山口吉則くん児童虐待死事件

7 2023/10/12 17:20

こんにちは!私は両親から小さい時から虐待を受けていたのがきっかけで、将来、児童虐待防止の中心的役割を果たす「児童福祉司」という仕事を目指している中学生です。虐待で辛い思いをする子、亡くなる子供が少しでも減るよう、このブログで少しでも児童虐待防止のお手伝いが出来たらなと思います。私の名前とプロフィール画面にあるオレンジリボンは児童虐待防止のシンボルマークです。

*今、児童虐待を受け、悩んでいるお子さんや、子育てに悩んでいる親の方たち、もしよかったら雑談チャットにお越しください。相談に私でよければ、乗ります!😄

他にも、児童虐待に関する質問などあったら、回答します!

今回の記事...1998年に長崎県小長井町で起きた、16歳の山口 吉則くんが虐待死した事件を取り上げました。

事件の概要


事件で亡くなった子...山口 吉則(やまぐち よしのり16歳男児)

事件の加害者   ...「実母」山口礼子(33) 「実母の交際相手の男」外尾計夫(44)

発生地      ...長崎県小長井町

虐待の種類    ...性的、身体的

虐待理由     ...保険金目当てに殺害した

死因       ...溺死

通告・保護    ...なし

亡くなった日   ...1998年10月27日

事件の内容


山口礼子さんは、山口克彦さんと結婚し、その後、夫婦は1980年9月6日に長男、1982年5月24日に次男・吉則さん、1988年11月25日に長女の3子をもうけました。しかし克彦さんは家庭を顧みず、外に愛人を作ったために揉め事を起こします。愛人女性の夫から慰謝料を請求されたうえに、礼子はこの男性の愛人になることを強要されました。それを救ってくれたのが、この事件の共犯者である外尾計夫さんでした。礼子さんは外尾さんに惹かれ、交際するようになります。

吉則くんは外尾さんに懐いておらず、また、性格も合わなかったため、3人の子どものうち吉則さんを殺害し、保険金を手にいれるターゲットに選んだのでした。吉則さんは外尾さんの機嫌の悪い時に暴力を振るわれるなど、冷遇されていました。彼はいつも顔に擦り傷があり、ある時は鼻骨や他の箇所を骨折するなどしていましたが、まわりには兄弟げんかだと説明していました。また、兄弟や吉則くんの前で、性交をするなどの子どもにとっての性的虐待を行なっていました。

近所の人は、吉則さんが夜、自販機の灯りや街灯の下で本を読む姿、雨の日でも犬の散歩を欠かさない姿を見て、何か事情があるのではと薄々感づいていました。

礼子さんは吉則くんの殺害について、当然のごとく猛反対しました。しかし、しつこく要求されたこともあり、そのうち礼子さんの心境に変化が現れます。このころ礼子さんは外尾さんと縁を切りたいと考えており、次男を殺して得た保険金を元手に、残された2人の子どもと自立しようと考えるようになったのです。

1998年10月26日午後10時30分頃、長崎県小長井町の岸壁にイカ採りといって吉則くんを連れて行き、睡眠導入剤のカプセルを飲ませて眠らせました。そして、翌27日午前0時30分頃、眠っている吉則くんの上半身と両足に紙粘着テープを数回巻き付けたうえで海中に投げ込みました。

しかし、海に落ちた衝撃で、吉則くんは目を覚ましてしまいます。彼は「この野郎!」と叫びながら泳いで岸壁に向かったが、外尾さんがこれを阻止し、礼子さんも吉則くんの頭を押さえて海中に沈めて殺害しました。

礼子さんは吉則くんを殺害したあと、車でファミリーマートに駆け込み110番通報を依頼します。これを受け警察は小長井漁協に捜索のため船を出してもらうよう依頼、40分後、岸壁から50m離れたところで吉則くんの遺体が発見されます。

