ひ と り ご と
そして。
忽然と姿を消した。
「なー、くん……?」
幕間のような静寂が訪れる。
誰もいなくなった空間に、ジェルの呟きだけがポツリと堕ちた。
『彼は今、その手首から血を流し続けていると思い込んでいます』
『人というのは面白いもので、命が流れていると信じた脳は、一定量の血が流れたと判断したタイミングで勝手に生きることを止めてしまうのですよ』
『これは、研究機関でも立証された話。そして、わたしは何度もその結果をここで見ている』
『仲間を思いやる勇敢な彼は、一体、どこにその線を引くのでしょうね』
る「二人とも捕まったら勝てなくなりますよ。ころちゃんは、ななもりさんを助けないと」
彼はそう言ってくしゃりと笑った。
そして、躊躇することなく扉の向こうに消えた。
その顔が、泣きそうな顔に見えたから、ころんはそこから動けなかった。
「アイツ……何、考えて」
嫌な予感にころんは呟き、彼の言葉を反芻した。そして、心臓をギュッと直接掴まれたような感覚に見舞われた。
『二人とも捕まったら』
──アイツは、捕まる気なのか?
「あの、馬鹿……っ!」
ころんは慌てて廊下に飛び出した。
けれどもう、るぅとの姿はそこにはなかった。
舌打ちをして引き返し、バッグを漁ってインカムを取り出した。勢い余って一度落とし「あぁ、もうっ」と苛立ちながら耳につけ、電源を入れる。
「るぅとくん!!?」
『………叫ばないでください。耳が壊れる』
「戻ってこい!今すぐ!!」
不機嫌な苦情を無視してころんはさらに叫んだ。
胸が痛くて叫ばずにはいられなかった。
『……嫌ですよ』
けれど、るぅとはどこまでも塩だった。
今だけじゃない。
この手を離れてからずっと。
思う通りになったことなんて全くなくて。
だからこちらも次第に煽るようになって。
「なんでだよ!怖いんだろ?!なんで捕まりに行ってんだよ!」
『怖いですよ?でも、別にわざと捕まろうとしてるワケじゃないです』
「は?」
『ちゃんと戦うつもりもあります。僕はころちゃんと違って感情のないロボットだから、撃つことに抵抗はないんです。だから安心してください』
その言葉に"撃つのは無理だ"と諦めていたことを見抜かれていたと知る。
最初からアテにされていなかったのかと、胸の痛みが増す。
そんなころんの気持ちを受け取ることはせず、るぅとはさらに続ける。
ころんは、自らのシャツの胸のあたりをぎゅっと握った。
アイツは、言葉で僕を○す気なんだろうか。そんなことを思い、歯を食いしばった。
『僕は相手のやり口を知ってるけど、ななもりさんは違うから。だから、ななもりさんを助けてください』
それは、客観的には正しい判断なんだろうと思った。
だけど、ころんは頷けなかった。
頷きたくなかった。
それなのに、アイツは何も分かってなくて。
『平気でしょ?アナタは僕が嫌いだから』
何をどうしたら、そうなるんだろう。
どこで何を、間違えていたのだろう。
そんなことを、こんな時に知るなんて。
『僕は、それでも好きで…………っ!』
そして、唐突に繋がりが切れた。
「るぅと!おい、返事しろよ!!るぅと!!なぁ!!?」
ころんをどこまでも置き去りにして。
なんの否定も、反論もさせないまま。
どれだけ呼びかけても戻らない通信。
少しも落ち着けず、部屋の中をウロウロと歩き回っていたころんは、ある場所で立ち止まった。
目を見開き、震えた手で見つけてしまった"それ"を手に取った。
キャビネットの上に、さりげなく置かれたままのハンドガン。
「ウソつきじゃん、お前……」
ころんは冷たいそれを抱きしめて、その場にひとり蹲った。
莉犬は賢いから、きっと大丈夫。
莉犬の言葉なら、みんなを変えられる。
皆が前に進むための踏み台は僕にぴったりの役目だとるぅとは自嘲した。
だからこそ、失敗はできないと。
「さよなら、ころちゃん」
るぅとはゆっくりと振り返ると、腰ほどの高さのバルコニーにもたれかかった。
そして、じりじりと獲物を追い詰めようとする二体の鬼に鮮やかに笑いかけると、軽く跳んでバルコニーに腰掛けた。
「残念でした。捕まってあげない」
このまま落ちれば、誰の足枷にもならずに済む。
怖さはなかった。
目を閉じ、頭をじわりと後ろへ下げた。
「るぅとくん!!」
その声はホールから聞こえてきた。
動きを止め、ちらりと視線を向けたるぅとが見たのは、ハンドガンを携えたさとみの姿だった。
「やめろ!お前が死んだらころんはどうなる!?俺達が絶対に助けるから、今は……っ」
「なんで……ころちゃんが?」
苦しげなその叫びに、るぅとは戸惑った。自分がどうなろうと、一番どうとも思わなそうな人なのに。馬鹿だなって鼻で笑ってそれで終わりそうなのに。
──でもあの人は、誰にでも優しいから。
「っ……!」
一瞬の動揺の隙を相手は見逃さなかった。左右から両腕を捕まれ、引きずり降ろされ、るぅとは逃れようともがいた。
こんなの違う。
こんなんじゃ、ダメなのに!
