紅剣物語第10話「意味」
酒に酔っているようにしか見えない男が、堂々とヒロトの目を見据えた。
ヒロトの唯一の武器であった剣は、無残にもへし折られていた。もはや彼には、抗う術がない。
生まれて初めて味わう、敗北だった。
ヒロトは歯を食いしばる。
これまで、勉強でも、スポーツでも、剣術でも──一度も負けたことがなかった。
村の人々はヒロトを称賛し、そして一方で、その才能を妬んだ。
親友のソラですら、ヒロトには敵わないと認めていた節がある。ソラは常にヒロトの意見を尊重していた。
ヒロトにとって、それで十分だった。
だが今、彼の剣は折られ、大の大人二人から哀れみの目で見下ろされている。
「どうして俺たちを襲った? しかも子どもが二人だけで」
酒臭い男が問いかけた。
「とぼけるな。お前らが人攫いで金を稼いでるのは知ってる。アマギ・ソラを今すぐ返せ!」
ヒロトは声を張り上げた。
しかし、酔漢は大笑いする。
「何を言ってる、このクソガキは。俺たちはアマギなんて名前の子どもを攫った覚えはねぇよ。俺はな、攫ったヤツの名前はちゃんと覚える主義なんだ」
「嘘だ! ソラは突然、部屋から消えたんだ。しかも部屋には争った痕跡が残ってた。どう考えてもお前たちの仕業だろ!」
そのとき、鎧を着た男が思案するような表情を浮かべた。
「突然消えた、か。……お前、ソラに捨てられたんじゃないか?」
「なっ……」
鎧の男がヒロトにそう言う。
「そんなはずがない。俺たちは幼い頃から共に修練を積んできたんだ。ソラは、親友を見捨てるような奴じゃない!」
ヒロトは必死に言い返した。だがその言葉には、ヒロト自身さえも確信を持てなかった。
「親友、ね。それはお前だけの思い込みかもしれないぞ。向こうはそう思っていなかった可能性もある」
「黙れ! お前にソラの何が分かる!」
「その怒鳴り方を見るに、自信がないんだな。ソラが親友だったって、心のどこかで疑ってるんだろ?」
……そうだ、とヒロトは思った。
確かに、ソラとは親しくしていた。しかし、それだけではないのか? 命を落としかねないこの旅に、ソラは最初から同行するつもりなどなかったのでは?
そもそも、この旅の提案者はチュウニであり、ソラには関係のない話だったのではないか。
その現実が、ヒロトの心をじわじわと蝕んでいく。
「──ああ、やれやれ」
突然、低くよく通る声が響いた。酒に酔った男でも、鎧の男でもない。新たな人物の声だった。
「し、司教様!」
酒男がその男に気づき、慌てて直立する。
「なぜこのような場所に……? 汚れ仕事は我々にお任せを」
全身を黒いコートに包まれたその男──オーデッツ司教は、舌打ちを一つ鳴らした。
「汚れ仕事に絶対の自信を持っている貴様らが、なぜこんな簡単に子どもにアジトを突き止められるのだ!」
オーデッツの声が響いたそのとき、空間がねじれ、そこから一頭の虎が飛び出した。
「よし、忠実で名もなき虎よ。この無能を食っていいぞ」
命令を受けた虎は、酒男に向かって躊躇なく突進した。
「な、なぜ……!」
虎は酒男の腹に噛みつき、彼は悲鳴をあげる。
「うあああああああああ!」
壮絶な断末魔が響き、酒男は地に伏した。虎は倒れた男を、容赦なく喰らい尽くす。
「少年よ、なぜ火星信教団がこいつらの犯罪に手を貸しているか、わかるか?」
突然オーデッツは、ヒロトに声をかけてきた。ヒロトは答えるまでに、数秒を要した。
「……信者の寄付だけでは、教団の運営が立ち行かないから──」
「そうだ。正解だ。人攫いの身代金によって、教団はどうにか成り立っている。頭が切れるな。気に入った。見逃してやろう」
オーデッツは、今度は鎧の男を睨みつける。
「おいおい、オーデッツ司教様よ。いくらなんでも、これはやりすぎじゃねぇか?」
鎧男が背中から剣を抜き、構えた。
「掌炎!」
突如、チュウニの声が響いた。オーデッツの体に炎が走る。
「大丈夫かヒロト! ソラは見つかったか?」
チュウニが駆け寄ってくる。それに反応し、虎が鋭い視線をチュウニへ向けた。
「虎か……初めて見るな」
チュウニは冷静に構え、虎に向けて手を突き出そうとする。
「待て」
オーデッツの声が再び響く。ヒロトが振り向くと──
「なっ……」
さっきまで燃えていたはずのオーデッツが、何事もなかったかのように立っていた。炎の痕跡すらない。
「どういうことだ! 俺はたしかにお前を焼き殺したはずだ!」
「種明かしをしよう。私の能力は──事前に予測した攻撃が発動されても、自分の肉体が“攻撃を受ける前の状態”へと戻るという能力だ」
「……どういう意味だ?」
チュウニが眉をひそめて問い返す。
「私は、炎系能力者であるお主が、いずれ私に炎攻撃を仕掛けてくると予測していた。だから、その攻撃が実際に発動されても……私はこうして平然としていられるのだ」
その瞬間、虎が大きく吠えた。明らかに敵意を、チュウニに向けている。
「愚かな炎使いめ。不意打ちを狙ったつもりだろうが──お前では私に敵わぬ。間違いを認め、黙って虎の餌となれ」
虎がチュウニに飛びかかる。チュウニはそれをなんとか回避した。
「オーデッツ司教。お前も、一つ大きな間違いを犯したな!」
「……なんだと?」
「俺は“炎使い”じゃない。“エネルギー操作術”の使い手だ!」
虎から逃れつつ、チュウニは近くの木に手を当てる。その瞬間、木が砕け散り、破片が飛び散った。
鋭利な木片は虎に突き刺さり、その動きを止める。さらに数本がオーデッツにも当たり、苦しげな声が漏れた。
「逃げるぞ、ヒロト! 今の俺たちじゃ、あいつには勝てない!」
チュウニが叫び、ヒロトはすぐさまその言葉に従って駆け出した。
一部始終を傍観していた鎧の男も、ヒロトの後を追うように動き出す。
「うっ……」
オーデッツは、肩に深く刺さった木片を見下ろした。
──予想外の攻撃だった。
炎使いだと思い込んでいたため、炎攻撃しか来ないと慢心していたのだ。
「愚かな人間どもめ……」
低く呟いた後、オーデッツは呪文のような言葉を唱え始めた。
「我が死は、理性ある教団の崩壊を意味する。
理性ある教団の崩壊は、人造人間の勢力拡大を呼び──
人造人間の勢力拡大は、すなわち地球人類の滅亡に繋がる!」
その言葉を耳にする者は、もはや周囲に誰一人としていなかった。

