林 克樹くん虐待死事件

3 2023/10/23 16:35

こんにちは!私は両親から小さい時から虐待を受けていたのがきっかけで、将来、児童虐待防止の中心的役割を果たす「児童福祉司」という仕事を目指している中学2年生です。虐待で辛い思いをする子、亡くなる子供が少しでも減るよう、このブログで少しでも児童虐待防止のお手伝いが出来たらなと思います。私の名前とプロフィール画面にあるオレンジリボンは児童虐待防止のシンボルマークです。

*今、児童虐待を受け、悩んでいるお子さんや、子育てに悩んでいる親の方たち、もしよかったら雑談チャットにお越しください。相談に私でよければ、乗ります!😄

他にも、児童虐待に関する質問などあったら、回答します!

今回の記事...2001年に長野県塩尻市で起きた林 克樹くんが虐待で亡くなった事件を取り上げました!

事件の概要


事件で亡くなった子...林 克樹(はやし かつき1歳男児)

事件の加害者   ...「実父」林善彦(22) 「実母」林絵美(21)

発生地      ...長野県塩尻市

虐待の種類    ...身体的

虐待理由     ...新しい交際相手に子どもがいることをバレたくなかった

死因       ...溺死

通告・保護    ...なし

亡くなった日   ...2001年4月20日

事件の内容


克樹くんの両親は1998年に熊本で出会い、ゲームセンターで知り合った2人はすぐに交際を始めました。出会って4ヶ月目には絵美さんの妊娠がわかったことで1999年2月に婚姻届を提出しました。しかし、絵美さんは当時、善彦さんの他にも複数の交際相手がおり、加えて援助交際も行っていたことで、妊娠が判明したときは、誰の子なのか分からなかったそうです。ところが善彦さんもそれを知っており、その上で「多分俺の子だよ。産んでほしい。すぐ結婚しよう」といい、2人は結婚しました。

案の定、生まれた克樹くんは、O型の善彦さんとB型の絵美さんからは生まれないAB型でした。しかし、以降も2人は善彦さんの子どもだと信じて育てることにしました。

熊本県内の工場に勤務してまじめに働いていた善彦さんでしたが、夜勤のある職場でした。ある時、絵美さんから一晩中一人で子育てをするのはきついので夜勤をやめてほしいと頼まれます。善彦さんもそんな絵美さんの申し出を受け、会社の上司にかけあうなどしてみたが、認めてもらえませんでした。

結果、善彦さんは会社を退職、その後も転職を試みるも長続きしませんでした。

生活費は消費者金融、実家からの持ち出しに加え、絵美さんの援助交際でまかないました。が、常にぎりぎりの生活でした。

2000年に入ると、絵美さんが実家の金を持ち出すことが増えてきます。おそらくだが、実家もそんな絵美さんに愛想をつかせていたのか、その年の5月、絵美さんは実家から金を持ち出そうと、金庫ごと盗んだのです。

当初は第三者の犯行を装っていたようですが、家族が警察に被害届を出そうとしていると知ると、自身の犯行がバレることを恐れてなんと善彦さんと克樹くんと逃亡。宮城県を経由して宇都宮市へ逃れました。

一旦は宇都宮市内で生活をし始めましたが、絵美さんが交通違反で切符を切られたことから実家に居場所がばれるのでは、と不安になり、またもや逃げるように宇都宮を離れました。

そして12月から、松本市内の事件当時暮らしていたアパートへ越してきていたです。念のため、表札は「平林」に変えていました。

善彦さんも絵美さんも仕事を見つけ、克樹くんの預け先も確保できました。実家には申し訳ないが、所詮家族間のことでもあるわけで、今後まじめに働いていつか熊本に変えることが出来れば、時が許してくれることもあると思わなくもないが、そもそも絵美さんはこの生活に嫌気がさしていました。

 2001年2月頃、二人は松本城に近い住宅街の中のアパートで暮らしていたといい、善彦さんはJR松本駅に近い場所のスナックでウェイターとして勤務。自宅はそのスナックの従業員寮だったといい、その年の2月頃からこのアパートで暮らしていました。絵美さんも、同じように夜の店でホステスとして働いていて、その年の3月頃から克樹くんを夜間の託児所に預けるようになっていました。絵美さんが勤務する店の客である男性と、絵美さんは肉体関係を持ちます。善彦さんに隠れ、ほぼ毎日のように逢瀬を重ねたというが、その男性と会うための資金作りとして、またもや援助交際も始めていました。

