桃色の空中落下
ーああ、なんということだろう。
あろうことか、わたしは恋をしている。
自分の気持ちに気づいてしまった瞬間、顔が熱くなるのを徐々に感じた。
誰もいないのに思わずうつむく。
みんなが言っていたのは、こんな感情だったのか。
この、なんかこう…その、ええっと……変な…もどかしい感じ。
自分の語彙の無さについ失笑。でもそれぐらい、言葉に表せないほど大きな感情だ。
…そして、辛く悲しく、切ない想いでもある。
そんなことを考えながら、とりあえずわたしはビルの屋上から飛び降りた。
あの人に会いに行くために。
ーーバサッ!
小柄な体型の2倍ほどある羽が、柔らかな春の風を切り裂く。わたしのワンピースとお揃いの、白くて軽い大きな羽が。
そう。わたしの初恋は叶いやしない。なぜならわたしは天使であり、お相手は紛れもない人間なのだから。
***
…いた。
三階から見える画一的な窓の内の一つを、わたしはこっそり覗く。
そこには、真剣な顔でノートに何かを書くあの人がいた。
みんな同じ格好をしているが、サラサラの黒い髪、凛とした鋭い切れ目をもつあの人だけは輝いて見える。
たとえ着ている服が、何の変哲もない白いシャツに紺のネクタイだとしても、だ。
こういうのを「がっこーのせーふく」というらしいが、正直どうでも良い。
わたしは今日も、うっとりとその横顔を眺めた。
天使の役割は色々あるが、一番は人間に救いを与えることだ。
わたしはその責務を全うするため、今まで数々の人間に手を差し伸べてきた。
こう言うとなんだか凄いように聞こえるが、実際は天界からの指令に従っているだけだ。
人間の社畜と何ら変わらない。(天界とか指令とかの話はめんどくさいから省きまーす)
そしてその救いは、その人間の今までの行いや状況などにによって、公平な判断がくだされなければならない。
従って、天使が私情を挟むこと、特定の人間に対して特別な感情を抱くことはタブーとされている。
もう一度言う。天使が特定の人間に対して特別な感情を抱くことは“タブー”とされている。
…タブーとs(以下略)
えーつまり、わたしは今、立派な規則違反を犯している。これバレたら多分クビ。うん、クビ。
とは言いつつ好きなものはやっぱり好きなので、こうして毎日仕事の合間にこの美しい顔を拝みに来ている、というわけなのだ。
辞めたいけど辞められない、好きなゲームキャラへの大量課金。
毎月金欠だけどそんなの関係ない、今日も推しへ貢ぎまくる。
…馬鹿らしいと思っていた人間の奇行だったが、案外人のことを言えないかもしれないな。
***
キーンコーンカーンコーン。
天界とはずいぶん違う鐘の音が響く。
室内の人間たちは一斉に席を立ち、ばらばらにお辞儀をした。
そして、次にあの人がとった行動は…
…めっちゃ可愛い女子に話しかけられてる。え、普通に可愛い子なんだけど。
しかもあの人、楽しそうに話してる。クールな顔を崩して笑ってる。
あ、首にほくろがあるんだ。その顔もすっごい好き。こっちまで笑顔になっちゃう。
……でもさ。
その顔、他の人に見せないでほしい。
わたしにその顔を向けてほしい。
「…ははっ。」
嫉妬、ってやつだ。
醜いなぁ、わたし。
自分にこんな惨めな感情があるなんて思わなかった。
なんだかいたたまれなくなり、わたしはそっとその場を離れた。
天使は人間の姿を捉えることができるが、人間が天使を見ることはできない。そこらへん、神は不平等だなっていつも思う。まあ仕方ないんだけど。
こんなつまらないことを思うのなら、いっそさっぱり忘れてしまおうか。
噂によれば、キューピットの矢を自分の頭に刺せば、想い人のことが綺麗に忘れ去られるらしい。
丁度昨日友達のキューピットからお願いして一本もらったし、使ってみようかな。
でもなぁ。そもそも“別の目的”で矢をもらったわけだしなあ。
…天界にはもう一つの噂がある。
天界の雲の上に建つ時計台でキューピットの矢を胸に突き刺し、頭から飛び降りれば人間になれるという噂。
わたしはその噂を信じて、噓をついてまで、この矢を手に入れたのだ。
キューピッドの矢は特殊なもので、ある部分を除けば体のどこに刺しても死なないらしい。(もちろん人間は例外)
まあ当然痛みは伴うが、頭に刺しても生きていられるのは驚きだ。
…しかし心臓だけは、刺したら本当に死んでしまう。と言われている。
つまり、想い人を忘れる噂を試しても死にはしないが、人間になる噂を試した場合、最悪死ぬ。
悲しいかな、そういうことになる。
さてどうしようか。
正直、人間になれたとしてこの恋が叶う保証はない。というか、そもそも会えるかもわからない。
リスクが大きい割にリターンを得られる確率が低すぎる。
………何だよそれ!不平等すぎるだろ!わたしが何したっていうんだよ!
