【論説文】リアルと投票トークでのコミュニケーションの相違
__投票トークでは積極的で良好なコミュニケーションを取ることができるが、リアルでは消極的であまり良好でないコミュニケーションを取ってしまうとーと民を多く見受けられる。これは、多くのとーと民が納得できることだろう。しかし、投票トークとリアルでコミュニケーション能力に大きな差が出るのはなぜだろうか。
__1つめの理由は、話し相手の証拠の有無であろう。投票トークでは話し相手の的確な証拠がある。なぜなら、投票トークには返信機能が存在しているからである。返信機能で返信した相手に話しかけていることになるだろう。もし、話しかけたい相手でない人に返信したとすると、それは蛇足であり迷惑であろう。つまり、返信機能は話しかけたい相手に話しかけるために存在しているものだと考える。よって、返信機能により話し相手の的確な証拠が生まれるのであろう。
__しかし、リアルでは話し相手の的確な証拠がない。例えば、AさんとBさんの2人のみが同じ部屋にいて、Aさんが「Bさん頭良いね。」と言ったとしよう。一般論なら、AさんがBさんに対して話しかけたと考えるだろうが、原理的には、それは主観的な思い込みである。なぜなら、AさんがBさんに話しかけたとは限らないからである。Aさんが独り言を言っていた可能性もあり、Aさんが歌を歌っていた可能性もあるだろう。しかし、大抵の場合は一般論で話が通じるのである。その理由を後述していこうと思う。
__2つめの理由は、コミュニケーションの時間の余裕度である。リアルでは、他人に話しかけられたらすぐに返答するべきだという風潮があり、それができなかったら社会的に不利になる可能性が高くなってしまう傾向がある。それは、少し差別的なことだと考えている。また、「すぐに」ということにも違和感がある。その理由は、「すぐに」という言葉は人によって価値観が異なるからであろうか。それなのにも関わらず、人間は残酷なことをしてしまっているのである。
__一方で、投票トークでは、他人に話しかけられてすぐに返信しないことが理由で、投票トーク内で不利な立場になることはほとんどないであろう。だから、多くの人が安心してコミュニケーションを取ることができるのだと考える。
__世の中の風潮は矛盾だらけである。例えば、「多数派が少数派を支配するような世の中」である。多数派が正しいのか。そんなことはないのであろう。そもそも物事に正解などほとんど存在しない。ほぼすべての物事は人によって価値観が異なる。それなのにも関わらず、一般論と大きくかけ離れている少数派を社会的につぶすという多数派が未だに残っていることがとても残念であるため、私は「少数意見の尊重」という考え方をより重視していくべきだと考える。
__しかし、そのような風潮の中で社会が成り立っているのはなぜだろうか。前述したように、大抵の場合は一般論で話が通じるのはなぜだろうか。それは、人間に感情とコミュニケーション能力があるからである。そもそも、感情がなければ「多数派が少数派を支配するような世の中」は存在しないであろう。しかし、同時に人間が存在しないのである。また、コミュニケーション能力がなければ「人によって価値観が異なる」ということはなくなるだろう。しかし、同時に人間社会が成り立たなくなるである。つまり、人間が生きるためには感情とコミュニケーション能力が必要なのである。よって、現代社会を生きる人間は、残酷な風潮を受け入れて生きていかなければならないのである。
__投票トークにおいても多数派が少数派をつぶすという残念な風潮は見られるが、リアルと比較して、話し相手が的確であり、時間的・空間的・心理的に安心できるだろうから、これからもさらにこのサイト「投票トーク」で楽しみ、精神を安定させ、多くの友達を作っていき、何よりとーと仲間で最高に楽しんでいきたいと考えている。ただし、いくら投票トークで良好なコミュニケーションが取れていても、リアルでもある程度のコミュニケーション能力がなければよりよく生きていけないだろうから、リアルでのコミュニケーションも各々が努力するべきであろう。
言っておくけどこれ全部自作だよ
教科書で言うと大体5ページくらいかな
>>4
投票トークでは良好で積極的なコミュニケーションを取ることができるが⋯のところ
読ませてもらいました。
かなり興味深いです。
やはり2次元と3次元では会話の性質が変わってくるもんですね。
今思えばレベルが低い
論説文というよりかは意見文になってる
これを使ってリベンジしようかな…
リアルとネットの比較
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