内緒とはいえ、善彦さんも絵美さんの挙動不審には気付いていたといいます。しかし、「友達と会う」と言われるとそれ以上追及もできず、また援助交際については「生活費のため」という大義名分のもと、黙認していました。

絵美さんは男性にのめりこんでいったが、夫と子供がいることはこの男性に隠していました。

善彦さんと別れ、男性と結婚したいと思うようになった絵美さんに、男性は、(絵美さんに)夫や子供がいたとしたら別れる、付き合ってない、と話していました。

現時点で善彦さんは絵美さんの不倫をうすうす気づいていながら何も言ってこないのだから、正直善彦さんの存在は絵美さんにとって支障をきたすものだったでしょう。

が、克樹くんの存在は、どうしようもない。隠し通せなくなるのも時間の問題でした。

絵美さんの頭の中は男性のことでいっぱいで、どうすれば夫と子供の存在を男性に知られることなくきれいさっぱり縁が切れるか、そればかりを考えるようになっていきました。そして、善彦さんと離婚して克樹くんを善彦さんに育ててもらうか、もしくは克樹くんに死んでもらうか、このどちらかしかないと思うようになってしまったのです。

 4月16日、絵美さんは善彦さんに対し、男性の存在を暴露しました。そのうえで、「(相手の男性に)結婚してることや克樹のことは話してないから克樹を連れてはいけない。邪魔だし、面倒見る気もないから置いていく。克樹を置いてでも不倫相手のところへ行く。だからあんたが克樹の面倒みて。あんたが面倒みれないんなら殺すしかないと思ってる。」と手紙に書いて善彦さんに渡した。まともに受ける方がどうかしているというような内容だが、これを渡された善彦さんも当然、殺す云々のくだりはいわゆる絵美さんの脅し文句だと受け止めていました。

しかしその後も、克樹くんを殺すしかないといった主旨のメールが絵美さんから届くことで、絵美さんは本気でこう言っている、と思うようになったといいます。

善彦さんとしては殺すなんて、という思いは当然あったとみえるが、だからといって克樹くんを一人で育てていくことには抵抗がありました。そこで、絵美さんに対し、殺す云々についての明言は避けたものの、「俺も面倒はみられない」という返答をしました。

そしてふたりは何度かの意思確認を経て、4月20日午前8時ころ、アパートの風呂に水を張り、克樹くんを抱き上げそのまま沈めました。

克樹くんは激しく抵抗し、かぶせた風呂の蓋を渾身の力で蹴りあげたといいます。それを、善彦さんと絵美さんは協力して抑えつけ、やがて克樹くんは溺死しました。

克樹くんの遺体をバスタオルにくるむと、絵美さんの私物であるスポーツバッグに入れ、重石用の石を3つ入れて車に乗り込みました。ちなみに遺体発見時に一緒に見つかったレースの女性用下着は、おそらく絵美さんのもので、適当にひっつかんだバスタオルに紛れていたか、元からスポーツバッグに入っていたと思われ特に意味はないようだった。

そして人の目がなくなる深夜、善彦さんがスポーツバッグを持って車でみどり湖まで行くと、そのバッグを抱えて湖に入り、数十メートル泳いでスポーツバッグを沈めました。

ふたりはその後も何食わぬ顔で普通に生活していたといいます。善彦さんは逮捕される日までスナックに勤めていたし、絵美さんは晴れ晴れとした気持ちで男性の元へ足しげく通う日々でした。

 しかしそんな日々は、一か月で終わりを迎えました。

5月24日、新緑眩しい長野県塩尻市のみどり湖に、スポーツバッグが浮きました。釣りのできる湖としても知られるみどり湖には管理人がおり、この日も釣り客から料金を徴収するために釣り桟橋を渡っていた時、そのバッグを見つけたといいます。

単なる不法投棄かと、そのバッグを引き揚げてみると、とてつもない異臭がしたため、通報。アシックス製のビニールのスポーツバッグのファスナーは閉じられたままでした。

駆けつけた警察官によってスポーツバッグが開けられると、中から小さな遺体が見つかりました。身長約80センチ、前屈みに膝を抱えるような状態で押し込まれたその遺体は、すでに腐敗が始まっていました。そして、遺体と一緒に、ソフトボールくらいの大きさの石が数個、入れられていました。

