からわずかな治安兵が派遣されていた。
だが、彼らは何をすれば良いのか分からず、ただただ破壊された村を眺めていた。
そのなかに、一人異彩を放った男がいた。
右目に眼帯をつけた、黒髪の青年である。
二つの墓の前で、その若い男は立った。
そこには、筆で書かれた文字。
「我が唯一の良心、ここに眠る」
「我が一人の親友、ただ安らかなれ」
いずれ風化されるであろう、人々の小さな軌跡だった。
そして。
「ようやく会えたな。草薙・ハル…」
青年の冷たい声が、風に乗り舞った。

