アニメ『天元突破グレンラガン』はおもしろい?つまらない?


初めは癖のあるキャラデザインだなと思っていたけど実際見てみるとどうだ。
こんなに熱くさせてくれるアニメは中々無い、これを名作を言わずして何という。多少エロめかしくて男向けロボット作品でも万人受けするカッコいいアニメだわ
でもなー、4話になったら兄ちゃんが死んじまって、突如姉ちゃんも可愛さが消えて、代わって出てきた女の子が、あんまし可愛くないし、大人になったあとでも主人公の弱っちい感じ(顔とか体格)に違和感があるんだよなぁ。
つまらないと感じている人が多いのも無理ない。終盤になると荒唐無稽が行き過ぎて現実感が全く無いから何のシンパシーも起きない。今どきの子供でもこんな内容の無い話にはついてこないでしょう。
>>17
>トリガー系の薄寒い熱血ごっこアニメはどうも苦手
あぁ~これ分かる。見てて寒いんですよね、プロメア、キルラキル、リトルウィッチも激寒だった。あとどれも何かのパクリくさいんだが
>>23
追記
調べたらプロメアとキルラキルは普通にパクリ疑惑で炎上してた。グレンラガンリトルウィッチもパクリありそう
兄貴が退場するまでが抜群におもしろかった
退場でもしない限り主人公話の中心になれなそうなので退場は納得
でもその後、初期ほどのおもしろさは復活しなかった感じ
個人的には終わりに近づくほどさほど好みじゃない話になった
>>25
それなー
勢いと熱血(というかしつこいうるさいクドさ)だけで物語進めるから胸焼けして途中で見なくなった
俺は逆に、勢いと熱血をやるならやり通して欲しかった
カミナ死んでから急に暗い路線になってしんどかった
バッドエンドありきで、バッドエンドにならなくてはならない理屈を延々とこねくり回すもんで序盤の暑苦しい流れを入れた理由が全く不明
そんなオチにすんなら最初から熱血ごっこなんかすんなよと
ほぼ全話視聴
端的に、口だけ番長
wikiで制作陣の意図、狙いも確認
どうにも低年齢層向けな印象で違和感強
調べたらテレ東ニチアサ枠だったので納得
若年層に七五調の活弁士然とした口上のありようを啓蒙する文化的意義は多少あるかと思われ
確か魔女っ子メグちゃん初回にも白浪五人男の口上が出て来たかと記憶しているが、絶滅危惧種とも言えるカルチャーだけに、何だろ?と思わせるだけでも悪くはない
最近でもアンデッドガールマーダーファルスの例もあり、上手く使えば良いリズムが出る
ただ、本作において、次回予告メインならまだしも、主に前期の本編中にくどくどしく、しかもテキトーに繰り返されるので、ゴリ押し感に疲れるのも事実
とにかく、前期はいかにも幼児向けで、話に動きはあるのだが、引き込むストーリー性の無い呑気な冒険譚で退屈
カミナ亡き後10話くらいからようやくまともなストーリーが提示されてくる印象
ちなみに、当時もザワついたらしいが、3話までのそこそこの作画レベルが4話目にほぽ崩壊
キャラデザのアウトラインが雑で蛭子能収的作画、豊かさの無い着色のベタ塗り、キャストのドアップばかりで背景を描きたくない制作側の意志が鮮明、そのドアップキャラも殆ど動き無し、地下集落メインの話が続くとは言え画面の半分以上を陰でほぼ視認不可としてキャストの表情さえ掴めない演出、地上に出ても日陰演出で画面半分以上をほぼ黒塗りで蔽いキャストの表情が解らんシーンを多用、人型兵器も戦艦型兵器も全貌を描きたくないようで局所的ズーム画をスライドさせての状況解らせ演出、etc…
これが4話から10話くらいまでは続いたかと思う
一応釈明として、地下と地上の対比を鮮明化するための、アダイ地下村落での暗転演出とのことだが、その後の地上活動シーンでもやっつけ感は続いたので流石に誰も擁護はできんと思う
ただ、この後、中盤から終局にかけて逓増的に複雑で手の込んだレベルの作画シーンが増していくので、ストーリーはともかく画としてのクオリティを魅せる気概は示していたと思う
おそらく終盤での作業疲れによる粗雑化を考慮して、根気の要る中盤終盤の繁雑演出シーンから着手、比較的単純で単調なシーンの多い序盤シーンの作業は最後に回したんだろうが、思いの外時間を食い、4話などはほぼ時間などかけられない剣ヶ峰状態だったのでは?
