小説 紅影⑦

2 2026/06/12 09:34

朝。

トライシクルのエンジン音だけが、静かな森へ響いていた。

ハルは学院を振り返らない。

振り返る意味など、今はなかった。

(紅剣を取り返す)

その一つだけを胸に、舗装の割れた旧道を走る。

(強くなって、証明する。あれは俺のものだ)

やがて森が途切れた。

目の前に広がったのは、人の海だった。

「……すげぇ」

思わず声が漏れる。

巨大な城壁が京都を囲んでいる。

人の波が城門に押し寄せ、長蛇の列を作っていた。

ハルはトライシクルを止め、降りる。

トライシクルを草の中に置き、落ち葉で覆い隠す。

廃車とも思われないだろう。

そして鞄を持ったまま人の列に近づき、城門との距離を確かめる。指を指しながら。

「人が、ざっと100人ぐらいか」

列をだるそうに並んでいる人々がハルを怪訝そうに見ているが、そんなことは気にしない。

人の列に並び、吸い込まれるように門に入っていく。

「うわぁ…」

遠くまで続く瓦屋根の海。その合間を縫うように白銀の塔が天へ伸びている。

路地では子供たちが走り回り、商人たちが大声で客を呼び込んでいる。

義手を付けた男。

片目を機械へ換えた女。

背中に巨大な荷物を背負った旅人。

誰もが武器を持ち、誰もがどこか警戒している。

「ここが……京都か」

村しか知らないハルには、それだけで別世界だった。

人混みを進むと周囲の会話が耳へ入る。

「今年は誰が優勝すると思う?」

「やっぱり学院の連中じゃねぇか」

「いや、貴族連中も来てるらしい」

「賞金だけで一生遊べる」

「紅燐祭だからな。

(紅燐祭)

