いじめは絶対にいけない?やってもいい?
>>112
この言葉(108)どう考えてもおかしいんですよね。
ここで「人は、見下されないと成長出来ない。」
この言葉冷静に考えればどう考えたっておかしい。
なぜなら、見下され「ないと成長できない。」
言い換えれば「成長するには見下されるしか方法がない。」
ということになります。
しかし、成長するには、ほかの方法だってありますよね。
例えばスポーツで競い合ったり、自分の中で反省して改善していったり。
このような方法は「見下されている」
とは言えません。
さらに、「そもそもとして人間は、環境によって性格が簡単に変わる。虐めてる人は、そういう環境で育ったからそうなった。」
とおっしゃっていますがそれはその考えに甘えて、「あいつはいじめてもいい」
という環境を現在進行形で作り上げている「いじめている側」そして「傍観しはやし立てている野次馬」によっていじめが進んでいるという意識が足りないからではないでしょうか。
なぜ意識していないか、それは周りの人の意見を倫理観がないと倫理観を持ち合わせていないあなたの脳で決めつけているからではないでしょうか。
そもそも哺乳類は他人を守るという本能があり、その中でも人間、とくに日本人は利他の本能がつよく、周りの人と協力して生きてきたのです。
そもそもいじめとは自己犠牲の精神を失ってしまっている人の行う行為なわけで、
自分の考え方次第でいじめはやめられるものなわけだから、環境のせいにするのはどう考えても筋が違う。
環境のせいにするなまずは自分が何をしているか自覚しろ。
>>117
……?何か勘違いしてるけど俺は虐めたことないよ?虐められた事ならあるけど
>>123
自称イジメられた事ある奴ってこと?何でそんな気持ち悪い事書かにゃならんのだ?
>>112
「見下されないと成長できない」という主張は、心理学的根拠が乏しく、ポジティブな環境でも成長可能。「環境で性格が簡単に変わる」「虐めは環境のせい」は個人責任を無視し、因果を単純化。虐め批判者を「倫理観がない」と非難するのは論理矛盾で、虐めの害(PTSD等)を無視。虐め正当化は根拠薄弱で、予防・改善の議論が建設的。
いじめをされている人へ
あなたは、誰かに相談しましたか?誰にも相談できないのなら、相談電話など、チャットなどで、やってみては?いじめをされて、やり返すのは、いけません。心をリラックスさせて、ゆっくりしましょう。
なんか荒れ気味じゃない、、、?
良い悪いの投票で、相手が認めるように、自分の正義を押し付ける。これっていじめの原理と一緒じゃないんですか?相手を認められない、それがいじめの発端なんだと思いますよ。
逆にいじめをやっていいって思う人頭おかしくないですか??
いじめはダメってくらい小学生でも分かることなんですけどね~~~~~~~~~~
私はイジメを受けています。
今日給食当番で食べ終わって片付ける人の手伝いをしていたら女子に、
「もっと他の仕事やって?」
と言われて投げるようにストローの袋が入ってる袋を投げつけられ、イラつきながら空気をぬいて結ぼうとしたら
「遅い!私がやるからかして!」
って言われたクィッと取られました。
>>181
どうやらその女子はプロフェッショナルなメイドのようですね。
なので、これからはそのメイドちゃんに全部やってもらって楽しましょう!
正直いじめられる側の人が悪いと思ってる。
だって、気に食わないことしてくんのが悪くない?
>>192
あなたの主張は、論理の根本部分に深刻な欠陥を含んでいます。まず、たとえ誰かが「気に食わない行動」をとったとしても、その結果としていじめや暴力で対抗することは決して正当化されません。適切な反応は、対話や問題解決のための建設的な方法であり、他者の人格や尊厳を侵害する不当な行為を容認するものではありません。
さらに、この考え方は被害者に責任を転嫁するものであり、いじめの根本原因である加害者による権力の乱用や偏見、さらには社会全体のコミュニケーション不足に目を向けるべき点を無視しています。いじめは単なる「気に食わない」行動への反応ではなく、個人の尊厳や安全を脅かす深刻な問題です。したがって、どんな理由があったとしても、いじめを「正当な反応」とすることは倫理的にも社会的にも認められません。
また、人間関係の中で意見の不一致や摩擦は避けられませんが、それを理由にして暴力的な対応を正当化するのは、相手に対する基本的な尊重や共感、理解といった社会的価値観を著しく損なうものです。たとえ不快な行動があったとしても、問題の解決は対話や調整、あるいは第三者の介入を通じて行われるべきであり、いじめといった行為に依存するべきではありません。
このように、被害者側の行動に問題があったとしても、その行動を理由にいじめを正当化する論理は、倫理的にも実際的にも受け入れがたいものです。各個人が互いの尊厳を保ちながら問題解決を図ることこそが、健全な社会を築くために不可欠なのです。
ここまでの議論を踏まえると、いじめの問題は決して一方的な「悪い行動」に還元できる単純なものではなく、加害者がその行動に対して責任を持たなければならないという点に注意が必要です。もしこのテーマについてさらに議論する興味があれば、いじめ被害者支援の現状や、健全なコミュニケーションを促進するための社会制度の在り方についても考えてみると良いでしょう。
いじめを受けたことのある親友情報→「いじめを受けるのは、当たり前だけど辛いし、だからといって先生とかに言えばいいって思っても怖くて言えないこともある。」だそうです。なので絶対にいじめは駄目です。やってもいいって言った人は頭がイカれてクルクルパーです。
いじめって、正直言うと、いじめっ子が、いじめられっ子にわざわざ自分時間を使ってくれてるんです。なのでね、あえて感謝したいとこですよ。(あくまでも皮肉です。)
フランスの法改正を見習うのもいいけど、単に頭があれで、思い込みが激しいパターンがあるからこの問題は複雑化する
やられた側からしたらもうなんだろうね
やるならやるで好きにすればいい.その先幸せになろうと私には関係ない.
けどさ、
なんだろうなんか苦しいよねしんどいよね
なんで加害者が幸せになるんだろうって
少なくとも人間性が欠けてると思う
いじめが生まれるのは仕方なくもあるが、だからこそそこを治さねばならないと思う
いじめって捉え方が人によって違うから難しい。
自分ではいじめてないって思ったとしても、相手がいじめられたって思えばいじめになっちゃう
好意でのいじめは駄目だけどね
いじめは行けないね。ただし、私のクラスメイトのあの糞だけはいじめられろ、そして○ね