でないと、そもそもがそれ程丁寧でもなかったキャラデザとは言え、突発的なミカンせいじんあらわる状態の4話での変節は、ある意味虚数的高校デビューであり過ぎる事の説明とならない
アソビゴコロだよ、で片付けられても別にいいのだけれど
ともあれ、10話くらいからようやく作画がまともに戻りストーリー性も増して、作品に訴求力が出てくるのは確か
螺旋王ロージェノムによる末期の台詞の伏線も利かせて、後期へ視聴者の意識を繋げられていたと思う
ちなみにここまでのメカニックデザインは村上克司、大河原邦男そのものの懐古調、殊にアイアンリーガー的ファニーデフォルメ調で通していたが、ロージェノム搭乗のラゼンガンにおいてはガイナックスの面目躍如か、昭和平成を通して独壇場とも言えた御大二人のデザイン系譜に、ある意味引導を渡したとも言えるエヴァ的な有機性のある生臭いメカデザデインで演出
個人的には今作で最も洗練されたフォルムだったかと思われ
パイオニアへの敬意もしくは原点回帰か、庵野氏ら独立後の新生ガイナックスを担う意思表明か、過去の栄光のエポックデザインの敗退演出に何某か含みを持たせる暗喩で締める形の前期終了
7年後設定に始まる後期は、名選手名監督に非ず、のペーソス演出による、流動的統治機構の安定化に腐心する、若過ぎる元勲達の逍遥譚的風情
絶対悪を喪失したコミュニティ内に生起するパワーバランスの変化、困惑、変節、軋轢、派閥化、という普遍的テーマとなるので、シニア層でもそこそこ楽しめる人間描写のフェーズ
平和常態、人権意識萌芽、情報化、多様性容認、常識軽視、独善化、被害者意識、要求拡大、贖罪の羊の渇望、etc…
呪術廻戦の夏油よろしく誰も闇堕ちしなかったのはニチアサを担う最低限のノブレスオブリージュの自覚故だったか
まぁ政令指定都市程度の人口規模なら船頭が若くても何とかなるんじゃね?とは皆思ったかと推測
大人向け話はすぐ終わり、再び絶対悪という共通認識を獲得、「友情・努力・勝利」という何処ぞの3大原則をひたすら追求、永井豪的こんなん出ましたけど、も、石ノ森章太郎的ポエティック痴呆徘徊なんぞも若気の至りと、誰にも文句は言わせねぇ大団円で大人の仕事を完遂
他方、手前勝手な大人には物足りない終わり方と映る欲しがり病
思い出せる記憶としては、六神合体ゴッドマーズ辺りが人型ロボットの入れ子構造の黎明だったかと思うが、今作のグレンラガンにおける、マトリョーシカ的巨大化の肯定的評価を前提とした、指数関数的インフレーション演出の時代錯誤感、戦後高度成長期真っ只中の「大きいことはいいことだ」を地で行く懐古憧憬趣味は、見ていてやや違和感があった
確かにこの時期、2007年頃はバブル崩壊後の不景気からようやく脱して景気が上向くのを実感していた時期であり、その社会全体の強含みの空気感から、夢よもう一度のイケイケ感が醸成されていたのかも知れない
けれど、最終形態のグレンラガンの全長が10万光年というのは、流石に無軌道に過ぎる重厚長大信仰の演出に映り、興醒めしか無い
何においても確かにスケールメリットというものはあるとは思うが、物語の最終盤を盛り上げる方法が「この上ないデカさ」頼り、というのは、経済力だけでなく文化的洗練においても劣後を甘受したって別に良くね?という開き直りのようで、子供向けの仕事とは言え、大人をも唸らせる何かを、かりそめにも表現する側ならば示して欲しかった、と所望するのは求め過ぎだろうか?