「るぅと!!」
さとみが鬼に向けて照準を合わせようと銃を構えていた。その顔は、焦りと迷いの中にあるように思えた。
そんな彼に向けて、るぅとは叫んだ。
「さとみくん!僕は平気だから、右奥の控え室に行って!ころちゃんを手伝ってあげて!!」
僕なんかのために、傷を負わなくていい。
「なーくんを、助けてあげ……っ!」
みぞおちに与えられた衝撃に、るぅとは息を詰め、身体を折ってその場に崩れ落ちた。
咳き込む彼の耳に、さとみと、この状況が見えないはずの莉犬が懸命に彼の名を呼んでいる声が聴こえたような気がした。
情けないな。
やっぱり僕は、
足手まといになってしまうのか。
鬼を道連れにして木っ端微塵になれたらいいのに。
何も持たない彼はそんなことを思いながら、せめてもの意趣返しに、最後の力を振り絞った。
全力の悪意で鬼の片割れの頬を立ち上がりざまに思い切り引っ掻いたるぅとは、代償として他の鬼から背を蹴られ、皮肉にも抱きつくようにして鬼に捕まった。
白い首に厚みのある浅黒い手が掛けられ、そして宙にその身体が吊られる。
「なんだ。────じゃないじゃん」
鬼を見下ろした彼は、疲れた声で微かに笑って呟き、ゆっくりと瞳を閉じた。
何もできなかった。
るぅとが鬼に宙吊りにされても。
諦めたように目を閉じても。
ただ名を呼ぶことしか出来なかった。
目的を果たして散ろうとしていた彼を、偉そうなことを言って引き留めたくせに。
何も、できなかった。
るぅとが二体の鬼諸共に姿を消したあと、さとみは唇を噛み締めて走り出した。
口の中には鉄のような不快な味がひろがったけれど、こんなもの、目の前でるぅとが受けた痛みに比べれば大したことは無い。
今、さとみが出来ること。
それは、彼が言い残した望みを叶えること。
「ころん!」
ばん、とるぅとから指定された部屋の扉を開けると、ころんは部屋の中央で呆然と立ち尽くしていた。
さとみの声にゆっくりと顔を上げ、引き攣った笑いを浮かべた。
こ「ねぇ、あのバカどうなった?死んだ?」
酷く昏い目をしていた。
いつものころんからは想像もできないようなその様子に、ゾクリと背筋に寒気がした。
さ「生きてる……と思う。でも、鬼に連れていかれちまって」
こ「生きてる、の?」
さ「捕まるくらいならって死のうとしたのを、俺が引き留めた。余計なことしたって思われるかもしれないけど」
こ「違う!!!」
知らずに沈んでいた視線を上げると、ころんがさとみをじっと見ていた。
たった少しの間に、彼は目に力を取り戻していた。
こ「ありがとう、さとみくん。アイツがどれだけボロクソ言ったとしても、僕はありがとうって何度でも言うよ」
さ「ころん」
こ「生きてるなら、あとは僕がなんとかする。アイツには言わなきゃいけないことが山ほどあるから」
ころんはるぅとが置き去りにしたハンドガンを握り直し、片手でインカムを外した。ポケットに入れていた小さな本体と一緒にさとみに手渡した。
こ「これは、さとみくんが持ってるべきだと思う」
さ「インカム……?」
こ「電源入れて、話してやってよ。たぶん……泣いてるから」
誰が、とは聞かなかった。
装着して電源を入れ、向こう側に耳を澄ます。
彼はすすり泣いているようだった。なんで?と時々この状況を悲観する声が漏れた。
さとみは、ふ、と一度息を吐き出し「莉犬」と柔らかく呼びかけた。
り「え……?さとちゃん?」
さ「ごめんな、独りにして」
り「ねぇ、さとちゃん!るぅちゃんは……?」
さ「鬼に拉致られた。……なーくんも」
り「なんだよそれ!俺だけ安全なとこに隠れてズルしてるようなもんじゃん」
何かを叩く音が聞こえる。「莉犬」ともう一度名を呼んだ。今度は言い聞かせるように
