新型コロナの科学
2年前の2020年3月11日、世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)を宣言した。それ以降、感染者は約200カ国で5億人近くにのぼり、世界で600万人以上が死亡したが、終息はまだ訪れていない。
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新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は2年の間に、変異のスピード、コロナ後遺症をはじめとする人体へのさまざまな影響、ほかの種への感染の仕方など、科学者たちに数々の驚きをもたらしてきた。
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2年がたった今も、新型コロナウイルスについてはまだわからないことがたくさんあると、米ノースカロライナ大学の感染症専門家デビッド・ウォール氏は言う。今も専門家を悩ませる謎とともに、これまでに解明されたことを振り返ってみよう。
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専門家は数十年前から、何らかのパンデミックが起こるだろうと警告していた。野生動物がすむ範囲にまで人間が活動範囲を広げれば、新たな病原体が動物から人間に飛び移り、致命的な人獣共通感染症が発生する可能性が高くなる。
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2008年に学術誌「ネイチャー」に掲載されたある研究によると、野生動物に由来する新規感染症は、1940年から2004年の間に著しく増加してきたという。
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しかし、専門家の多くがずっと懸念してきた対象はインフルエンザウイルスであり、コロナウイルスがこれほどの惨事を引き起こすとは、必ずしも予想していなかった。
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潮目が変わったのが、2002年から2004年にかけて発生した重症急性呼吸器症候群(SARS)のアウトブレイク(集団感染)だった。これにより29カ国で8000人以上が感染し、774人が死亡した。その後、2012年に発生した中東呼吸器症候群(MERS)のアウトブレイクでは、37カ国で2000人以上が感染した。このウイルスによる死者は、これまでに900人近くに達している。
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それでも、インフルエンザウイルス、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)、デング熱ウイルスといった“ほんとうに悪いやつら”に比べれば、人々はコロナウルスをさほど警戒していなかったと、米カリフォルニア大学サンフランシスコ校でRNAウイルスを研究してきたラウル・アンディーノ氏は言う。
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そこへ新型コロナウイルスが突然襲いかかった。新型コロナウイルスはそれまでのコロナウイルスよりも感染スピードが速い。理由のひとつは、ある細胞から次の細胞へと効率的に移動する能力にあると、専門家は推測している。また、新型コロナウイルスは封じ込めるのが難しい。無症状患者が多いため、人は自分でもそうと知らないうちにウイルスを広めてしまうからだ。
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「いわば新型コロナウイルスは、急速に拡散して、同時に病気を引き起こすことができる方法を発見したのです」とアンディーノ氏は言う。「最悪のシナリオが現実のものとなったわけです」
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コロナウイルスでは通常、インフルエンザウイルスやHIVなどのほかのRNAウイルスに比べて、遺伝子の変異が起こるスピードが遅い。SARS-CoVとSARS-CoV-2で遺伝子を構成する塩基が置き換わる割合は毎月ほぼ2カ所程度で、インフルエンザウイルスの半分から6分の1程度にあたる。その原因は、コロナウイルスには、ウイルスの遺伝物質が複製される際に生じるエラーを修正する「校正タンパク質」があるためだ。
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「だからこそ、われわれは新型コロナウイルスがそれほど速く進化することはないと考えたのです」と、米ケンブリッジ大学の臨床微生物学者ラビンドラ・グプタ氏は言う。
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アルファ株(2020年9月に英国で検出された最初の「懸念される変異株(VOC)」)の出現だ。アルファ株では、従来の新型コロナウイルス株からの遺伝子変異が少なくとも23カ所あり、人間の細胞と結合するスパイクタンパク質のアミノ酸が8カ所も置き換わっており、科学者たちをひどく驚かせた。
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「このウイルスにはこうした飛躍的な進化が可能であることが明らかになりました」と、米ユタ大学の進化ウイルス学者スティーブン・ゴールドスタイン氏は言う。これだけの変異を備えたアルファ株は、従来株よりも50%感染を広げやすくなった。
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次の変異株であるベータは、そのおよそ1カ月後に南アフリカで最初に確認され、同じくVOCとされた。この株のスパイクタンパク質には8カ所の変異があり、そのうちのいくつかは、ウイルスが体の免疫防御を逃れるのに役立つものだった。
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2021年1月に現れたガンマ株では、特徴となった21カ所の変異のうち、10カ所がスパイクタンパク質で起きていた。その一部は、ガンマ株の感染を広げやすくし、すでに新型コロナウイルス感染症にかかった人に再び感染することができた。
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「ウイルスがこれほど一気に感染力を高める例は見たことがありません。当然ながらわれわれには、現在ほど遺伝子を解読できる状態で、実際にパンデミックを観察した経験はありませんが」とゴールドスタイン氏は言う。
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次にやってきたのが、特に危険で感染力の高いデルタ株だ。これはまずインドで確認された後、2021年5月にVOCに指定された。2021年末には、ほぼすべての国でデルタ株が支配的となった。その独特の変異の組み合わせ(計13カ所、うちスパイクに7カ所)のおかげで、デルタ株はオリジナルの株に比べて感染力が2倍で、感染期間は長くなり、感染者の体内で1000倍もの量のウイルスを産生するようになった。
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「新たな解決策と適応して広がる方法をいとも簡単に見つけてしまう新型コロナウイルスの能力には、驚くばかりです」とアンディーノ氏は言う。
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ところがその後、デルタ株の2倍から4倍の感染力を持つオミクロン株が、世界の多くの地域でまたたく間に取って代わった。2021年11月に初めて確認されたオミクロンは、異常なほど多くの変異を持ち(計50カ所、うち少なくとも30カ所がスパイクタンパク質)、その一部のおかげで、これまでに登場したどの変異株よりもすぐれた抗体回避能力を備えている。
