自作短編小説『生きること』

5 2021/12/30 10:50

生きたくない、そう思ったことはありますか。誰かに、無責任に生きてと言ったことはありますか。もしあるならば聞かせてください、貴方にとって生きることとは何でしょうか。

私は、「生きたくない」という言葉を何かしらの形で目や耳にする時、何時も疑問に思います。

人間、何時かは終わりが来るのに、何故そのことは別なのだと思っているのでしょうか。食べ物ならば腐っていきますし、物体なら壊れてしまいます。それは当たり前のことで誰も疑問に思いません。生き物だってそうなのに、「人間」だけ特別視されているのは何故でしょう。

桜は青々とした夏の緑葉が素敵だと思う人もいれば、散り際が儚くて美しいと言う人もいます。ですが人間という生き物に関しては、生きている間のことだけが語られて、散り際やその後はなかった様にされていきます。

限りある命だからこそ美しい、その命を繋ぐことが一番の幸せである、そう言う人もいますが、如何も私は受け入れられません、楽しいと思った時に生きて、辛いと思った時は終わらせてもいいのではないのでしょうか。

誰が如何しようが、如何思おうがその人の勝手であって、他者の私は止める権利も後押しする義務もないのだと思います。

他人の幸せや苦しみは知ることはできても、実際に共感することはできません。例え似た経験があったとて、人が違えば感受性も違うように、本当の意味で理解することはできないのだと思います。それは私に限らず貴方の周りでも同じかと思えます。

私が幸せだと思える理由と、貴方が幸せだと思える理由は同じですか。少なくとも私はそうだと言えなければ、違うとも言えません。

この様に、生きることで幸せを感じる人がいれば、終わることで安堵感を覚える人もいるのだと思います。

私は生きることが美しいとも、終わることが美しいとも思いません、ただ、今が楽しいから生きているだけで、辛いことがあったら様々な手段を使って現実から目を背けます。最終手段として自ら終わらせることも視野に入れていますが、不思議と今迄はそうなる前に次の楽しみがやってきます。何が幸せなのかは私自身もよくわかっていませんが、自分らしくある為ならば、誰かに非難されようとも、理解してくれる人がいなくとも、全て自分の都合のいいように考えていきます。

私のことは私が決めるのであって、他者の正義論を嫌々聞く必要はないと思っているからです。

周りを気にして気疲れしている人がいても、それが私の親しい人でもない限りは何とも思いません。情が薄いと言われても、申し訳ないとは基本的に思いません。

私にとって生きることとは、少なくとも私を犠牲にしないこと、私が笑っていることです。

私を犠牲にしない為ならば、どんな犠牲でも惜しみませんし、私が笑う為ならば、やれる範囲で最大限のことをします。ですが私が笑う為に私を犠牲にすることは絶対にありません、心の底から笑いたいからです。

貴方は自分自身の幸せの為ならば、何を犠牲にできますか。何処からが貴方にとっての犠牲ですか。

私は私が笑っている為ならば、過去の私を捨てることができます。何故なら、私にとって犠牲の境界線は現在と未来の私だからです。

この文章が誰かの為にならなくても、私の為になりますように。

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タグ: 自作短編小説 こと

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