さ「それは結果論だろ?でも、俺は莉犬が無事でよかったと思うよ。まぁ、完全に無事ってわけじゃないけどさ」
り「さとちゃん」
さ「なぁ、俺をズルいと思うか?」
り「なんだよ……そんなこと言ったら」
何も言えなくなるじゃん、と莉犬が呟いた。その声色に拗ねた感じが戻ってきて、さとみはホッと肩の力を抜いた。それからころんと目を合わせて頷き合い、また表情を引き締めた。
さ「莉犬、るぅとくんが命懸けで俺たちを繋いだ意味、分かるか?」
り「……ん。俺が地図……っていうか図面を持ってるから、だよな?」
莉犬が鼻をすすった。
もう涙は止まったようだった。
その気配にさとみの顔が少し和らいだ。いつもの力が、戻ってくる。
さ「お前さぁ、地図見れんの?」
り「あ?馬鹿にすんな」
さ「了解。頼りにしてるよ」
り「さとちゃん」
莉犬が息を短く吐く。気合いを入れて背筋を伸ばした彼の様子が、さとみの頭に浮かんだ。
り「ありがとう。さとちゃんと繋がったら、怖いもん無くなった」
さ「当然だろ」
り「うざっ」
緊張感を残しながら少しだけ笑う。ハイタッチが出来ないことを物足りなく思いながら、今すべきことに頭を切り替えた。
さ「それじゃ、作戦会議しようぜ」
命の期限が迫るななもり、行方の知れないるぅと、閉じ込められた莉犬、どこかで闘ってるはずのジェル。
状況はめちゃくちゃだけど、 必ずみんな一緒に、この場所から出てやる。
莉犬の声に縮こまっていた強さを引き起こされたさとみは、ただ前だけを、明るくなるはずの未来だけを見つめていた。
こ「絶対、完全勝利で勝ってやる」
そのとなりでころんは何かを決意したような強い目で、握ったハンドガンをサラリと撫でた。
けれど。
その時。
彼らの知らないところで、空間が歪んだ。
現れたのは、行方の知れない人。
意識を失ったままで横たわる彼を、淡い霧が包んでいた。
『次に目覚めた時、あなたは────されます。上手く逃げ切れると、良いですね』
姿なき者から低く囁かれた非情な暗示に、眠る彼の眦から涙が零れた。
───第三幕が、始まろうとしていた。
「どういうことなんや……?」
眉を寄せたジェルがそう呟いた時、館内に流れていた音楽が終わりを迎えた。
しん…とした静寂。
ななもりを目の前で失った時と同じ状況に、ジェルは表情を強ばらせた。
その嫌な予感は無慈悲にも当たり、壁には次の犠牲者が映し出される。
「……え?……るぅと、くん?」
そこに映された人物の、記憶とは全く異なる姿に息を呑む。
読んだばかりの記事から拾ったキーワードが、震えた呟きとしてジェルの口から零れた。
「二人目、娘、強 姦、発狂……死亡」
その人は眠っていた。
苦しそうに眉を寄せて。
でも眠っていた。
涙を流して。
透明な、箱の中で。
『さぁ、次の犠牲者を紹介しましょう』
忌々しい声が響く中、ころんは食い入るようにその画を見つめていた。
床に広がる長いブロンドは見慣れないものだったけれど、整った横顔も、泣きぼくろも、薄い唇も、よく知る人のものだった。
「……るぅちゃん……? 」
小さく声をかけても、彼の瞳が開かれることは無い。
彼の周りに掛かる薄いもや。
それが彼が呼吸をする度にゆらゆらと動く。
何かを吸わされていることは明白だった。
「なんでだよ……なんで、お前が泣かなきゃなんないの?」
ころんは自分の手が緊張で次第に冷たくなっていくことに気づいて、ぎゅっと手のひらに爪を立てた。
「るぅとに何したんだよ!?」
そのまま静かになった天井に向け声を張り上げると、くすくすと笑う声が降りてきた。
『眠っているだけですよ。今は』
強調された"今"に、ころんは嫌な感じに鼓動が早まるのを感じていた。
『ただ、潔くしねなかったことを悔いてるのかもしれませんね?』