学院で聞いた名前だ。

機械人間を倒し、その成果を競う祭。

だが、街の熱気は祭というより戦争前夜だった。

誰も笑っていない。

武器屋には長蛇の列。

薬屋には怪我人が絶えず出入りしている。

鎧を調整する鍛冶師。

弾丸を箱買いする傭兵。

命を賭ける祭。

そんな空気が街中を覆っていた。

「……本気なんだな。」

ハルは小さく呟いた。

その時だった。

「ぐぅぅ……」

腹が鳴った。思わず腹を押さえる。

露店では焼きたての団子の甘い香りと香辛料の刺激臭が入り混じり、鉄を叩く音、客引きの声、子どもたちの笑い声が絶え間なく耳へ飛び込んできた。

屋台から漂う焼き肉の香りが鼻をくすぐる。

串焼きだった。

ハルは串焼きの値札を見る、

「高ぇ」

懐へ手を入れる。銅貨が2枚。

学院を出る時、荷物は貰った。

短刀も貰った。それと、銅貨だけ。

旅は腹が減る。

「……金、稼がないとな」

そう呟いた時だった。

広場の一角に、大勢の人が集まっているのが見えた。

近付いてみると、そこには大きな木製の掲示板が立っていた。

風にめくられながら、無数の紙が貼られている。

『荷運び募集』

『護衛依頼』

『迷子猫捜索』

『倉庫整理』

『害獣駆除』

「依頼……?」

ハルは一枚一枚眺める。その中に目を引く紙があった。

『倉庫への荷物運搬 報酬・銀貨一枚』

「これなら俺でもできそうだ」

薪割り。水汲み。荷運び。

村では毎日の仕事だった。

ハルは依頼書を手に取り、深く息を吸った。

「まずは金だな」

ーーー

小店が無機質に立ち並んでいる通りに、ハルは荷物を運んだ。

「荷物、運びました!」

鞄を3つ、手や肩で抱えながら、ハルは言った。

店の裏から扉が開く音がする。出てきたのは、老人だった。

「兄ちゃんが運んでくれたのか」

老人が声を掛けてきた。

「ええ。依頼があったので」

老人は腰から銀貨を2枚取り出し、ハルに渡した。

ハルは鞄を地面に置き、銀貨を受け取る。

「あの、紅燐祭の会場ってどこですか」

ハルの質問に対し、老人はかすかに怪訝な表情を見せた。

「京都の中央に広場がある。そこだ」

「ありがとう」

「おい」

歩き出そうとしたハルに、老人は言葉を続ける。

「まさか、参加するのか?」

「ああ、そうです」

「餓鬼の遊びじゃねぇ、やめときな」

老人の声が明らかに低くなる。ハルは聞く耳を持たず歩く。

「約束がある」

「あんたとは格が違ぇ」

「それが?」

「死人が、出るぞ」

ハルは一瞬だけ足を止めたが、気にせず歩き出した。

心は歩いている。それを確かめるように、足は止めない。

---

人混みを避けながら、串焼きの店に戻ってきた。

「すみません、これください」

店に近づき、串焼きを指差す。

「銅貨2枚だ」

正面で、店主の明るそうな声が響いた。ハルは銅貨を店主に手渡しで渡す。

残りの金は、銀貨2枚だ。

包とともに、店主は串焼きを渡した。

「あの、紅燐祭ってどんな感じですか」

店主は一瞬だけ止まった。文字通り。

「やべぇな」

それだけ。店主は遠くを見るように言った。

「誰でも、参加できますか?」

「制度上は。だが参加者は歴戦の傭兵か、理式師だらけだ。素人は、まずリタイアだ」

「上位入賞とかは?」

「理式師家系の貴族で埋められてる。努力でどうこうできる世界じゃねぇ」

ハルはそれだけ聞いて、店を去った。

「うま」

通りを歩きながら、ハルは串焼きを凄まじい勢いで消費する。

香ばしい匂いが、鉄の匂いと共に鼻腔に入ってくる。

すると、巨大な広場へ出た。

広場だけ、極端に人が少なくなっている。静粛そのものだった。

石碑には無数の名前。

優勝者。準優勝者。上位入賞者。

百年以上積み重ねられた名前だった。

「これ全部……」

ハルは見上げる。

その最上段だけ、空白。

今年の勝者が刻まれる場所だった。

広場の中央には巨大な石碑が立っている。

周囲には人が少しいた。

刀を帯びた者。鎧を着た者。理式師らしき者。

老人、子供。全員が強そうに見えた。

受付らしい幕舎へ向かう。

机の向こうに座る女性が顔を上げた。

「参加希望?」

「はい」

女性は紙を差し出した。

「名を」

「草薙・ハル」

筆が止まる。

一瞬だけ。本当に一瞬だけ。

「漢字表記?」

「まあ」

再び筆が動く。

「所属を」

ハルが困る。

灰灯?

言っていいやつか?

村?

もうない。

旅人?

違う気がする。

「無所属です」

受付は頷いた。

聞こえていたのか、周囲から密かな笑い声。

「無所属かよ」

「今年もいるんだな」

「三日持てばいい方だ」

ハルの顔が少し曇った。耳を塞ぎたかったが、そんな恥ずかしいことはしたくなかった。

「次」

受付が指差した。

巨大な石碑。

「触れて」

「は?」

「参加登録よ」

ハルは石碑を見る。

近くで見ると妙だった。

小さくて紅い、透き通る石が埋め込まれている。

生き物みたいだ。

ぎこちなく触れる。

石が光った。

それも、ただの紅ではない。

思わず見とれてしまうような、真紅だった。

周囲が騒ぐ。

「おい。今の見たか」

「反応したぞ」

受付の目が細くなる。

「え?」

柱の中に何か見えた。

一瞬だけ。

赤い空。燃える都市。無数の機械。

そして。剣を持った男の背中。父に似ていた。

気づいた時には光は消えていた。

「あの、今の見えましたか?」

「は?」

受付は固まった。ハルの言葉を口の中で転がしている。明らかに、処理できていない。

「もういいです」

ハルはくるりと周り、歩き始めた。

「あの、傍に説明が書いてありますので、確認してくださいねー」

受付が背後でそう言った。

広場の脇、大きな銀杏の木の根元に、ひっそりと佇む木製の掲示板があった。

(それにしても、案外楽に参加できたな。ちょっとあっさりか)

ハルは、その掲示板を覗き込む。

『一、紅燐祭期間 文月五日~一二日 ノ 一週間とする』

今は、六日だ。

「もう始まってるのかよ…」

どうやら、完全に出遅れているらしい。それにしても、順次参加型だとは。ラカールもひと事ぐらい言えばいいものだ。

『二、本大会ハ京都及ビソノ周囲ニ存在スル機械人間ノ撃破数ヲ競ウ大会デアル』

(読みずれぇ…)

『三、機械人間ノ撃破数ニ応ジテ優勝者、準優勝者、上位入賞者ガ決定サレル』

『四、機械人間ノラベル保持ガ撃破ノ証デアル。最終日マデ保有シテオクコト』

ラベル。村でラカールがハルに見せたものだ。

胸に貼られた金属板である。 33号。村を襲った機体。正確には、33号型であったか。

『五、禁止事項ハナシ』

一通り読み終えると、あたりには人の話し声でざわついていた。

「俺の組入んねぇか?」

「協力すりゃ、上位入賞間違いなしだぜ」

その瞬間、背後から地面を踏む音がした。

ハルが咄嗟に振り返ると、中年で愛想の良い男が立っていた。

「坊主お前、初参加だろ?」

「あぁ、そうだが」

男は舐め回すような視線でハルを見た。

「俺はゴビーっていうんだ。名前は?」

「草薙ハルだ」

「ほう、いい名前じゃねぇか」

ゴビーはそう言って少し笑った。

「お前さん、俺と組まねぇか?」

早速の勧誘である。周囲の人間がやろうとしていることも、ゴビーはハルにやっている。

「いや…」

「俺は経験者だ。俺についていけば、まともに戦えるようになる。悪い話じゃねぇ、やってみろ」

「でも、揉めるんじゃないですか?」

「揉めるだ?」

ゴビーはハルに顔を寄せた。興味深いものを見るように。

「たとえば、2人で一体の機械人間と倒した時.どちらがラベルに所有権があるか、絶対揉めますよね」

ゴビーの動きが止まった。代わりに何度か瞬きする。ハルは思わず後ずさった。

「そりゃそうだ」

そう言った瞬間、ゴビーは大声で笑った。

「素人でそれだけ読み取れるとは大したもんだ。だが、こう言われたらどうする?」

「どう?」

ゴビーはわざとらしく真顔になる。

「自分の取り分を守るための、相互防衛だ、とな」

「相互防衛?」

「紅燐祭に、禁止事項はない」

『五、禁止事項ハナシ』

ハルは少しだけ考えた。ほんの少しだけ。

「つまり、他参加者に取り分を奪われないための、同盟?」

「慧眼だな」

「でも、それは信頼できる人間と組んだ方が良くないですか?俺みたいな素人とわざわざ組む意味がわかりません」

 

いいねを贈ろう
いいね
2
コメントしよう!
画像・吹き出し


トピックも作成してみてください!
トピックを投稿する
その他2026/06/12 09:34:56 [通報] [非表示] フォローする
TTツイートしよう!
TTツイートする

拡散用



まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?
画像・吹き出し

トピックも作成してみてください!
トピックを投稿する