とーと事件2章
第二章 覚醒前夜 ― つみきを鍛える日々
──とーと事件まで、あと七日。
教室の窓の外には、何も変わらない日常があった。
桜並木を抜ける風。笑い合う声。
だが蓮だけは、そこに“死の残響”を見ていた。
この世界は、あと一週間で崩壊する。
自分がそれを五年間、生き延びてきたということを、誰も知らない。
「……まるで悪夢の再放送だな」
蓮はポケットの中の金属片を握りしめる。
それは、未来のつみきが遺した通信端末──最後に交わした「頑張って」の音声だけが残る。
(今度こそ、絶対に守る)
そのために、蓮はまず“彼女”を鍛えると決めた。
放課後の屋上。
目の前で腕を組んでいるのは、まだ“何も知らない”つみき。
未来の彼女とは違う、あどけなさの残る表情。
「鍛える? なんで私が?」
「五年後、お前は運営の第七監視区で死ぬ。
……俺の目の前で、な」
「…………」
言葉を失うつみきを見て、蓮は静かに続けた。
「だから今度は、死なせない。お前が生き延びられるだけの力をつける。
お前の中に“応力(オウリョク)”の種がある。
俺の世界では、それが覚醒してた」
「応力……それが、能力のこと?」
「ああ。人間の進化のエネルギー。
《とーと事件》が引き金になって、みんな強制的に開花させられた。
でも、お前は自分で引き出せるはずだ」
「……やっぱり信じられない」
「なら、信じられるまでやる。七日しかねぇ」
校舎裏。夕暮れの光が射しこむ。
蓮は素手で構えた。
「まずは身体。未来の戦場じゃ、頭より先に“動ける体”が必要になる」
「ちょ、待って、それ本気で──」
言葉の途中で、蓮が一歩踏み込んだ。
風圧だけでつみきの髪が揺れる。
彼は拳を止めたまま、つみきの肩に手を置く。
「ビビるな。恐怖が動きを止める。俺たちは“運営”に恐怖を教えられた。
だから今度は、自分の中の恐怖を支配しろ」
「……なんでそんな真剣なの?」
「五年間、地獄を見たからだよ」
蓮の声は低く、静かだった。
そこには、すべてを失った者だけが持つ“重さ”があった。
つみきは初めて、その覚悟に息を呑んだ。
──三日目。
つみきの腕は痛み、足は震えていた。
だが、蓮は止めない。
彼自身、疲れを知らない《不疲》の体。
その分、彼女の限界を超えるまで導ける。
「蓮……もう無理……」
「お前は五年後、俺の代わりに部隊を守って死んだ。
“無理”って言わなかった。
だったら、ここで止まるな」
その言葉に、つみきの心が弾けた。
息が詰まるほどの悔しさと恐怖。
次の瞬間、彼女の掌に淡い光が宿る。
「……これ、なに?」
「それが“応力”だ。お前の魂が反応してる」
蓮は笑う。
彼が未来で見た“最後の彼女”と、同じ光だった。
「よくやった。もう少しで掴める。
その力を制御できれば、運命は変わる」
夜。屋上にて。
風が吹き抜け、遠くで街の灯が瞬いていた。
蓮は空を見上げ、ぽつりと呟く。
「五年間、何百人が死んだと思う?」
「……」
「八割。世界の八割が、消された。
生き残ったのは、俺たち《hypocrite》と、ほんのわずかな抵抗者だけ。
けど、結局……俺も死んだ」
つみきはその言葉を黙って聞いた。
彼女の中で、何かが変わる音がした。
ただの分析担当でも、弱い人間でもない。
彼女の心の奥に、確かに“怒り”と“願い”が灯る。
「……じゃあ、次は勝とう。
私たちの世界、壊させない」
「そうだ。それでいい」
蓮は笑った。
かつての絶望の中にはなかった、確かな希望の笑み。
そして、彼の腕の中で、再び小さな光が弾けた。
つみきの応力が、少しずつ形を持ち始めていた。
とーと事件まで、あと四日。
世界はまだ何も知らず、穏やかに回っている。
だが、蓮だけは知っている。
この時間の向こうにある五年間の地獄を。
そしてその運命を、変える方法を。
彼は手の甲に刻まれた《レベルアップ》の紋を見つめ、静かに呟いた。
「次は、俺たちが勝つ」
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