そんな彼とは対照的に何の罪悪感も持たない軽口が続き、そして一度、不自然に沈黙した。
『……彼は命を粗末にしようとしました。だから少し罰を与えることにしました』
罰、と言った言葉のとおり、その言葉にはこれまでにない冷たさがあった。そして軽い苛立ちも。
その音が予感させる先の展開に、ころんは息を呑んだ。動いてもいないのに、額には汗が浮かんでいた。
『彼には、目覚めた時、全ての人間を鬼だと思うように暗示をかけました。そして、彼はその鬼に捕まれば、犯されると思い込んでいます』
「なんだよ……それ」
『そして、あの姿で次に鬼に捕まれば……現実にそうなることでしょう。抵抗も虚しく、慈悲もなく、あっさりと、壊される』
想像をかき立てるようにゆっくりと告げられた言葉にころんは「黙れよ! 」と叫んだ。
けれど、なおも声は降ってくる。
『起きてしまえば生き地獄の始まり。起きなければ、酸素不足で死の国へ。どちらが"彼女"にとって幸せなんでしょう?』
非情な問い掛け。そして始まる、新たな歌劇。
けれど、彼の行く末を見守れと言わんばかりに壁の映像は消されなかった。
助けたければ、助けろ。つまりはそういうことなのだろう。
相手にしてみれば、もしもるぅとを救い出したとしても、また一つ新たなゲームが始まるに過ぎないのだから。
「くっそ……!」
事態を好転させようと決起をしたところに突きつけられたこの状況に、心がざわざわと騒ぐ。
迫られる判断。そして新たに作られた制限時間がまた一つ重く伸し掛る。
ころんはソファに乱暴に座ると頭を抱え、髪の毛をぐしゃぐしゃとかき乱した。
目を閉じれば、ゲームの初めに見せられた悲惨な場面がリピートされた。その可哀想な誰かの姿が次第に泣き叫ぶるぅとの顔と入れ替わり、どん、とソファを拳で力任せに殴った。
「……どうしろって言うんだよ」
項垂れて呟くと、その問いに答えるように耳に聞き慣れた声が再生された。
『もしも捕まったら、その時はサクッと見捨ててください』
るぅとは確かにそう言った。
強がりなんかじゃなく本心で。自分ではなく、ななもりを助けろと、そう言った。
そして、事実。彼は足を引っ張ってしまうくらいならと簡単に命を棄てようとさえした。
るぅとの望みは間違いなくそこにある。
「じゃあ、お前はどうなるの?お前のことは、誰が守るの?」
呟いた言葉が届くことがないことは分かっていた。けれど、新たに流れた涙がころんの心を突き刺した。
お前が強くないことなんか、知ってたよ。
だからずっとそばに置いて守ってきたつもりだったのに。
過去のあの日。お前が背を向けたあの日のことを、雛が巣立つように離れただけなのだと思っていた。仕方ないことだと諦めていた。
けど、違っていた。
『アナタは僕が嫌いだから』
『僕は、それでも好き』
僕たちは、どこかで何かを見失った。
もうこれ以上、失うわけにはいかない。
取り戻したいものがある。
伝えたいことがある。
解らせたい想いがある。
泣かせてでも、怖がらせてでも、例え、恨まれても、死にたい……と思わせてでも。
絶対に、絶対に、失えない。
だから───
ころんは右手のハンドガンを握り直すと、壁際のキャビネットの傍でころんの様子を見守りながらインカムで莉犬と何かの確認をしていたさとみを振り返った。
「ごめん。僕はそっちには協力できない」
キッパリとそう言いきったころんに、さとみは優しく目を細めて頷き、それから表情を引きしめた。
「分かってるよ。ころんはそれでいいと思う。でも、大丈夫かよ?あの話が本当なら……」
「大丈夫だよ。殴られても、殴られすぎて顔が変形しても、離さないから。正気になるまで何時間だって抱きしめてやるし」
