美の沼 第四話 幽霊との会談
僕は扉が開くや否や飛び出した。いつものように騒がしい新宿駅のホーム。
僕は狂ったようにあたりを見回してから、急いでエレベーターのそばの壁にはりついた。目を閉じてゆっくりと深呼吸する。
夢だったんだ。自分に言い聞かせる。最近疲れてるんだ。それだけだ。
目を開き、僕はもう一度息を吸うと、改札へと続く階段へ歩き出した。
そのとき、僕の腕に冷たいものが触れた。
「逃げないでちょうだい。話があるんだから」
ぎょっとして振り返ると、あの女性が立っていた。
「ぎゃーーー!」
僕はもう夢中で手を振り払って、階段のほうへと突っ走った。
10分後。僕はスタバの窓際の席で女性と向き合っていた。
「一体何なんですかあなたは」
ぼくはぶっきらぼうに言った。叫び続けながら階段を降りているうちに何人かを突き飛ばし、警備員に引っ張られてきたところにこの女性が現れて「私はこの子の保護者です、この子は未成年です」と言ってくれたおかげで厄介にならなくて済んだのだが、はっきり言ってそれが悔しい。かなり悔しい。
女性は微笑んでいる。まるで駄々をこねる赤ん坊を見ているかのようだ。
「言っておきますが僕はあなたのこと知りません。助けていただいたのは感謝してますけどこんなふうにされる覚えはないし、困ります。僕だって用事があってきてるんだから」
僕が泡を飛ばす勢いで言っていると、ちょうどウェイターがさくらクリームソーダを運んできた。僕は口をつける気にもなれず、黙って女性の前に置いた。ウェイターは不気味なものでも見るように僕を一瞥すると、何度か振り返りながら戻っていった。まわりの客たちも僕らのことをチラチラ見ている。やな感じだ。
「落ち着いて。私は怪しいものでも何でもないわ」
女性がまじめな顔になって言った。そして僕の表情を見て付け足した。
「そうね、確かに私には影がないし、急に姿を消すことだって、急に姿を現すことだってできるわ」
「つまりあなたは幽霊なんだ」
「ちょっと違うわ」
女性は素早く言った。
「だって私には足があるもの。まあ、でも似たようなものかもね。いまも私の姿はあなた以外の人には見えてないわよ」
「っ・・・!」
僕は絶句した。つまり周りの人から見た僕は、誰もいない席に向かってしゃべっているのだ。頭がおかしいと思われるのも無理はない。なんという屈辱。恥さらしじゃないか。
「あなたはいったい何がしたいんですか」
僕は本当は怒鳴りたいところをぼそぼそとつぶやいた。女性はしばらく黙って僕を見つめ、やがておもむろに
「あなた、MIKPOのリュンヌちゃんのことが好きよね」
と言った。僕はまさに目をむいた。
「な、なんでそれをあんたが」
「そんなの私にはなんでもわかるわ。私人の心を読めるんですもの。読みたくないときにはあえて読まないようにしてるけど」
「幽霊には心も読めるんですか」
女性はにっこり笑った。
「そうみたいね。だって私、生きてるときは読めなかったもの」
再び絶句している僕の前で、女性はてきぱきと言った。
「さてと。じゃあ自己紹介するわね。実はね、私あなたの親戚なのよ。あなたのお父さんのいとこの娘。つまり、は・と・こ。上原美也子といいます。生前は美容師をしていたの」
「ちょ、ちょっと待ってください」
はとこだと?
「あなたひょっとして、今年の夏に交通事故で死んだ・・・」
「あ、私のことやっぱり知ってたのね。うれしい」
女性は手放しで喜んだ。一方の僕は蒼白である。
上原美也子は、たしかに僕のはとこだ。会ったことはないけれど、おばあちゃんが時々話していたし、夏にお線香をあげにも行った。
「じゃあなたはほんとに幽霊なんだ・・・」
僕は放心して目の前の明るい笑顔を見つめた。笑顔は言った。
「じゃ私が君に話しかけた理由を説明するわね。理由は単純なことよ」
焦らしている。僕は平気を装った。
「知りたい?」
「別に」
「もう、そっけないわね。ほんとは知りたいくせに」
もうなんなんだ一体。なんかめんどくさくなってきた。かえろっかな。
「ちょっと、どこ行くの」
「くだらない話には付き合っちゃいられませんよ」
「まだ聞いてもいないのになんでくだらないってわかるのよ」
僕は無視して歩いた。周りの視線が気になってたまらない。
「待ちなさい!こら、待ちなさいったら」
美也子が怒った声をあげる。すると、さきほどのウェイターが小走りでやってきた。
「お客様、店内ではどうかお静かに願います」
美也子に声をかけている。そんなばかな。ほかの人には見えないんじゃ・・・と思って僕は足を止め、美也子を見た。
ウェイターを追っ払った美也子は得意げに笑っている。僕は今度こそ腹を立てた。もう知るか。
「ちょっと待って。お願いだから」
あっという間に追いつかれた。
「いいわ。理由を言ったら、私は君の前から消えるから。そのあとじっくりグッズを買っていらっしゃい」
僕は黙って美也子をにらんだ。美也子は知らんふりだ。
「私があなたの前に現れた理由は・・・」
美也子はもったいぶって言った。
「あなたの将来が心配だから。それだけ」
僕はあきれ返った。幽霊は他人の人生をいちいち手にかけてやるほど暇なのか。美也子に背を向け、エスカレーターに向かって歩き出す。美也子の声が追いかけてきた。
「じゃ今日の夜君の家に行くからね。夕食は一人分でいいから」
あたりまえだ。
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こんにちは。小説を書かせていただいてます。
第三話との間がだいぶ空いてしまいすみません。
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美の沼 第5話は「推しと姉」です。お楽しみに!