救いを求めたいのはこっちだわ!
わーわーばたばた駄々をこねる。
この姿、同僚に見られちゃいないよな…
ああもう、どうでも良くなってきた。
投げやりになりながら、とりあえず天界へと向かった。
***
「…なんでここにいるんだろう…」
わたしは今、時計台の上に立っている。
上から見下ろした景色は、人間たちの住む世界まで見えるほどだ。
はっきり言って、迷ってる。
忘れたい。忘れたくない。
想いが振り子のように往復して、もう自分でもわけがわからないぐらいぐちゃぐちゃなんだ。
震える手で矢を握りしめる。
忘れたいなら、それで頭を刺せば良い。想い人を忘れる噂通りなら、場所は関係ないのだから。
忘れてしまおう。
忘れれば、こんな思いはしなくて済む。
こんなに苦しまなくて済む。
またいつも通りの日常に戻れる。
そもそも端から無理だったんだ。
叶いっこないんだ。
天使と人間が結ばれるなんて、あまりに馬鹿げた妄想だ。
このまま忘れて…
忘れて…
忘れ…
…なんで、泣いてるの?
ーーグザッ!
「がっ……」
衝動的に刺した勇気は、瞬時に痛みへと切り替わる。
痛い痛い痛い。何も考えられない。
つう、と口から赤い液が流れた。
朦朧とした意識の中、あの人の笑顔が脳裏に浮かぶ。
…もし、あの笑顔をわたしに見せてくれるなら。
ぐらり、と小さな体が宙を舞った。
***
「…の」
「…あの」
「あの、大丈夫ですかっ!?」
んっ…ん?
閉ざされていた意識が蘇る。
同時に、視界も開けてくる。
ぼんやりとした人影が、次第にはっきりしてした。
「あっ、生きてる…良かったあ。」
へなへなと力なく誰かが座り込む。
わたしはその人を凝視し、言葉を失った。
サラサラの黒い髪、凛とした鋭い切れ目。
白いシャツに紺のネクタイを身に着けている。
首筋にはほくろ…間違いない。あの人だ。
「大丈夫?君、ここで倒れていたんだよ?怪我はない?」
「…え、あ、はい。大丈夫です…」
胸の痛みもすっかり消えていた。
ふと、背中を見る。
…羽がない。まるで、最初から存在しなかったかのように。
「本当に?無理はしちゃだめだよ?」
心配そうにわたしの顔を覗き込む。
「ああ、でも本当に痛みとかはなくて…」
「そっか…良かった。何かあったらどうしようかと思っちゃった…」
優しい人だ。本気で心配してくれているのがすぐに分かる。
そんなところも、大好きだ。
「ああ、自己紹介をしていなかったね。こんな見ず知らずの高校生に起こされて、怖いよね。」
そんなことはない。わたしはずっと、あなたを知っている。あなただけを見ている。
言葉にできればよかったが、あいにく嬉しさと喜びと緊張で、上手く声が出せなかった。
「はじめまして。僕はモモ。…こう見えて、女の子なんだぁ。よろしくね。」
そこには、ずっと待ち焦がれていた、憧れていた、大好きな、美しい女性がいる。…まるで、天使のように。
その天使は、わたしがずっと求めていた、優しくて愛らしい笑顔を見せてくれた。
これが、幸せというものか。
改めて恋に落ちた音がした。
「……うん、よろしく。わたしは……」
こうして、わたしの恋は始まりを告げる。
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