この時、漁協の組合員らは違和感を感じていました。「明日、学校があるのに深夜にイカ採り、しかもイカの時期は過ぎている」このような疑問は、長崎県警も同じく感じていました。

県警は、「高校生の吉則くんに、高額の保険金が掛けられている」ことや、「6年前の夫の死亡時も、1億円もの保険金を得ている」ことから事件の疑いがあるとみて、遺体は司法解剖されることになりました。そのため、吉則くんの保険金は支払われませんでした。

司法解剖の結果、吉則くんの遺体から睡眠導入剤が検出されたことから事件と断定、捜査が開始されました。そして礼子さんは容疑者となり、外尾さんの存在も警察の知るところとなります。

夫の保険金は1億円もあったのに、生活は困窮していたことから、外尾さんも徹底的に調べられることになりました。その結果、外尾さんは過去に親しくなった女性らに対して、言葉巧みに金を出させることを頻繁に行っていることが判明しました。おそらく礼子さんも外尾さんに言われるがまま、夫の保険金や財産を「貢いで」いたと警察はみていました。

こうしたことから、長崎県警はまず、内縁関係にあった外尾さんを殺人容疑で逮捕、そして1999年8月30日、外尾さんの自供から、礼子さんも殺人容疑で逮捕されることとなりました。

その後の捜査で、礼子さんの19歳の長男には4000万円、10歳の長女にも2500万円の保険金を掛けており、長女には何回か睡眠導入剤を飲ませていたことが発覚した。

長女は近所の人に「次は私が殺される」と話していたといいます。

裁判↓

2000年2月15日、長崎地方裁判所で両被告人の初公判が開かれました。

公判は32回にわたって開かれ、両被告人は起訴事実を認めたが、犯行の主従関係などを巡って争いました。

山口礼子被告は「2件とも外尾被告が主導した」と従属的な立場を主張しました。

2002年7月23日に論告求刑公判が開かれ、検察側は両被告人に死刑を求刑しました。

2004年5月21日、長崎地裁は外尾被告に死刑判決を言い渡し、山口被告に無期懲役を言い渡しました。裁判長は、夫・克彦さん殺害については「発案・主導した、山口被告の方が責任が重い」、吉則くん殺害については「両名が一体となって実行したもので、刑に軽重の差はつけられない」との判断を示しました。

「外尾被告の暴力から逃れるためだった」との山口被告の釈明については「身勝手極まりなく、子供を犠牲にして殺害するなど言語道断。親子の絆を断ち切るような犯行は許されない」と退けました。

弁護側が「残された被告の2人の子供も、極刑を望んでいない」と情状酌量を求めていたことについては「山口被告が死刑になれば、2人の子供は実父と兄弟を殺害されたうえ、実母までなくすことになるが、酌量の評価には一定の限界がある」と述べました。

どうすれば助けられたのか


どうすれば助けられたのか↓

・不審に思った近所の人が通告するためにも、通告を幅広い人に知ってもらうべきだと思った。

・あざや明らかな外傷があった時点で一時保護するべきだった。

・「次は私が殺される」と長女が言っていた時点で、児童養護施設で子どもを暮らさせることも考えるべきだった。

山口吉則くんが来世ではもっと幸せに生きられますように


亡くなった山口吉則くんのご冥福を心からお祈りします。こんな形でしか亡くなった山口吉則くんが生きていたことを証明できませんが、こういった事件が二度と起きないよう、皆さんにお願いがあります。児童虐待の疑いがある子を見かけたら通告をお願いします!😊 通告方法は簡単です。電話で189に電話するだけです。「いちはやく」で覚えられます。通信料も要りません。匿名でも大丈夫です。秘密も守られます。あなたの通告がその子どもの希望です。

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暮らし2023/10/12 17:20:47 [通報] [非表示] フォローする
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児童虐待を受けたと思われる子どもを見かけたら、通告をお願いします😊


>>2
コメントありがとうございます!取り上げてほしい虐待事件とかあったらまたリクエストください!


>>4
コメントありがとう!


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