阿部邦彦くん児童虐待餓死事件

7 2023/10/11 20:16

こんにちは!私は両親から小さい時から虐待を受けていたのがきっかけで、将来、児童虐待防止の中心的役割を果たす「児童福祉司」という仕事を目指している中学生です。虐待で辛い思いをする子、亡くなる子供が少しでも減るよう、このブログで少しでも児童虐待防止のお手伝いが出来たらなと思います。私の名前とプロフィール画面にあるオレンジリボンは児童虐待防止のシンボルマークです。

*今、児童虐待を受け、悩んでいるお子さんや、子育てに悩んでいる親の方たち、もしよかったら雑談チャットにお越しください。相談に私でよければ、乗ります!😄

他にも、児童虐待に関する質問などあったら、回答します!

今回の記事...大分県大分市で1989年に起きた13歳の阿部邦彦くんがネグレクトにより餓死した事件を取り上げました。

事件の概要


事件で亡くなった子...阿部邦彦

事件の加害者   ...「実母」阿部真希子(44)

発生地      ...大分県大分市

虐待の種類    ...ネグレクト

虐待理由     ...邦彦くんが緘黙症だったため、母とも会わず、自室にこもっていた。

死因       ...餓死

通告・保護    ...母が児童相談所に相談に来ていた

発覚した日    ...1989年12月26日

事件の内容


事件の経緯↓

邦彦君は大分市内の公立中学校に籍がありました。しかし、一度も登校していなかったといいます。

実は邦彦君は小学4年生から登校拒否をしていて、中学にもその旨引継ぎがなされていました。

邦彦君の担任は、7月に一度母親である真希子さんとこのアパートの前で話をしていました。その際真希子さんは、「学校に行きたくても行けない。本人が行かないと言っている。近所の手前もあるから大きな声を出さないで」というだけで、邦彦君が登校拒否になった理由もわかりませんでした。

邦彦君は幼いころから極度の人見知りで、家族以外の人とは話そうとせず、幼稚園ではお遊戯会や運動会といった行事にも参加できないほどだったといいます。

真希子さんは邦彦君を心配して、福祉センターや教育センターなどあらゆる所へ相談にも行ったというが、人見知りは時間の経過も関係するだろうということで今すぐどうこうなるものでもない、というようなアドバイスしかもらえませんでした。

小学2年のころに現場となったアパートへ家族で越してきたが、その頃も依然として家族以外の人とは一切口を利かないという状況でした。

ただこの頃邦彦君はまだ学校には通えていました。

が、2学期ごろからフード付きのトレーナーを着て、そのフードをすっぽりかぶった状態で登校するようになったといいます。そればかりか、授業中など校内でもそのフードをかぶったままで過ごすようになっていました。

この当時の担任だった教師によれば、話は出来ないが手でブロックサインを決め、「はい」「いいえ」といった意思疎通は図れるように工夫していたのだといいます。

邦彦君はしゃべらないだけでなく、人を視界に入れようとせず、また自分も他人から身を隠すような行動をとっていました。

服の首元を伸ばして顔を隠したり、給食は段ボール箱の中でとることもあり、同級生にからかわれて泣いていたこともありました。

そんな邦彦君を、母である真希子さんは苦々しい思いでみていました。

フードをかぶって校内で過ごしていることを知った真希子さんは、そんなことはいけないと注意しました。フード付きのトレーナーを着させないようにもしたが、邦彦君は真希子に隠れてフード付きトレーナーを持ち込み、真希子の目が届かない学校ではそれを着用していました。

それがある時真希子さんにバレてしまい、怒った真希子さんはフード付きの服を捨ててしまいました。

それ以降、邦彦君は学校へ行けなくなってしまいました。

困り果てた真希子さんは学校とも相談し、大分県中央児童相談所に相談に訪れました。しかしその頃には邦彦君は家から出ることを嫌うようになり、家に誰かが訪ねてくるとなんと天井裏に隠れたりするようになっていました。

玄関ドアをノックされただけで部屋に閉じこもり怯える邦彦君を、無理やり児童相談所まで連れ出すことは不可能でした。

真希子さんはそんな邦彦君を心配しつつも、諦めた気持ちになっていました。解決もできず、このまま大人になってしまうのか。

夫との仲はいいとは言えず、しかも家庭を顧みることのない夫さんだったそうです。

昭和63年、真希子さんは居酒屋のパートを始めました。外で働いている間は、家の中のごたごたや邦彦君のことを紛らわせることができました。

邦彦君は確かに心配だったが、命にかかわるような病気を抱えているわけではないこと、家の中にさえいれば何も起こらないわけで、そのうち真希子は無理に学校へ通わせることで生じるあんなことこんなことに頭を悩ませるよりも、いっそこのままの方が楽、そんな気持ちも芽生えていました。

小学校の担任らが心配して家庭訪問を希望した時も、真希子さんは断るようになっていました。邦彦君が幼いころには相談に訪れていた児童相談所との面談でも、担当者が「解決しようとする意欲が感じられなかった」というほど、この頃の真希子さんは殊更に周囲とのかかわりを持とうとしていませんでした。

