数学が難しいのには理由がある
こんにちは。いきなりですが、この記事は役に立つ記事ではないです。「数学は難しいけどこうすれば簡単になるぞ」みたいな話はしません。数学が難しいと嘆く人に、数学はそもそも難しい学問なんだから気にしなくていいんだよと、いわば傷のなめ合いみたいなことをするだけです。なんだ、勉強の役に立つことじゃないのか、と思った人は帰ってもらって結構です。さあお帰りください。
残った人に向けて、お話しようと思います。駄文ですが少々お付き合いください。
常識
人は生まれます。成長します。そしてだいたい小学校高学年になると、世の中の常識というものを身につけ始めます。人に暴言を吐いたらその人が傷つくとか、優しくしたら人に好かれるとか、なんとなく「こうしたらこうなる」みたいな知識を身につけます。ただ、まだまだ未熟です。間違えることもあります。間違えたらそれを修正して、新たな自分の常識にしていきます。彼らは自分が子どもであることを自覚しているので、間違いは間違いだと認める能力を持っています。しかし、小学校卒業から中学、高校へと進み、年齢を重ねるにつれて、身につけている知識は増えます。増えるがゆえに、"常識でないこと"が起こったときに、それを認めようとはしなくなってゆきます。つまり、年齢を重ねると、自分の中の常識が固められてゆくので、それに反することが起こると、認めることを拒絶します。ソクラテスの言う「無知の知」の意識が薄れていくということです。自分の間違いを間違いだと認めることができずに「世間のほうが間違っている」などと声を荒らげる人も、大人になると出てきます。悲しいですね。
数学
数学という学問は残酷です。前の項目で子どもから大人になるにかけて、自分の中の常識が固められてゆき、常識でないことを認めることができなくなってゆく、とお話しました。しかし、それと同時期に学ばされる数学は、"常識に反する方向へ" 広がっていきます。正の数しか知らない人にとって、負の数は常識外れの存在であり、有理数しか知らない人にとって、無理数は常識外れの存在です。実数しか知らない人にとって、虚数はとても受け入れがたい存在でしょう(高校数学で虚数を知ったとき、なんとなく納得のいかないモヤモヤを感じた人もいるのではないでしょうか)。数学という学問は、その性質上、学問を深めれば深めるほど、自分の中の常識から外れた存在が現れます。これは何も数に限った話ではありません。関数、方程式、演算等についても同様です。2+3=5なのに√2+√3=√5ではないとか、2次関数まではxに何か値を入れたらyの値も計算できたのに三角関数では30°や60°のような特殊な値でしか計算できない(代数的数で表せないという意味)とか、今まで抱いていたイメージに反する概念が次から次へと現れるわけです。
自分は常識に反する事柄を拒絶する方向へ成長しているのに、数学では常識に反する概念が波のように押し寄せてくるものですから、数多の学生が数学に悩まされるのも、至極当然のことです。
文系科目
文系科目と言われる国語、英語、歴史、地理、倫理、政治経済等では "学問が常識外れの方向へ広がってゆく" ということは基本的にありません。国語や英語は言語ですから常識に反することはありません。常識に反することがその言語を介して書かれていることはありますが。歴史では、対象とする国や地域が異なっても起こる歴史的出来事にはある程度の類似性があります(話は逸れますが、この類似点をまとめている世界史の参考書もあります。詳細はhttps://www.kadokawa.co.jp/product/322309000206)。地理も同じです。地形や気候が似ている場所は特性も似通っており、常識が通用しないなんてことはありません。ほかにも文系科目はありますが、これらの科目では "すでに学んだ常識や道理が通用しない世界へ学問を広げる" なんてことはしません。
それをやってしまう数学は、見た目以上の途轍もない困難さを孕んだ学問なのです。
数学の得意な人へ
数学が得意な方は、マイナス×マイナス=プラスが理解できないとか、虚数が理解できないとか、三角関数やlogの計算につまづいたとか、そんなことはなかったことでしょう。あなた方にとって三角関数の概念やlogの概念は "常識" 程度のものでしょう。"その常識が常識でない"人に対して、なぜこれらの数学的概念が理解できないのかを理解することさえできないかもしれません。しかし、問います。「1+1=0が成り立つ世界」「長さや面積が定義できない世界」「3次元空間中を直進してたらいつの間にか元の場所に戻ってきてしまう世界」「曲線が1点に集約されるような世界」。これらはあなたにとって常識ですか。
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