ひ と り ご と
さとみは縋り付いていた莉犬をしっかりと抱きしめた。
この落下がどこに続いているかは分からないけれど、緩やかな速度に恐怖は感じない。むしろ感じる恐怖は別にある。
この先、どうなるか。見当もつかない。
でも。
「大丈夫だよ、莉犬。俺がいる」
さとみは、莉犬の髪に鼻先を埋め、険しい顔とは裏腹に優しくささやいた。
それに応えるように莉犬は、震えた声で精一杯に強がった。
「じゃ、さとちゃんは俺が守ってやるよ」
言霊の力に、未来を託した。
ななもりは傍にいたジェルと共に、彼らが導かれようとしている先に目を凝らしていた。
怖いとか言っている場合じゃない。
気も抜けばどうなるかわからない。
姿の見えない他のメンバーのことは気になったけれど、今は彼らを信じるしかない。
「ジェルくん」
「ん?」
「言って」
「大丈夫。なーくんなら、絶対かませるで」
「うん、ありがとう」
混乱を抑え込み、強がりに笑いあう。
それから、二人は軽く拳を合わせ、はぐれないようにと身を寄せた。
「るぅと!」
ころんは必死に彼を呼んだ。
血に触れたショックで茫然自失のまま独りで流されていく彼に必死で手を伸ばす。
コントロール出来ない空間で必死に動いて、あと少し、あと少しと距離を縮め、ようやく赤く汚れた指先にころんの指が触れた。
それを絡め取り、引き寄せた。その衝撃でるぅとが正気を取り戻す。
「ころ………ちゃん?」
「ボケてる場合じゃねぇぞ」
「何だか、凄いことになってますね」
「とりあえず離れんな」
「………はい」
繋がった手はそのままに、彼らは硬い表情で頷きあった。
常識を超えた展開。
恐らく未来は闇の先。
だけど、キミがいるから、強くいられる。
その時はまだ、そう思えた。
り「俺が生贄になる」
さ「莉犬!?」
急な宣言に驚いたさとみが、莉犬の腕を掴んだ。
「何を考えてんだよ!」
「誰かが人質になんなきゃいけねぇんなら、体力無くて足が遅い俺が適任なんだよ」
「バカ言うなよ。お前怖がりなくせに」
真剣な顔で莉犬を見据えるさとみに、彼は微かに笑いかけた。それから彼の鎖骨の辺りにコツンと額を当てた。
「信じてるから。さとちゃんのことを」
「莉犬……」
「絶対に、勝てよ?」
震える声に、彼が平気ではないことを知る。
さとみは唇を噛み、きつく莉犬を抱きしめた。
「分かった。俺も……」
「ん?」
「俺も、莉犬を信じてるから」
「おぅ」
彼らは強ばった顔でぎこちなく笑い合い、静かに額を合わせた。お互いへの祈りを言葉無く呟き、そして頷き合う。
「俺が、生贄だ。好きにしろよ」
さとみと抱き合ったまま、莉犬は言い放った。
ほかの部屋のメンバーは辛そうな顔で莉犬のことを見ていたけれど、彼の固い意思は尊重された。
『承りました。では、開幕です』
薄れゆく意識の中、ただひたすらに願った。
──信じて欲しい。君自身の可能性を。
この願いは、届くのだろうか。
な「ジェルくんがさとみくんになる必要は無いんだよ。ジェルくんには、ジェルくんにしかできないことがある」
近づいてくる、足音。
な「俺は優しいジェルくんが好きだから、これで良かったと思う」
ななもりはそっと後ろ手にドアノブを握った。
な「俺は、信じてるよ」
ジ「なーくん?」
な「信じてる」
ななもりはジェルを見つめた。そして目を細めて笑った。そのままさりげなく背後に隠した手首を動かした。
ななもりの真意がわからなかったジェルは、その動きを一切予測できていなかった。
だから、ななもりが自らの作った小さな隙間にするりと消えた時も、何が起こったか直ぐには理解できなかった。
「え……?えっ?!なーくん!!」
一瞬の間のあとに、状況を理解して全身の毛が逆立った。慌てて震える手でドアノブを掴んで乱暴に扉を開いた。
その先に広がった光景は。
「……ウソやろ……?」
水の入ったペットボトルを手にしたななもりが、鬼に向かって戦いを挑むように走っていくところだった。
「やめろぉぉぉおお!!!」
ジェルは必死に手を伸ばし走ろうとした。
けれど、足がもつれて上手く進めず、焦って転んでしまう。