僕の過去 閲覧注意
はい…今回は,僕の過去について話していきます。
僕は,4年生の時から[僕]って言うようになりました。理由は,私って言うのに疲れたからです。
だけど,僕って言って目線が変わった…
友達からは,[なんで,僕って言うの?]とか、[女子なんだから私かうちでしょ]っていう友達もいました。
4年が終わる頃
僕は,好きな人と席が近くなりよく話すようになりました。
でも、僕は酷い事をしたんだなって思うことがありました。
殴り合いが起きて,僕は止める事も出来なかった…
そこから僕は,[あぁ…嫌われたんだな]って思いました。
5年の時
僕は,好きな人とクラスが違くなって,ほっとしたこともありました。
でも,ほっとした僕が馬鹿みたいに見えました。
そこから僕の人生は大きく変わってしまい。
なんで僕って言ってんのとか,キモイお前おかまかよっていわれるようになってしまった。
もう…いっそのこと楽になっていいのかなって思いました。
でも,僕はある人から影響を受けました。
いれいすです。
なんかの動画でいふくんがこんな事を言っていました。[僕からしたら本当に本当に大切な存在で]って。
そうだ…多分この世界の何万人に一人、もしかしたら何億人に一人とかから愛されているだなって思って、今の僕がいます。
フォローしてくれた人。
またまた見つけてみてくれた人には,本当に感謝しかないです。
ありがとうございました!
活動は,まだまだやるよ!なんかやんないみたいな感じになったけどやるからね!
ここまで、読んでくれてありがとう!
おつてと~
私はありのままのてとちゃんが好きだから、学校で何かあってもとーとでは絶対自分らしく居てね!
一人称なんて人が決めるものじゃないし、てとちゃんの好きな一人称で全然大丈夫だよ!
広島県因島市立(現・尾道市立)土生中学校で巻幡智成という同級生からイジメを受けていました。それは小学6年生のころから始まりました。気持ち悪いと言われたり、皆の前で暴力を振るわれたり、ゲームソフトを貸して返してくれなかったり、お気に入りのシャープペンシルを壊されたり、当時、クラスで撮った集合写真に彼の顔に穴をあけたのを覚えています。しばらくの間、記憶から消えていたのですが、最近また思い出してしまい、苦しんでいます。このまま死ぬまで、この思いに苛まれると思うと、絶望感に支配されます。精神科に行って診てもらえば少しは心の状態が改善するでしょうか?真剣に悩んでいるので、アドバイスお願いします。
私が小学生のころ、中光町江という教員がいました。この女、私のことが嫌いだったみたいで、風邪で学校を休むと、ズル休みだとみんなの前で頬をつねられたり、体調不良でプールの授業を休みたいと言うと、私だけ教室で漢字の書き取りをやらされたり、クラスでイジメがあると、何の関係のない私まで当事者にさせられたり・・・ただ、私が一番許せなかったのは、この女、私の弟にも同じことをしていたのです。
両親に相談しても、まさか先生がそんなことをするはずがないと、まともに取り合ってくれませんでした。それまでは、先生という存在を100%信頼していたのですが、この教員が担任になって以来、先生に対しても、いきなり信頼しないようになりました。
私は以前、約20年前、大成社(元・中央出版グループ)という教材の会社に勤めていました。そこで、福岡由充、井上直樹という社員から壮絶なパワハラを受けていました。契約が取れないと、眉毛を半分剃れとか、実際に丸坊主にされたりとか。それが原因で心身ともにおかしくなってしまい、4か月で退社を余儀なくされました。何とか立ち直って、転職活動を始めたのですが、転職理由でそれを言うと、教材関係の会社がヤバいというのは常識!こういったところに就職している時点で常識がない!と言われました。
私は親に暴力されてた、優しいときは優しかったよでもやっぱり一番辛いのは将来の夢を否定されたことかな、元々パン屋さんになりたいって言ったの幼稚園のときでも幼稚園じゃんまだ知らない仕事がいっぱいあるもん、今はイラストレーターになりたくて親に夢言ったら、やめなって言われちゃった、お金とか稼げないしやめなさいって、、絶望したなあ
自分の夢を否定されて、今は夢どうしようってなやんでる