【クリスマス総選挙・小説】最後のクリスマスツリー
新宿駅東口を出ると、冷たい冬の風が彩香の頬を刺した。コートの襟を立て、大通りを急ぎ足で歩く。ビルの隙間から、巨大なクリスマスツリーが煌めくのが見えた。赤や緑、金色のライトが通りを彩り、賑やかな音楽が遠くから聞こえる。
「あのツリー、毎年派手になってる気がする。」
彩香は心の中でそう思いながらも、その輝きに目を奪われていた。胸の奥に、幼い頃の記憶が蘇る。父が買ってきてくれた小さなプラスチック製のツリー。貧しいながらも家族みんなで飾り付けをして、父が笑顔で灯りを点けた瞬間、部屋中が温もりに包まれたことを思い出す。
けれど、その記憶は遠い過去のものだ。父が亡くなったあの日から、クリスマスはただの平日になった。仕事に追われ、イベントにも興味が湧かず、祝う理由も見つからない。今年もそのはずだった。
だが、先週の金曜日に訪れた出来事が、少しだけ違う予感を彩香に抱かせていた。
その日、会社帰りにふらりと立ち寄ったのは、ビルの一角にある小さな喫茶店だった。派手なチェーン店が並ぶ中で、その店だけは時代から取り残されたような佇まいをしていた。木製の看板には「喫茶 ともしび」と書かれている。
中に入ると、店内はどこか懐かしい香りに包まれていた。焦げたコーヒーの香りと古い木の匂い。店主らしき白髪の老人が静かにカウンターに立っている。
「いらっしゃい。」
低く落ち着いた声に誘われるように、彩香はカウンター席に腰を下ろした。注文したブレンドコーヒーが出てくると同時に、老人が静かに話しかけてきた。
「この時期、ここに来る人は、みんな何か抱えているんだよ。」
唐突な言葉に彩香は驚いたが、その口調には不思議と安心感があった。
「抱えてる、って……どういう意味ですか?」
「クリスマスって、不思議な日だろう。楽しい人もいるし、寂しい人もいる。どちらにせよ、特別な感情が浮き上がる日なんだ。」
老人はそう言うと、小さなツリーをカウンターの奥から取り出した。プラスチック製の、どこか見覚えのあるツリーだった。
「これ、昔のものですよね。」
「そうだよ。もう40年も前の代物だ。でも、こういう古いものには、想いが宿るんだ。」
老人はツリーの灯りを点けると、静かに語り始めた。そのツリーが誰かから譲り受けたものだということ。譲った人は、家族の大切さを最後まで信じていたこと。そして、受け取った人々が皆、それぞれの形で人生を振り返るきっかけになったということ。
彩香はその話を聞きながら、自分の胸の奥で何かが解けていくのを感じた。
「そのツリー、私に譲ってもらえませんか?」
思わず口をついて出た言葉に、彩香自身も驚いた。
老人は少し微笑んで、「それは君が決めることだ。ここに置いてあるだけで、持って帰るかどうかは自由だよ。」とだけ言った。
その日以来、彩香はその喫茶店に通うようになった。クリスマスイブの夜、彼女は意を決してツリーを手に取る。そして、それを手に持ちながら、亡き父との思い出が詰まった古いアルバムを引っ張り出した。
「ありがとう。」
ツリーに向かって呟いた彩香の目に、ほんのりと涙が浮かぶ。けれど、その涙は温かかった。
それから数年後、新宿の同じ場所には、新たな巨大クリスマスツリーが建っていた。彩香はその下で、子どもたちに小さなプラスチックツリーを配っている。その手には、かつて喫茶店から譲り受けた「最後のクリスマスツリー」が握られていた。
「あの老人が言ってた通りだ。想いは引き継がれるんだね。」
灯りがチカチカと点る小さなツリーを見つめながら、彩香は微笑んだ。クリスマスが再び、彼女にとって特別な日になったことを心から感じながら。
このトピックは、名前 @IDを設定してる人のみコメントできます → 設定する(かんたんです)