そんな中、邦彦君が小学6年生のころ、夫が長女を連れて実家へと戻ってしまい、そのまま離婚となりました。

狭いアパートの部屋で、残された邦彦君と真希子さんの暮らしは、別にそれまでと変わりませんでした。

夜居酒屋へバイトに行き、邦彦君は一日中アパートから出ない。誰とも話さない。けれど、それで何かが困ることは今のところありませんでした。

何の変化もない日々。この頃仕事を終えて家に帰るのは深夜になっていました。邦彦君は、真希子さんが用意した食事や買い置きのインスタント食品、総菜などを勝手に食べ、自室にこもる日々でした。

そんな邦彦くんを見て、真希子さんは次第に帰りが遅くなっていきます。

一日、三日、一週間。

帰宅しても邦彦君と過ごすというより、買ってきた総菜を渡す、それもないときはいくらかの金をテーブルに置くだけで、邦彦君と直接話す、様子を確認するということは減ってい来ました。

あまりに変化のない毎日の中で、テーブルに置いた金が一週間後にそのままそこにあっても、真希子さんは気にならなくなっていました。

真希子さんは居酒屋の仕事で外泊することが増えていたが、実は夫と離婚する前から愛人がいたのです。

夫との離婚理由は当初の報道では邦彦君のこと、とされていたが、実際は真希子さんの不倫に夫が気づいたことでした。しかも夫はそれを知ってもすぐには離婚せず、真希子さんに対し不倫をやめるよう言っていたといいます。

しかしすでに夫婦仲は冷え切っており、真希子さんが不倫をやめることはありませんでした。結果、夫は長女を連れて実家へ戻ったのです。

邦彦君を置いていったというより、邦彦君は家から出られなかったのでしょう。

さらに、真希子さんは平成元年3月に夫が家を出て以降、7月から10月までの3か月を除き、自宅アパートへは3日に一度くらいしか帰宅していませんでした。

その間、なにをしていたのか。13歳の邦彦君を一人家に残し、真希子は不倫相手の家で同棲していました。

たまに帰宅しても、インスタント食品や総菜を置いていくだけだったが、10月25日以降はそれすらもしなくなっていました。

電気もガスも止められ、カセットコンロだけが頼りだったが、そのカセットコンロのガスも切れ、炊飯器の中ではご飯にカビが生えていました。

その時点で、邦彦君は満足に食事も出来ておらず、歩くことさえままならないほど衰弱していたのを真希子は見て知っていました。

家を出ることができない邦彦君にとって、真希子さんが置いていった金は全く役に立ちませんでした。

12月に入り、2度ほど帰宅した真希子は、いよいよ邦彦君の容態が悪くなっていることを認識していました。そのうえで、真希子さんが取った行動は、家にあった米と、カセットコンロなどの調理器具を愛人宅で使うために持ち出すというものでした。もう、邦彦君には必要ない、そう思ったのでしょうか。

そして12月26日に帰宅し、邦彦君を確認した時、その命はすでに失われた後でした。

裁判↓

平成2年12月6日、大分地方裁判所は真希子さんに対し、保護責任者遺棄と傷害致死、死体遺棄を認定。求刑懲役6年に対し懲役5年を言い渡しました。

邦彦君の養育に伴う精神的苦痛から逃れるため、また、愛人との生活を優先させるために邦彦君の養育意欲を失い、衰弱して命の危険があると認識しながら適切な対応を取らず、さらには邦彦君が死亡したとわかった後もその遺体を放置し、愛人との生活を続けたことは悪質で、刑事責任は重大だと指摘しました。

そのうえで、邦彦君の緘黙症という症状が一般になじみがなく、適切なアドバイスや関係機関につなげられなかったことは真希子さんだけの責任とは言えず、幼少時から真希子さんはそれなりに心を悩ませてきたことに関しては、他人が窺い知ることができない苦労があったと慮いました。

しかしそれらを考慮しても、懲役5年はやむを得ない、との判断でした。

真希子さんは不服を申し出ず有罪が確定しました。

どうすれば助けられたのか


どうすれば助けられたのか↓

・児童相談所や福祉センターがこういった緘黙症などの症状への理解と対応を、充実させていくべきだと思った。

阿部邦彦くんが来世ではもっと幸せに生きられますように


亡くなった阿部邦彦くんのご冥福を、心からお祈りします。自分でもどうしていいのかわからず、言葉にできない思いを抱えてきた邦彦君が、誰からも理解されずに過ごした13年がどれほど苦しいものだったか、想像すらできません。そして、真希子さんが相談などに来ていたのに、真剣に治療などに向き合おうとしなかった児童相談所の対応を今後変えていくべきだと思いました。こんな形でしか亡くなった阿部邦彦くんが生きていたことを証明できませんが、こういった事件が二度と起きないよう、皆さんにお願いがあります。児童虐待の疑いがある子を見かけたら通告をお願いします!😊 通告方法は簡単です。電話で189に電話するだけです。「いちはやく」で覚えられます。通信料も要りません。匿名でも大丈夫です。秘密も守られます。あなたの通告がその子どもの希望です。

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