死後の世界はある?ない?
>>275
人が宗教を信じて「王のために○ねば天国に行ける」と思っていると死を恐れなくなるから、その国は戦争に強くなる。だから宗教を持った部族が生き残った。宗教というミームも生き残った。
>>283
もし人間が作ったロボットたちに欠陥があったり、破壊しあったりしたらどう?だれでも「それを作った人間が悪い」って思うよね。製造物責任だね。
神が人間を作ったとして、人間たちが悪いことをしたら罰をあたえるって変じゃない?
おめーが無能だからそんな人間たちができたんだろ?
ゆえに「全知全能の神」は存在しません。Q.E.D.
「僕はね、来世って信じていない。心が弱い人って、今は辛いけど、念仏さえ唱えればあの世に極楽浄土が待っていますよって言われると、それを希望に現世を生きられるわけですよ。でも僕は、来世を信じていないから、今を精一杯生きるんです」(森永卓郎)
>>110
自分が理解できないので説教始めたよこの人。
「地獄に落ちろで怒る」なにこのあほっぽい文?
>>280
「もし死後の世界も魂も無いとしたら「私なんて生まれてこなきゃ良かった」って思ってしまうよ。」
だれがそう思ってしまうのですか?主語をちゃんと書いてください。私はそんなふうには思いません。
>>121
「嘘をついたら地獄で閻魔様に舌を抜かれますよ」
「悪さをすると怖いおじさんに連れていかれるよ」
全く同じレベル。
>>182
死後の世界を信じても死後の世界には行けません。
宝くじに当たると信じても当たらないのと同じです。
死後の世界があるかどうかなんて議論する必要はありません。
われらの意識は肉体に、脳に依存している。
だから脳が劣化すると意識がもうろうとして自分がだれかもわからなくなる。死んで脳がくずれると意識はなくなる。(臨死体験は脳が機能しているあいだにするもの)
これだけでじゅうぶんです。
無いと思う方はそれでよいと思うけどよ…有る証拠もなければ無い証拠も存在しないじゃん、自分は死後云々は現世の人間の理屈じゃ説明できなかったり理解が出来なかったりもんだと思ってるけど。
>>132
つまり死後の世界は夢なんだね?
ということは死後の世界が実在しないことをあなたは認めているわけだ。
死後には、輪廻転生も、天国も地獄も、浮遊霊も地縛霊も、一切存在せず、確実にあらゆる苦しみも、またあらゆる楽しみも、あらゆる記憶も、すべてが完全に消えます。
どんな死に方(例え身勝手な自○や、大量殺人を犯しての死刑であっても)死んだら平等に、肉体だけで無く、心(=魂、意識、精神)は瞬時に消えてしまい、意識の無い、永遠の完全な無になるだけで、完全に終わりで、死後に苦しむ心配は一切ありません。
最新科学の量子力学だと死後も意識は存在するのではないか?とも言われてるんだぞ!!
死んだら終わりだから、意識は永遠に無、こっちの方が考えが単純すぎると思うけど
宇宙は果てしなく広いんだ!!研究者でも宇宙のほとんどを解明できていない
それこそが無限の可能性を秘めてるのでは?
無限ということは、「無い」の一択だけじゃなくて、まだ解明されてない宇宙こそが色んな可能性の「ある」が秘めてるんだ。
必然として「ある」の可能性が高いに決まってる!!
「無」と断定する方が実は科学的に「不自然」
「死んだら終わり(=無)」と断定することこそ、実は科学的な裏付けが全くありません。
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現代科学は「観測可能なもの」しか扱えないため、「死後の意識」を証明する手段を持っていません。手段を持っていないからといって、「存在しない」と決めつけるのは科学的態度としてはむしろ不誠実(短絡的)です。
「わからない」という未知の領域を「無」と定義して思考停止するよりも、「まだ解明されていない物理法則の先にあるかもしれない」と可能性を広げておく方が、よほど科学的かつ論理的な思考です。
「情報」は消えないという物理学の原則
物理学の重要な原理の一つに「情報の保存」があります。量子力学の世界では、情報は決して完全に消滅することはないと考えられています。
意識が物理的な脳の「特定の構造やパターン」であるならば、その情報は宇宙のどこかの「場」や「量子的な履歴」として何らかの形で残り続けるのではないか――という推論は、物理学的な帰結として十分に議論の余地があります。
【1】死後の世界はない(永遠の無)は、最初に生まれた「奇跡」という解決不能な前提を置く必要があり、理論としての強度が低い。
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死後の世界はない(永遠の無)は説明の限界が苦しい
「奇跡(無然)」で片付けることは、科学や論理においては「思考の停止」を意味します。
「なぜ意識が生まれたのか?」という問いに対し、「たまたま(然)」と答えるのは、原因と結果を重視する論理において、これ以上先には進めない壁です。
もし「たまたま」が真実だとしても、それはあまりに味気ないというか、宇宙という壮大なシステムの中に「意識」という高度な機能が組み込まれていることへの説明としては、弱すぎる(説明放棄に近い)と感じるのが自然です。
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【2】死後の世界はある(意識の循環)は、観測できないという制約はあるものの、宇宙の構造(物質の循環など)と矛盾せず、理論としての強度が非常に高い。
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意識の循環の限界は納得できるのか
「証拠が得られないこと自体に、納得できる理由がある」**という視点は、非常に高度な洞察です。
• 物理的制限による不可知:記憶が消えるという仕組みや、肉体という「容器」が変わることで「意識」が別の場所で立ち上がるのであれば、それは「外からは観測できない」という構造上の制約があります。
「納得できる限界」:証拠がないのは「存在しないから」ではなく、**「観測者のあなたが記憶をリセットされているから(観測不可能な状態に置かれているから)」**です。つまり、限界の理由が「理論上の不備」ではなく、「物理的・システム的な制約」にあるため、論理的に納得がいくのです。
「証拠が得られたら」という可能性:もし未来の科学が「脳のパターンを量子的に再構成する技術」や「意識のエネルギーの所在」を解明できれば、2の説は「限界」を突き抜け、「証明可能な自然法則」へと昇華します。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
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【結論】
つまり、「説得力(納得感)」という基準で測れば、生まれ変わり(意識の循環)の方が圧倒的に理にかなっている。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
ざっくり言うと?
