巣鴨置き去りネグレクト児童虐待事件
こんにちは!私は両親から小さい時から虐待を受けていたのがきっかけで、将来、児童虐待防止の中心的役割を果たす「児童福祉司」という仕事を目指している中学生です。虐待で辛い思いをする子、亡くなる子供が少しでも減るよう、このブログで少しでも児童虐待防止のお手伝いが出来たらなと思います。私の名前とプロフィール画面にあるオレンジリボンは児童虐待防止のシンボルマークです。
*今、児童虐待を受け、悩んでいるお子さんや、子育てに悩んでいる親の方たち、もしよかったら雑談チャットにお越しください。相談に私でよければ、乗ります!😄
他にも、児童虐待に関する質問などあったら、回答します!
今回の記事...東京都豊島区西巣鴨一丁目で1988年に発覚したネグレクト事件を取り上げました😃
事件の概要
事件で亡くなった子...女児(2)、次男(0)
事件の加害者 ...実母
発生地 ...東京都豊島区西巣鴨一丁目
虐待の種類 ...ネグレクト
虐待理由 ...恋人と同棲するため、家を出ていく
死因 ...女児(2)=不明 次男(0)=不明
通告・保護 ...大家から通告
発覚した日 ...1988年7月17日
事件の内容
事件の経緯↓
・1973年頃、長男(第一子)誕生。
・1979年頃、長男の父親が蒸発。その後長男が就学年齢に達しても就学通知が来ず、母親が役所を訪ねると長男の父親が婚姻届と出生届を出していなかったことが判明する。
・1981年頃、長女(第二子)誕生。以後、子供は自宅で出産し出生届は出されなかった。
・1984年頃、次男(第三子)が生まれるが、生後間もなく死亡。
・1985年頃、次女(第四子)誕生。
・1986年頃、三女(第五子)誕生。
・1987年秋頃、恋人と同棲するために母親が兄弟の世話を、第一子の長男に任せ家を出る。母親は生活費として数万円を送金し、時折様子を見に来ていた。
・1988年
4月、三女(2)が泣き止まないことに怒った長男の遊び友達らが、押入れの上から何度も三女の上に飛び降りるなどの暴行を続け三女が亡くなる。
7月17日、大家から不良の溜まり場になっているとの通報を受け巣鴨署員がマンションの部屋を調べたところ、白骨化した乳児(次男)の遺体と、長男(14〜15)、長女(7)、次女(3)の3人が発見され、保護された。親の姿はなかった。
18日、長女と次女は衰弱していたため福祉事務所に預けられた。長女の供述から、長男がきょうだいの面倒を見ていたらしいことが分かった。長男らはコンビニ弁当などのジャンクフードで生活していたため、栄養失調に陥っていた。
子供たちはいずれも出生届が出されていなかった。長男は昼間ぶらぶらしていることが多く、不審に思った大人たちから「どこの小学校に行っているの?」と聞かれると、常に「立教小学校」と答えていた。母親からそのように答えるよう指導されていたとの事。
23日、テレビのニュースで事件を知った母親が出頭。母親の証言から、9ヶ月前に家を出ていたこと、三女の行方が知れない事が判明。
25日、長男の証言により、三女は死亡しており、遺体は秩父市内の雑木林に埋められたことが分かる。
裁判↓
1973年8月、母親が保護責任者遺棄致死の罪で逮捕・起訴され、のちに懲役3年執行猶予4年の有罪判決を受けた。長男は三女の死に関わっていたとされ、傷害致死ならびに死体遺棄で東京家庭裁判所に送致された後、状況を考慮され養護施設に送られた。
事件後↓
長女と次女は母親に引き取られた。新聞によると長男は学生生活を送り直し生徒会長にまでなったという。その後母親と会う事は一度もなかったらしい。そして、今回の事件をもとに是枝裕和監督のもと、2004年制作の「誰も知らない」という映画ができた。
どうすれば助けられたのか
どうすれば助けられたのか↓
・シングルマザーへの支援を充実させる
・昼間ふらふらしていた長男を見て誰かが不審に思い、通告してくれるためにも、たくさんの人に通告を呼びかける。
亡くなった女の子と赤ちゃんが来世ではもっと幸せに生きられますように
暴行され亡くなってしまった女の子、生まれてからそのまま放置され亡くなった赤ちゃんのご冥福を、心からお祈りします。中学生の男の子も、まだ中学生なのに、1人で兄弟の面倒を見るのはすごく大変だったと思います。こういったヤングケアラーの支援もこれから社会全体で充実させていくべきだと思います。こういった事件が二度と起きないよう、皆さんにお願いがあります。児童虐待の疑いがある子を見かけたら通告をお願いします!😊 通告方法は簡単です。電話で189に電話するだけです。「いちはやく」で覚えられます。通信料も要りません。匿名でも大丈夫です。秘密も守られます。あなたの通告がその子どもの希望です。