奇しくも翌2008年リーマンショックでメッキ剥がれて景気後退、実感の伴わない数字だけの形とは言え2013年に始まるアベノミクスまで再び沈降を余儀なくされたのは、アンチスパイラルとの最終決着となる雌雄の決し方が、ちっこいラガンによる一突きという、収縮均衡による身の丈スケールへの回帰だったというのも、含みある符合かと思う
他、気になった点
見てすぐ解る通り、昭和任侠映画演出、殊に制作陣がコメントしたように仁義なき戦いオマージュなので、日曜朝から深作欣二臭のハイカロリー飯を食わされる寝起きドッキリ感
女キャスト、殊にヒロインであるヨーコの乳ブルンブルン、尻ブリンブリン、鼠蹊部、内股等の執拗描写頻出による姑息な萌え豚ホイホイ演出
正直親なら子供に見せたくない下衆な方法論
ニチアサだよ
もう1人のヒロイン、ニアの徹頭徹尾の他力本願設定
「シモンなら何とかしてくれる」の一点張り
果たしてご都合主義の何とかしてくれちゃう演出の繰り返し
ニア本人は何の貢献もする能力無し
ただ可愛いだけで許される
その一方で他キャストは「男は…」「男なら…」「男のくせに…」、etc…
またその一方で「女は…」「女なんだから…」と、双方辟易至極のステレオタイプのゴリ押し強制
見ていて疲れる、息苦しい、押し付けがましい、黙ってろ
こんな地方のヤンキーが好みそうな、メンツばかりの口だけ演出、白々し過ぎて聞いてられない
こんな不自由で、偏った、アナクロニズムな思い込みの価値観を子供に植え付けないで欲しい
マイケル・サンデルとまでは言わんが、個のありように沿った解決を等高目線で考えてあげる、くらいの寄り添いを見せる民度くらい示して欲しい
昭和価値観の押し付けをギャグとみなせる寛容が2007年にあったのか憶えていないが、少なくとも現代では一発アウトであるのは論を俟たない
笑えないし見ていて恥ずかしい
何もしないで笑っているだけの若い女に何か施してやれるほど現代の男性に余裕は無い
日本だけでなく先進国共通
グローバリズム以前の価値観を引っ張り出してきて雰囲気だけで成り立たせようなんて、現代の社会性を勘案しない演出などしないで欲しい
見当違いも甚だしい
そもそも女性観も弱者当然の庇護対象確定演出で、同性として不愉快と感ずる人も少なくない筈
双方老若男女全方位に失礼千万
声優に関して
何故に敵総大将アンチスパイラルのCVが上川隆也?
残念だが素人芸
威厳も含蓄も無い
浦山迅さんなり、適切な人選はあった筈
上っ面芝居なのに誰得な人選だったのか
あとヨーコ役の井上麻里奈、終盤の演技が気持ち入ってない演技で浅薄
終盤シーンからアフレコしたんだろうが、役を掴み切れていなかったのか、かなり大根
当時シンデレラガール的扱いだったのもあっての起用だろうが、良い仕事とは言えない
逆にひとり気を吐いていたのが檜山さん
ヴィラルそのものの適材適所
マギン役の中田譲治さんも出番少ないがいい演技
主役2人はやや若さが物足りなさとイコールとなってしまった感あり
それと、散々アニメ他作品で言及されてきた宇宙に関する物理学的知見
適当な上っ面つまみ食いの、業界デフォのご都合援用だけど
任侠馬鹿演出だけどお勉強
もしてますから!という、同業者への沽券アピか粗探しオタへの牽制なのか解らんが、そこまでわざわざ込み入った理屈を借りて来たり捏造しなくても、面白い話はできるでしょ
寧ろ基本プロットに自信無い故のなんちゃってアカデミズム自演かと映る
複雑系の自負よりも後期冒頭で見せた人間関係の濃やかさの丁寧な描写を大事にする方が、見る側を惹きつける事は百も承知でしょうよ
基本がべらんめえ調の勢いアニメだから難しかったのかも知れんけど
まぁ、ニアにグレンラガンがドリルを突き付けるシーンが、カヲルを握り潰そうとする初號機のもじりであるように、自主カヴァーも含めてパロディやオマージュだらけのてへぺろスタイルが基本だから、めくじら立てても詮無いのだけれど
ともあれ、大人にとってはプロットが凡俗、幼児向けにしては豚向け撒き餌が生々し過ぎる、という、どっち向いてんの感、あわよくばのいやらしさ感が鼻についた、ホビーとゲームの購買のゲートウェイたればそれが正義、という、大人の事情がニチアサという純白の紙にフロッタージュされた作品であった印象
この作品がガイナックスにおける最後の瞬き、超新星爆発であった事は、この後の法廷闘争の決着で定義されるけれど、あぶく銭が人間をスポイルするという象徴であった組織で、地に足つけたものづくりの姿勢を取り戻せなかった組織で、紡がれた今作の根幹のテーマである言葉「自分の宇宙は自分で決める」
それが第三者には薄ら寒く、口だけ番長の言葉遊びにしか聞こえなかったのは哀しい皮肉であった
ちなみに
艦内オペレーターを務めるシベラクトーの声がセイラマスと似ていたのは懐かしく、僥倖