起こすことを選ぶことでるぅとが受ける心の傷は想像もつかないし、捕まえられる保証もない。もしも逃がして鬼に渡ってしまったらと思うと、怖くてたまらない。
それでも見○しにするなんて選択肢は存在しないから、それならば強気でいるしかない。
「まぁ、見てなって」
引きつった頬で強さを装うころんにあわせて、さとみも声を上げて笑った。
「は。すげぇ執念」
「まぁ、そこそこ拗らせてるもんで」
全ての不安を呑み込んで不敵に笑う。
合わせた拳は震えなかっただろうか。
ころんは壁に映されたるぅとを見た。
哀しく泣く彼をこれからこの手で更なる地獄に突き落とすことを自覚して、血が滲むほどに唇を噛む。
『返事しろバカ!』
いきなり怒鳴られて莉犬は眉を寄せた。
「ころ、ちゃん?」
『……え、莉犬くん……?』
インカムの向こうのころんは言葉を詰まらせるほどに驚いていた。『なんで?』と愕然としたように小さく呟いて、消えそうな声で『アイツは……?』と尋ねてきた。
「るぅとくん?」
あぁ、そうだと思い莉犬は地図を手繰り寄せた。ボールを捕ることに成功し、ころんと繋がったことで莉犬の心は緩んでいた。
だから、それを確認した時。
同じタイミングでさとみの声を聞いた時。
莉犬は心が凍ってしまうかと思った。
「え……?るぅちゃん?!」
『莉犬くん!?』
るぅとの姿はバルコニーのラインの上にあった。三階の。少しの刺激で落ちてしまいそうな。
かすかに聞こえたさとみの説得の言葉が、彼が何をしようとしているのかを裏付けてくれた。
「ダメだよ!そんなの!諦めて死ぬとか絶対にダメだよ!」
『……は?』
思わず小さな光に向けて声を上げると、低くなったころんの声が耳に響いた。
『アイツ、なにやってんの?』
その声に莉犬はハッとした。
ころんのそんな声を聞いたのは初めてだった。
怒ってる。
何かを説明しなきゃと思った。
けれど言葉を失う。
焦って言葉を探して視線をさまよわせているうちに、彼の視界から、黄色い光が消えたからだ。
消える前にいくつかの言葉は聞き取れた。
るぅとはさとみにころんのことを託していた。
そして、ななもりを助けろと。
───遺言のように
『いいから、本当のこと言って』
身体の芯が急に冷え、身体がガタガタと震えた。自分を抱きしめて、浅い息を繰り返した。
脳裏に"大丈夫だよ"と笑って力付けてくれたライブ前のるぅとの姿が過って、消えた。
『莉犬くん……言って』
追い打ちをかけてくるころんの声は、とても静かだった。
だけど、黙ること嘘を言うこと誤魔化すこと、を許さない圧があった。
「……るぅちゃん、生きてるか、わかんない」
死んだかもしれないとは言いたくなかった。
だけどその可能性を示唆する言葉を口にした瞬間、涙が止まらなくなった。
どうしてこんなことに。
『は?……アイツ、死んだの?自分で?』
そう言ってころんは『最悪じゃん、アイツ』と笑いだした。その声がとても痛くて、莉犬は何も言い返せず、ただ泣き続けた。
さとみとかわした大事な約束も、どこか遠くに消えかけて。
「助けて、さとちゃん」
無意識に呟いていた。
だから。
唐突に、壊れたようなころんの笑いが止まり、繋がりが絶たれ、再びまた繋がった時。
『りいぬ』
柔らかなその声で名を呼ばれたその瞬間に。
──あぁ、この人だ。
そう思った。
堕ちた自分が欲しがった、ただ一つのもの。
彼からもたらされた希望に涙はすぐに乾き、前を向く力が湧いてくる。
やれるって、また信じさせてくれる。
再び灯った黄色い光。
変わった音楽とともにまた状況は変わる。
さとみから語られた現状は胸が痛むものばかりだった。けれど『でも、みんな生きてる』と言うさとみの言葉に「あの二人は強いから、絶対に負けない。俺たちは勝つよ」と言霊を重ねた。
負けるはずがない。
負けるわけにはいかない。