 警察では、死体遺棄事件として捜査を開始しましたが、そもそもこの遺体がどこの誰なのか、全く分からなかったそうです。遺体の身長などから、間違いなく2歳前後の幼児であることはわかっていたが、塩尻市内に行方のわからない幼児はいなかったそうです。入れられていたスポーツバッグも大量に流通しているもので、遺体と一緒に入れられていたタオルと、なぜか女性用のレース製のショーツも、特に身元につながるようなものではなかったです。遺体発見から1週間、死因すら特定できず、捜査は難航。ただ、幼児の血液型はAB型、上下に8本ずつ歯が生え出していたこと、そして、腕にはBCGの注射痕があることが判明しました。

そこで、塩尻署と県警捜査一課は、塩尻市だけでなく松本、諏訪、岡谷、茅野などの中南信地方の自治体に、BCGを受けた1〜3歳の幼児について行方がわからなくなっている子供がいないかを中心に探りました。遺体発見から1ヶ月が経過した6月27日。

松本市内の託児所から、4月以降姿を見ていない当時1歳9ヶ月の子供がいると連絡が入り、捜査員らが両親から事情を聞いたところ、両親が子供をみどり湖に棄てたことを認めました。そして、死体遺棄容疑で善彦さんと絵美さんが逮捕されました。 湖に棄てられていたのは、長男の克樹くんで、二人は「克樹が死んだので湖に棄てた」と供述していたが、その死因については曖昧な供述しかしていませんでした。死亡の経緯は別として、二人は5月中旬、自宅で死亡した克樹くんの遺体をタオルで包み、スポーツバッグに入れておもしのために石を入れた上で遺棄したと話していました。二人は松本城に近い住宅街の中のアパートで暮らしていたといい、克樹くんを遺棄した後、近隣の人らには「子供は実家に預けている」と話していたといいます。

裁判↓

裁判では犯行当日の様子もつまびらかにされました。その中で、一旦風呂に沈めた克樹くんが予想以上に暴れたことで怯んだ善彦さんが、「今なら(助ければ)間に合う!!」と言ったのを、「ここで止めたら二度とできなくなる」と絵美さんが聞き入れなかったことも明かされました。検察は絵美さんに懲役13年、善彦さんに懲役10年を求刑。弁護側も「今は反省している。弁解の余地もない」と繰り返すにとどまるほど、このふたりの犯行動機、その様態について、庇えるところがほとんどなかったそうです。

長野地裁松本支部の千徳輝夫裁判長は、普通このような親が子供を殺す事件ではそこまで追い詰められたことが理解できる事情が少なからずあるものだが、本件ではそのような事情はうかがえないとして厳しく二人を断じました。

克樹くんは直前まで、善彦さんや絵美さんと無邪気に遊んでいました。まさか、今目の前で自分を殺す段取りをされているなど思いもしなかったでしょう。一切の抵抗もなく抱き上げられ、母の胸で安心しきっている克樹くんを、絵美さんは躊躇なく風呂に沈めたのです。どれほど苦しかったろうか。何が起きたのかわけもわからず、母の手によって沈められたこともわからず、克樹くんはおそらく母に、そして父だと思っていた善彦さんに助けを求めたはずです。

平成13年12月18日、長野地裁松本支部は絵美に懲役12年、善彦に懲役10年の判決を言い渡しました。

さすがに二人は不服を申し出なかったです。

どうすれば助けられたのか


どうすれば助けられたのか↓

・親が子どもを育てられなくなった場合は児童養護施設に預けてくださいという呼びかけをする。

・どちらも親も子供の引取を拒否した場合は、児童養護施設で子どもを暮らさせる。

・親が子どもを引き取れない理由を解決するために相談にのる機関を作る。

林 克樹くんが来世ではもっと幸せに暮らせますように


亡くなった林 克樹くんのご冥福を、心からお祈りします。こんな形でしか亡くなった林 克樹くんが生きていたことを証明できませんが、こういった事件が二度と起きないよう、皆さんにお願いがあります。児童虐待の疑いがある子を見かけたら通告をお願いします!😊 通告方法は簡単です。電話で189に電話するだけです。「いちはやく」で覚えられます。通信料も要りません。匿名でも大丈夫です。秘密も守られます。あなたの通告がその子どもの希望です。

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>>1
プリンが大っっっっっっ嫌い

虐待したいな
🍊リボンさんにリンゴやるのさ


>>1
カービィにぐちゃぐちゃにされたプリ

プリン 倒れる ポケモン

克樹くんのご冥福をお祈りします


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