数学で一番大切なこと

2 2024/12/25 10:59

今回お伝えするのは「数学は感覚だ」というお話だ。これを聞いたあなたは真っ先にこう言う。数学は感覚じゃない、ルールがきちんと定められていて例外を許さない厳密な教科であろう、と。ある意味正しい。しかれども、あまりにも世の数学者たちに踊らされすぎている。数学書は、数学書を綴るとき、あれこれ色々思考を巡らす。しかし、ほとんどの人はその思考過程を綴らない。あれこれ思索した結果出来上がった完成品だけを世に放つ。そこに至るまでの紆余曲折は削ぎ落とされる。読む側にとっては堪ったもんじゃない。論理の矛盾こそないけれども、無味乾燥としていて、人間味が無い。だから数学を中途半端に学ぶ人は「数学は感覚じゃない。ルールがあって厳密な学問だ」と言う。ではその削ぎ落された「贅肉」を復活させ、数学の「感覚」を取り戻そうではないか。それが本記事の狙いである。

また、この記事は数学を現在進行形で学んでいる人にとっても役立つように心がけた。実践的な内容を知りたければ、見出し3「基礎を徹底せよは正しいか」から読んでもらいたい。そこから読んでも意味の通る形で書いたつもりである。

感覚で数学を捉えるとは

数学を感覚で捉えるというのは、諸々の数学的概念を作った人、日常的に使っている人の気持ちを理解する、ということである。数学には必ず動機がある。人間味を感じられない数式も、誰かがそういう数式を使いたくて作ったのである。高校数学で習う三角関数や微積分のように、思わず「こんなのいつ使うんだ」と嘆きたくなる概念が数学にはたくさん登場する。しかし、三角関数や微積分は、建物を設計したり、天気を予想したり、ゲームの画面を描画したり、惑星の動きを計算したりするのに頻繁に使われるし、そのような仕事に携わる人たちにとっては「なくては困るもの」の1つだ。その人たちの気持ちを理解しようというのが数学を感覚で捉えるという意味である。

こうは言ってもおそらくあなたは何をすればいいのか皆目見当がつかないであろう。そこで「数学を感覚で捉えない」というのはどういうことなのか説明しておこう。ずばり定義と計算ルールを暗記し、記号操作のようにして数学的概念を扱うことである。例えば「1+1」を「数学的に」計算するには最低限「1」の定義と加法の定義が必要である。これはペアノの公理といって、集合論を基盤にした公理を用いることで厳密に定義でき、それに従うと計算結果が2になる。このような考えは「数学を感覚で捉えない」考えだ。

しかし、あなたは1+1の計算をするとき、なんとか公理がどうとか、集合論がーとか、そんなことは考えていない。つまり、1+1を感覚的に計算している。このような考え方を以って数学的概念を扱うことを「感覚で数学を捉える」と、本記事では呼ぶ。

イメージによる効果

人間は論理を聞かせるよりもイメージを伝えたほうが効果的だ。百聞は一見に如かずである。数学でも、定義文を読むより、実際に使われる場面を見たほうが理解度は遥かに高まる。

人間は古くから感覚で数学を捉えてきた。数というものが使われ始めた時期は、あまり正確には分かっていないそうだが、少なくとも古代エジプトでは数が使われていたことが分かっている。今から4000年も前の話である。しかし、数というものが現代数学の体系を用いて厳密に定式化されたのは1900年を過ぎてからのことだ。つまり、3000年近くの間、人間は数学を感覚で捉えていたことになる。数学を感覚で捉える能力というのは、人間に十分備わっているのだろう。

数学は言語学に似ている。あなたは普段日本語を話すとき、日本語文法に従って話そうとかと考えているだろうか。また、現代日本語の文法書を一度でも読んだことがあるだろうか。おそらく否。それにもかかわらず、あなたは流暢に日本語を操る。理論よりも実践のほうが先行するのだ。数学も、現実世界の事象を抽象化して表現したいという意志が先行し、理論による証明は後から為される。人間は理論がなくとも、案外感覚を以って物事を考えられる。人類の数百年、数千年の歴史が証明している。

基礎はこじつけである。基礎というのは畢竟、先ほど述べた「理論による証明」のことだ。つまり、実践の後に為されて然るべきである。世の数学書や数学の教科書は、定義などの「基礎」から実践問題などの「応用」へと進む書き方で書かれるが、これは人間の思考回路と逆行している。しかし、基礎によってその分野のあらゆる概念が「証明可能」になるので、この書き方をするのだ。数学が分かりにくい理由はここにあると言ってもいい。中学、高校、大学、と数学は続くが、後者になればなるほど「基礎」から始まるようにと変化するので、数学に挫折する人としない人の分断ポイントは至るところにある。