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「こうしていくつもの変異が一気に起こると、パンデミックが非常に予測しにくくなります」と、英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン遺伝学研究所の計算生物学者フランソワ・バロー氏は言う。
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突然変異の数が飛躍的に増えた理由としてとくに有力なものに、新型コロナウイルスは、免疫系がそこなわれた人々の体内で長期間進化できたという説がある。
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過去1年の間に、科学者たちは、新型コロナウイルスへの感染が数カ月から1年近くにわたって続いた、がん患者およびHIVの患者を確認している。こうした患者は免疫系が抑制されているため、ウイルスは長期間そこにとどまり、複製と変異を繰り返せた。
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グプタ氏は、101日間感染が続いたがん患者のサンプルから、そうした変異のひとつ(アルファ株にも見られるもの)を同定し、2021年2月に学術誌「ネイチャー」に発表した。6カ月間感染していた、南アフリカのHIV進行期の患者からは、ウイルスが体の免疫防御を逃れるのを助ける多数の変異が見つかり、2022年になって「Cell Host & Microbe」に報告された。
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「ウイルスがその進化の歴史の中でこれほどすばやく生態を変化させていることは、大きな発見です」とグプタ氏は言う。インフルエンザやノロなどのほかのウイルスもまた、免疫系がそこなわれた人の体内で変異を起こすが、それは「極めてまれ」な事例であり、「狭い範囲の細胞にしか」感染しないという。
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これとは対照的に、新型コロナウイルスは体のさまざまな部分に感染できることが証明されており、科学者たちがさらに頭をひねる不可解な謎を生み出している。
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パンデミックの初期、医療関係者たちが気づいたのは、このウイルスが単に肺炎のような症状を引き起こすだけではないということだった。一部の入院患者には、心臓障害、血栓、神経学的合併症、腎臓や肝臓の障害などが見られた。最初の数カ月間で蓄積された研究は、ひとつの理由を示唆していた。
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新型コロナウイルスがヒトの細胞に感染する部位のACE2受容体と呼ばれるタンパク質が、いくつもの臓器や組織に存在するため、呼吸器以外にも感染していたのだ。また、血管の細胞や腎臓の細胞にもウイルスやその一部が、さらには脳の細胞にも少量のウイルスが見られたとの報告もあった。
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「わたしは数多くのパンデミックを研究してきましたが、そのほぼすべてにおいて、脳をみればそこにウイルスが見つかります」と、米国立衛生研究所の神経免疫学者アビンドラ・ナス氏は言う。たとえば、新型コロナウイルス感染症の入院患者および死亡患者41人の脳の剖検組織からは、低レベルのウイルスが検出されている。死滅した神経細胞や傷ついた血管など、明らかな損傷の兆候も見られた。
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おそらくはウイルスが引き金となって、体の免疫系がサイトカインストームと呼ばれる過度に活発な状態となり、それがさまざまな臓器や組織に炎症と損傷を引き起こすものと思われる。異常な免疫反応が感染後も収まらずに、慢性疲労、動悸、霧がかかったように頭がぼんやりとする「ブレインフォグ」などの症状が長く続く場合もある。
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学術サイト「Nature Portfolio」に2021年12月20日付けで発表され、現在査読を受けている研究では、患者が新型コロナウイルス感染症を発症後に、ウイルスは最大で230日間体や脳の中に残り続けることが示されている。
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スーザン・レバイン氏はニューヨークの感染症専門医で、コロナ後遺症と重なるところもある慢性疲労症候群の治療と診断を専門としていた。レバイン氏は現在、毎週200人を診察しているが、その数はパンデミック前には60人だった。それまでの慢性疲労症候群とは異なり、コロナ後遺症は「猛烈な勢いで襲いかかる」と氏は述べている。「まるで体の中で竜巻が起きているようなものです。週に60時間働いていた人が、感染から1週間で1日中ベッドにいるようになるのですから」
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科学者たちは今、新型コロナウイルスが人間以外の動物に広がった後、再び人に移ってパンデミックを拡大させる可能性を懸念している。
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2020年4月、ニューヨークのブロンクス動物園のトラとライオンが新型コロナウイルス感染症の陽性反応を示したことで、この病気にかかる可能性があるほかの動物に関心が集まった。それからまもなく、2020年8月に学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表された研究により、一部の霊長類、シカ、クジラ、イルカを含む哺乳類が、新型コロナウイルス感染症に対して特に弱いことがわかった。ヒトと似たACE2受容体をもつ動物たちだった。
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また2021年11月に「Proceedings of the Royal Society B」に掲載された別の論文では、機械学習を用いて、5400種の哺乳類について、新型コロナウイルスを感染させる能力を評価した。その結果、新型コロナウイルスを拡散するリスクが最も高い動物は、家畜やペットなど、人と一緒に生活する動物であることが明らかになった。
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これまでのところ、新型コロナウイルスはペットのネコ、イヌ、フェレットに感染し、ミンクの農場を荒らし、動物園のトラ、ハイエナなどの動物にも広がっている。そのうえ新型コロナウイルスは、人間から飼育下にあるミンクに感染し、その後再びミンクから人間に感染することに成功している。
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「懸念されるのは、もしウイルスがシカの中で進化を続け、シカがこのウイルスに対してより強い免疫をもつようになれば、既存の抗体によって、さらなるウイルスの進化が促される可能性があることです」と、カナダにあるサニーブルック健康科学センターのサミラ・ムバレカ氏は言う。また、「ウイルスはほかの動物たちの間にも広まっているかもしれません」
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「この先何が起こるかは、まだわかりません」とウォール氏は言う。「わたしたちには2年以上の経験と実績がありますが、その知識を持ってしても、何が起こるかを予想するのは難しいのです」