莉犬には、さとみに伝えたい言葉があった。
でも今はまだ、その時じゃない。
勝って、全てを笑い話にして、それから。
今はただ、ふさわしい言葉を彼に送った。
「俺に、さとみくんをナビゲートさせて。
俺は絶対に勝ちたい。だから、信じて」
人としてはダメだと思った。
だけど、それしかないと思った。
無事では済まない。だけど傷はつけても、命までは奪わない程度の威力なのはこの目で確認したから。
──キミを奪われてしまうくらいなら
叫びたいほどに嫌だった、辛かった、泣いてしまいたかった。
どうして、自分は、彼の心も身体も傷つけてしまうことしかできないんだろう。
昔も、今も、ずっとずっと。
───こんなにも、愛しく想っているのに
「ごめんね………大好きだよ」
ころんは、同じ扉を素早く抜けると同時に彼ハンドガンを構えた。
───つけた傷には、責任を持つから
彼らを待ち構えていたのは、もう一体の鬼。
二人の笑みが等しく引き攣る。武器は手元にはない。鬼が折れた鉄の柵だった棒を拾い上げるのを絶望的な思いで見た。
「莉犬、ごめん」
「ちがう、さとちゃん。俺が勝手だった」
「んなことねーよ。俺は、嬉しかった」
お互いに触れる手に力が篭もる。
どうせなら一緒にって額を合わせて目を閉じた。
鬼の動く気配。
「おーい!鬼さんこっちだよー?!」
「は。マジかよ。友達じゃねーんだから」
「ちょ、動かないでくださいよ。あ?落とす気ですか?落とすんでしょ」
「ばっか、落とすわけねーだろ。ナメんな」
運命というのはあるのかもしれない。
変えられない結末も。
ただ。
立ち向かうかどうかは、個人の自由だ。
俺たちは、諦めない。
「じゃ、行くか!なーくんを助けてさっさとハッピーエンドで終わらせようぜ」
「あ!それだけどさ!」
意気込んださとみの言葉に、俯きかけていた莉犬が勢い良く顔を上げた。
そして、彼がその先を告げようとした時。
「ねぇ。ハッピーエンドもいいけどさ、トゥルーエンドも気になんだよね。
みんなはどう思う?」
待ち望んでいた声が、
階段のその先から、降ってきた。
それぞれにピンチをくぐりぬけてきたとは言え、るぅと以外の誰もが傷ついていないこの現状。しかも。その傷は鬼ではなくころんが付けたもの。
わからない。わからないけど、選択を誤らなければ、もしかして。
(僕だけが、間違えたのかもしれない)
るぅとの怪我については、ななもりもジェルも追求することはなかった。その事が余計に針のむしろとなって心を刺す。
だけど、俯きかけた彼を奮わせるのはいつだって同じ声で。
「……ころん先生」
「ん?」
「ころん先生がいなかったら、僕は今回のことで二度は死んでます。それだけは忘れないで」
「大切なことって?」
繋いだ手はそのままでころんが尋ねた。
そんなころんと俯くるぅと、そして自然と肩を寄り添わせているさとみと莉犬を見て、ななもりは言った。
「愛をくれる人がすぐ傍に居ること、だよ」
その言葉に、莉犬はそっぽを向いたまま体重を肩に触れる相手に預けた。
るぅとは俯いたまま何度か瞬き、握る手に黙って力を込めた。
目を細めるさとみと泣きそうに顔を歪めたころんに笑みを返し、ななもりは視線をジェルに移した。
見つめ合い、軽く頷く。
そして、共に少年に目を向けた。
「この子はこの世界ができた時から、ずっと父親を求めてる」
「だけど、見つけてもらえんのやって」
そこまで言えば、もう充分だった。
「んじゃ、最後にかましますかねぇ」
「お人好し具合がすとぷりらしくて最高」
さとみと莉犬がそれぞれの拳をコツンと合わせてイヒヒとイタズラに笑った。
「足引っ張んないでくださいよ?」
「んなもん一生支えてやるわ、ボケが」
ころんとるぅとはそれぞれの涙を意地でこらえて強気に笑った。