人間は基礎から説明されても理解できない。実践や応用、つまり感覚的な理解から学ぶべきなのだ。

「基礎を徹底せよ」は正しいか

基礎を徹底せよ、この言葉は勉強界隈の至るところで耳にする。これに対する私の考えはこう。

基礎の徹底は理想ではあるが、基礎は応用概念を知らない限り理解するのは不可能である。まずは能う限り多くの問題に当たり、数式の表す概念の感覚を掴むことが肝要だ。

例を挙げよう。あなたは数学を勉強していて、どうしても理解できない数学的概念があったと仮定する。三角関数のような関数でもいいし、微積分のような演算でもいいし、因数分解のような操作でもいい。まず第一にすべきことは、それらがどうして作られたのかを知ることである。微積分なら、人類で最初に微積分を使おうとした人およびその人の考えや動機を知ることだ。ネットで「○○ 起源」とか適当に検索すれば(マイナーな分野でない限り)そこそこの数の記事がヒットするはずである。それを2~3個読む。このとき、分からないところがあったら躊躇せず飛ばしてよい。その人の気持ちを曲がりなりにも理解することさえできればよいからである。この時点で分野全体の展望、すなわちどこに向かって勉強が進んでいくのかが見通せるはずだ。

次に教科書や参考書に戻る。数日かけてもいいのでとりあえず章を通す。分からない問題は躊躇せず飛ばすべし。ただ、分からくても「なんとなく」ここは重要そうだなと思ったところには付箋を貼ったり印をつけたりするなどしておくとよい。章を通し終わった後にスムーズに見返せるようにするためである。一方通行に進む必要はなく、行ったり来たりしてもよい。

さらに、中学生なら灘高、高校生なら東大や名古屋大など、一般的に見て難しいと思われる学校の入試問題のうち、現在学習している分野に関わる問題の模範解答を読み、現在学習している分野がどのように出題されているか「のみ」を汲み取る。ほかの部分は分からなくていい。英語で言えば、英単語が実際に文中でどのように使われるのかをチェックする要領だ。なぜ難しい入試問題なのかと言えば、難しい入試問題であればあるほど複数の分野が重なったものが1つの問題として出題されるため、数学の使われ方を知るツールとして優秀だからである。数学の使われ方を知ることができる教材や問題、書籍であれば、それで代用してもよいだろう。

ここまで行えば、最初につまづいていた部分や、途中で付箋を貼った部分も相当クリアになっているはずである。数学の感覚を理解し、その中の位置づけを体得したからだろう。これらの過程の中でなかんずく重要なのは、基礎知識に先行して応用概念、つまり数学の感覚を身に着けるべしということである。多くの教科書や参考書は基礎から始まり応用で終わるという構造を採っているため、意識的にそうする必要があるのだ。基礎は応用概念の抽象化であるため、より多くの応用概念を身に着けていればいるほど、基礎の徹底による学習効果は増幅する。逆に、応用力ゼロの状態でいくら基礎を徹底しても、卒爾初歩に終わってしまい、それ以上の意味を為さない。

こういうわけで「基礎を徹底せよ」の正しさは、学習者本人の数学的感覚を持ち合わせているか否かに依存する。

数学は感覚だ

数学はジレンマだ。数学書の構成は人間の思考回路と逆行しているので、頭から読んでも理解できない。逆に、途中から読むのでは言葉の定義や論理の根拠が分からないのでこれも理解できない。このようなジレンマが存在しているというのをまず理解する必要がある。

そこで、感覚を捉えるというのはそのジレンマに対する1つの解決法を与えてくれるはずだ。無味乾燥な数学に辟易したときには、一度立ち止まって、数式の持つ感覚に向かって思考を働かせてみてはどうだろうか。

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学び2024/12/25 10:59:47 [通報] [非表示] フォローする
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1: 本町 @make 2024/12/30 05:27:15 通報 非表示

面白かった。理論の理解より実践で感覚をつけることを先にやる方が良いってことかな?


>>1
小学生は「自然数とは何か」を知らずとも自然数を使いこなしてる

三角関数や微積分もそういうことができないかなって思って考えた文章

すこし強引だったかな


3: 本町 @make 2024/12/30 19:24:03 通報 非表示

>>2
強引でもなさそう

なんとなくやっていくうちにできるようになっていて理解も深まっていくと思うし


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