小説『正しいこと』読み切り
ひーとーごーろーしー。ひーとーごーろーしー。ひーとーごーろーしー。
「ひとごろし」と呼ばれた。
「いつかお前ら、人を殺すから、絶対に、人殺しになるから」
それっきりだった。木村くんは家を引っ越し転校してしまった。僕たちがいじめなんかしなければ木村くんは自殺未遂をすることはなかった。
木村くんはいない。もう二度と__。多分永遠に、僕たちの前に姿を現わさないだろう。でも木村くんの席はこれからもずっと教室に残る。いないのに、いる。いるのに、いない。僕たちは今、そういう罰を受けているんだと思う。友達は「関係ねえよ」と笑うし、「別にいいじゃん」と怒った顔にもなる。みんなは本気で反省しているのかは分からないけど、僕は絶対に心から反省している。
昼休みのチャイムが鳴った。
「先生...」
「なんだ?」
「どうして木村くんの席、ずっとここにあるんですか?」
先生は微笑みを浮かべた。
「一生忘れられないことをしたんだ、みんなは。じゃあ、みんながそれを忘れるのってひきょうだろう?不公平だろう?木村くんのことを忘れちゃだめだ、木村くんにしたことを忘れちゃだめなんだ、一生。それが責任なんだ。罰があってもなくても、罪になってもならなくても、自分のしたことに責任を取らなくちゃだめなんだよ…」
僕は机に突っ伏して、目元を腕に強く押し当てた。制服の袖にじゅっ、と湿った温もりが染みて腕に伝わる。
「どうやったら木村くん戻ってきてくれますか…?土下座して、必死に謝って手紙とか本気で書いてお金とかもちゃんと弁償して、殴られても蹴られてもいいからって謝ったら…謝ったら…あいつは、帰ってきてくれますか?」
先生は「今の気持ちも忘れるな。すごく、大事なことなんだ」と言った。でも、木村くんが帰ってくる、とは言ってくれなかった。大切なことと正しいことって違うのかな。大切じゃないけど正しいことってあるよな。しょうがなくて正しいことってやっぱりあるし、本当は間違ってるのに正しいこともあるよな。そんなの、たくさんある。新聞やニュースにもたくさん出ている。正しくなくても大切なことだって、あるんだ。でも、大切じゃない大切なことは、絶対にないんだ。大切なことはどんな時でも大切なんだ。中学生でも高校生でも。大人でも子どもでも。
僕は突っ伏したまま、洟をすすり、咳き込んで、床を両足で踏み鳴らしながら言った。
「僕はいつか、人殺しになるんですか?」
先生は、静かに、かすかに笑いの溶けた笑顔で言った。
「大切なことさえ忘れなければ水瀬くんはどこの高校生に行っても、人殺しにはならないよ」
おしゃべりの声や椅子を引く音や机を動かす音はずっと教室に響き渡っているのに先生の声は何にも邪魔されずに、まっすぐ届く。
「先生から、水瀬くんに一つ訊くね、いじめってどういうことだと思う?」
「いじめは…大勢で特定の誰かを仲間外れにしたり攻撃したりすること、ですか?」
先生は首を横に振った。
「いじめは、人を嫌うからいじめになるんじゃない。人数がたくさんいるからいじめになるんじゃない。人を踏みにじって、苦しめるのがいじめ。人を苦しめていることに気づかず、苦しくて叫んでいる声を聞こうとしないのが、いじめ。」
確かに、そうなのかもしれない。一対一でも、いじめになることだってあるんだ。そういえば、ジャイアンとのび太だって、そうじゃないか。
僕はあいつの声を聞こうとしなかった。あいつの悲鳴に気づかず、おどけるあいつを見て笑い続けることで、あいつを、いじめていたんだと思う。
先生は「いいかい…?」と話を続けた。
「いじめは、するほうもされるほうも人間として弱いんだ。弱いから、人をいじめる。弱いから人にいじめられる。先生は、君たちにはそのどちらにもなってほしくない、強い人間になってほしいんだ。」
僕は、ひどいことをした。可哀想だった。本気で思う。いじめをしてはいけない。そして、もしも自分がいじめられたり死にたくなるほどつらいことがあったとしても決して自殺をしてはいけない。いじめをした僕たちは、これから先も、ずっと、責任を負い続けなければならない。木村くんのことを一生忘れない。一生忘れずにいたい。
授業の始まりのチャイムが鳴った。
先生は原稿用紙をみんなに配った。反省の作文を書くのだ。
僕は一呼吸し、よし、と小さくうなずいて、シャープペンシルを手に取った。
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