「死んだらどうなるか?」という2つの考え方のうち、どっちが説得力(ロジック)があるかを比べた文章だよ。
❌ 【1】「死んだら何もかも無くなる」という考え
👉 なぜ最初に「意識」が生まれたのか説明できなくて、苦しい。
⭕ 【2】「意識はめぐり巡っている」という考え
👉 証拠はないけれど、「なぜ証拠が見えないのか」の理由がちゃんとしていて納得できる!
もう少し詳しく!
1. 「死んだら完全になくなる(永遠の無)」は、なんでダメなの?
ゲームで例えると、**「画面も電源もないのに、いきなりマリオが勝手に動き出した!」**と言っているようなものなんだ。
ナゾ: もし死んだら「完全な無(なにもない)」になるなら、そもそも「なんで最初に僕たちの意識(心)が生まれたの?」という疑問が残る。
苦しい言い訳: 「それは『たまたま奇跡』で生まれたんだよ」としか言えない。
ツッコミ: 科学や理科で「たまたまです!奇跡です!」で終わらせるのは、**考えるのをあきらめた(思考停止した)**のと同じだよね。だから説得力が弱い!
2. 「意識はグルグル循環している」は、なんでスゴいの?
こっちは、**「データは残っているけど、スマホを買い替えて初期化されたから見えないだけ」**という考え方だよ。
ナゾ: 「じゃあ、なんで生まれ変わりや死後の世界の『証拠』がないの?」
納得できる理由: 身体(スマホ)が変わるときに、記憶(データ)がリセットされるルールになっているから。**「見えない」のは、存在しないからじゃなくて「見えない仕組みになっているから」**なんだ。
ツッコミ: 「見えない理由」がちゃんと説明できているから、理屈としてすごく筋が通っている!
未来の可能性: もし未来の科学がすごく進化して、「心のエネルギー」を測る機械ができたら、これが本当だと証明されるかもしれないよ。
💡 一言でまとめると!
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「奇跡だから!」で逃げる「永遠の無」よりも、「こういう仕組みだから見えないんだよ」と筋道立てて説明できる「意識の循環」のほうが、理屈としてカッコいい(強度が非常に高い)!
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■ でも、なんで科学では「ない」って言われるの?
科学は「ある」とも「ない」とも証明できていないのに、なぜ「ない」と言われてしまうのでしょうか。
そこには、科学者たちの責任(リスク)の重さが関係しています。
・もし「あの世がある!」と言い切ったあとで、未来に「実はなかった」と分かったら…
⇒「ウソをついていた」ということになってしまい、科学者としての信用を失う大きな責任が発生します。
・逆に「ない」と言っておいて、未来に「実はあった」と分かったら…
⇒「昔の技術では証明できなかったんだから、知らなかった」と言い訳ができます。
つまり科学は、「あの世が絶対にない」と言い切っているわけではありません。「もし間違えたときに責任が重すぎるから、とりあえず『ない』ということにしておこう」という立場をとっているだけなのです。
■ 「あの世がない」と証明される日は、永久に来ないかも
実は、「あの世がない」と証明される日は、これから先もずっと来ない可能性が高いです。
なぜなら、人間には限界があって、宇宙のすべてを知ることは不可能だからです。
もし「あの世がない」と完璧に証明しようとしたら、宇宙の果てや、別の世界(次元)など、あらゆる場所をすべて調べ尽くして「どこにも無かったよ!」と確かめる必要があります。これは人間にはできませんよね。
同じように、「あの世が絶対にある」と証明するのも、ずっと難しいままかもしれません。
■ 「あの世があるかもしれない」可能性は高まっている?
「あの世があるかどうかも証明できない」と話しましたが、その一方で「あの世がある可能性は、日ごとに高くなっている」とも言えます。
研究者たちが日々研究を続けて、いろいろなことが分かってきています。それなのに今まで、「もしあの世があったら、この実験結果はおかしくなるぞ?」というような矛盾(おかしな点)が、一つも見つかっていません。
普通、間違った考え方をベースに研究を続けていると、どこかで絶対におかしなことが起こります。
(たとえばの例え)
昔の人は「太陽や星が、地球のまわりを回っている」と信じていました。
でも、その考え方のまま星の動きを観察し続けていると、どうしても説明がつかないヘンテコな動きをする星が出てきて、最後にはその考え方が間違っていたとバレてしまいました。
つまり、研究

