標本少女
僕のクラスに、七海(ななみ)さんという子がいた。
彼女はいつも一人で、休み時間になると決まって窓の外を眺めているか、図書室の隅で古い本を読んでいた。服装もどこか古風で、夏でも長袖のカーディガンを羽織り、髪はいつも綺麗に三つ編みにされている。まるで時間が止まっているような、不思議な雰囲気を持った子だった。
特に奇妙だったのは、彼女の持ち物だった。筆箱は年季の入った木製で、中には鉛筆と消しゴムしか入っていない。そして、なぜかいつも小さなガラス瓶を持ち歩いていた。中身は空っぽだったり、見たこともない植物の葉っぱが入っていたりした。
ある日の放課後、僕は忘れ物を取りに教室に戻った。すると、七海さんが自分の机で何か小さな作業をしていた。好奇心に駆られてそっと覗き込むと、彼女はガラス瓶の中に、小さなセミの抜け殻を丁寧に入れているところだった。
「何してるの?」
思わず声をかけると、七海さんは驚いた様子もなく、ゆっくりとこちらを向いた。その目は、感情の読めない、静かな湖面のような目をしていた。
「標本、作ってるの」と、彼女は小さな声で答えた。
「セミの抜け殻の?」
「ううん、違う。これはね、『今日』の標本」
僕は意味が分からず首を傾げた。
七海さんは、空の瓶を一つ取り出して僕に見せた。
「毎日、その日の『一番綺麗なもの』を一つだけ瓶に入れるの。そうすると、その日をずっと閉じ込めておけるんだって」
「誰がそんなこと言ったの?」
「おばあちゃん。時間が経つと、全部忘れちゃうからって」
僕は彼女の話を少し馬鹿らしいと思ったが、否定もしなかった。彼女の世界観は、僕の常識とはあまりにもかけ離れていたからだ。
「じゃあ、このセミの抜け殻が、今日の『一番綺麗なもの』なの?」
七海さんは少しだけ微笑んで、「うん」と頷いた。
それから数週間後、七海さんは突然、学校に来なくなった。転校したという噂や、病気だという噂など、色々な憶測が飛び交ったが、結局真相は分からなかった。
彼女がいなくなってから、半年ほど経ったある日。僕はふと、あの時の彼女の言葉を思い出した。
「時間が経つと、全部忘れちゃうから」
僕の記憶の中の七海さんは、いつもカーディガンを着て、静かに窓の外を見ていた。彼女の顔も、声も、あの日の会話も、少しずつ曖昧になっていく。
僕は、もし彼女がまだどこかで『標本』を作り続けているのなら、僕と話したあの日のことも、どこかのガラス瓶に閉じ込めてくれているだろうか、と思った。そして、その瓶の中身が何だったのか、僕はもう思い出せない。
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