「ジェルくんは?いける?」
「まかせてや、もう完璧やで」
「さすがジェルくん」
迷わないななもりと迷いを乗り越えたジェルが、共に立ち上がる。
「お兄ちゃんたち……」
立ち上がったうさぎの少年が、戸惑いと期待に瞳を揺らした。
そんな彼を"安心していいよ"と強い思いが包む。
「さぁ、行こう!」
「足引っ張んないでくださいよ?」
「んなもん一生支えてやるわ、ボケが」
のるぅころの会話がリアルすぎて最高
「末っ子らしく甘えていいんだよ。もう頑張らなくていいから」
「そうそう。俺にもカッコつけさせろよ。大丈夫だから」
「さとちゃん、もしかしてビビってんの」
「まさか。お前こそビビってミスんなよ」
そして「「せーの」」と声を合わせた。
「おーい!鬼さん、こちらっ!!」
「僕は死のうとした。だけど死ななかったから分かることがあった。これがその代償なら、受け入れますよ。なにも後悔はありません」
「余計なこと、言わないでください」
「るぅと……?」
「気にしないでください。あなたがころん先生だって信じてるから、平気です」
『……信じる?』
「信じれば、怖さも誤魔化せるもんですよ。あなたにも、あなたを信じていた人がいるんじゃないですか?」
『………』
「なぁ。あんたは何のために、こんなことしてんの?」
「……ジェルくん」
「ん」
ななもりとジェルが目を合わせた。
"ジェルくんにはジェルくんにしかできないことがあるから"
「僕にかけられた暗示はたぶん、見る者が全て鬼に見えることと、その鬼に犯されるって思い込むこと、ですよね」
「………」
「あの時あなたがころん先生だって分かったから、僕はこの手が離れない限り怖がりません」
「待って。それって、どういう意味?」
「俺に自信をくれてありがとうな?」
「違うよ。ジェルくんにしか出来ないことがあるって当たり前のことを言っただけだよ」
「その言葉が、俺には必要やったから」
強くなる眩さに意識が遠のいていく。
最後に六人で、はぐれないようにしっかりと手を繋いだ。
帰ろう。
僕たちの生きる未来へ。
「なんで、お前はそうなんだよ」
「ころちゃん……?」
「『アナタは僕が嫌いだから』ってなんだよ。僕が一体、何をしたって言うんだよ」
──事実はむしろその逆なのに。
「るぅとが好き。だから僕のために生きて」
普通ならこんな恥ずかしいこと言えない。
でも恥なんて気にしていたら、大事なものを失うと分かっているから。
だけど。
「嘘」
「嘘じゃない」
「どうせまた、バカにしてるんですよね」
「違うよ!」
言葉だけじゃ、やっぱり不十分で。
積み重ねてきた疑念がころんの足を引っ張る。
「好きだよ」
「やめてください」
「信じてよ」
「無理です」
弱々しく首を横に振る。無理はないと思う。
だけどここで諦めるわけにはいかないから。
「じゃあさ、賭けをしよう」
「賭け、ですか」
「僕は今からるぅとくんの足代わりになる。絶対に落とさない」
「落とさなかったら?」
「僕の言ったことを信じて」
そっと背を撫でながら言葉を伝えていく。
るぅとは迷っているようだった。期待と怯えの間で。信じることを、迷っていた。
「もしも、落としたら?」
「落とさないから。死んでも離さない」
「死なれると……困ります」
嫌、ではなく困ると言う。
そんな率直な反応に、るぅとの見えないところで笑みを浮かべた。
「うん、死なない」
「でも、それなりに重いですよ」
「だからこそ、信じるに値するでしょ」
「そこまでしなくても」
「……ん?」
瞬いたころんの視線が横に投げ出されたるぅとの足に向けられた。眉を寄せ、膝立ちになってギュッとるぅとを抱きしめた。
「ダメなんだよ、そこまでしなきゃ」
──それが、約束。