小説 紅影③

3 2026/05/20 19:34

 ハルは墓の前に座り込んでいた。

 土を盛り、小さな木の祠を二つ立てただけの簡素な墓。

 そこに眠るのは、母とカルだった。

 朝の風が吹くたび、まだ乾ききっていない土が静かに舞う。

「…………」

 何も浮かばない。

 ありがとう。安らかに。ごめん。

 どれも違う気がした。軽すぎる。

 母を斬った。カルを守れなかった。

 そんな自分が、何を書けばいい。

「……出てこない」

 その時、瓦礫を引きずる音が近付いてきた。

 ギギ……ギギ……

 振り返ると、ラカールが機械人間の胴体を引きずっていた。

「おい」

 ハルを見る。

「まだ泣いて──」

「墓に書く言葉が思いつかない」

「……は?」

 ラカールは本気で困った顔をした。

「泣いてるんじゃないのか」

 涙は、昨夜どこかへ置いてきたらしい。

 ラカールは何も言わず墓を覗いた。

 木札には、結局こう刻まれていた。

 ――我が唯一の良心、ここに眠る。

 ――我が一人の親友、ただ安らかなれ。

 しばらく見つめたあと、ラカールは肩をすくめる。

「十分だ」

「そうか?」 

「墓なんて、生きてる人間の自己満足だ。」

 ラカールは、ハルの肩を軽く叩いた。

「身も蓋もないな」

「死人は読まないからな」

 風が吹く。

 しばらく二人とも黙って墓を見つめていた。

 やがてラカールが後ろを指差す。

「それより、こいつを見ろ。」

 昨日倒した機械人間だった。胴体だけになっている。

 ラカールは胸に貼られた金属板を剥がした。

そこには番号が刻まれていた。

 No.34

「番号?」

「個体番号だ」

 ラカールはそれ以上説明しない。

「昨日の奴は三十四号型らしい」

「型?」

「もっといる」

 その一言だけで十分だった。

 ハルは思わず黙る。

 三十四号ということは、それ以上いる。

 そんなものが世界を歩いているのか。

 ラカールは胴体を瓦礫へ放り投げた。

「長居はできない。ここを襲った以上、また来る可能性がある」

 ハルは振り返る。

 昨日まで村だった場所。酒場。薪割り場。

 全部、瓦礫になっていた。

 そこへ自然と足が向く。

 崩れた酒場。屋根は半分落ち、壁も焼け焦げている。

 足を踏み入れると床板が軋んだ。

 誰もいない。

 昨日まで聞こえていた母の声も。カルの笑い声も。

 もう、何もない。

 カウンターは倒れ、棚は崩れ、割れた酒瓶が床へ転がっている。

 その奥に、小さな鍋が見えた。不思議なくらい綺麗だった。

 ハルは静かに拾い上げると、柄には、小さな傷があった。

 幼い頃、自分が落として付けた傷だった。

 『あーあ、母さんの鍋……』

 泣きそうになる自分へ、母は笑った。

『物は使えば傷つくもんよ。大事なのは、最後まで使うこと』

 ハルは鍋を見つめたまま目を閉じる。

「……ごめん」

 掠れた声が漏れる。

「最後まで守れなかった」

 鍋を持っていこうとは思わなかった。

 それを持てば、ここへ帰りたくなる。

 静かに元の場所へ戻し、店を出ようとした。

 その時、足元で何かを踏んだ。

 見ると、土に半分埋もれた木札があった。

 ハルは拾い上げ、煤を払う。

 そこには懐かしい文字が残っていた。

 『オオツ村酒場』

 母が開店の日、自分で彫った看板だった。

 ハルはしばらく見つめる。

 それから墓の前まで歩き、木札を土へ立てた。

「……これでいい」

 ラカールは何も言わない。

 ただ黙って待っていた。

 ハルは最後に村を見渡す。

 壊れた家。焼けた酒場。倒れた柵。

 昨日まで確かにあった生活。

 もう戻らない景色。

 腰には布で巻かれた紅剣。

 ハルはそっと柄へ触れた。

「行こう」

 ラカールは静かに頷く。

「ああ」

 二人は歩き出した。

 振り返る者はいなかった。

 朝日だけが、灰になった村を静かに照らしていた。

 ーーー

 二人は村をあとにした。

 崩れた石畳を抜け、灰色の荒野へ足を踏み入れる。

 風が吹く。乾いた土が舞い、朽ちた建物の骨組みだけが遠くまで続いていた。

 しばらくして、ハルがぽつりと呟いた。

「……どこへ向かう?」

「京都だ。」

 ラカールは迷いなく答えた。

「京都?」

「一番大きな都市だ」

 ハルは驚いた。

「まだそんな町が残ってるのか」

「旧文明の都市を利用して、人間が作り直した」

 遠くを見れば、崩れた高速道路が地平線まで続いている。

 その上を、風だけが渡っていた。

「そこへ行けば何か分かるのか?」

「少なくとも、お前の持っている剣についてはな」

 ハルは無意識に腰へ手を当てた。

 布で巻かれた紅剣。

 昨日から一度も触れていない。

 触れるのが怖かった。

「この剣……本当に何なんだ」

 ラカールは少しだけ考える。

「俺も全部は知らない。知っているのは、この剣が『天哭』と呼ばれる封印物だということだけだ」

 

その言葉だけで嫌な記憶が蘇る。

 父の言葉。母の血。カルの最期。

 ハルは拳を強く握った。

「そういえば…」

 ハルは言った。

「昨日のはなんだ?こうやって、光がバーンと出たやつ」

 ハルは身振り手振りを交えた。

「歪算、あれは理式だ」

「理式?」

 聞き慣れない言葉だった。

「魔法みたいなものか?」

「違う。」

 ラカールは首を横に振る。

「理を式として組み立て、世界へ干渉する技術だ」

 ハルは眉をひそめた。

「全然分からん」

「分からなくていい。俺も最初はそうだった。」

 その笑顔を見て、ハルは少し意外に思った。

 この男も笑うのか。

 そんな当たり前のことが、不思議だった。

「京都には、その理式を学ぶ学院がある」

「学院?」

「ああ」

「お前はそこで学んだのか」

「今も所属している」

 ハルは思わず立ち止まる。

「じゃあ学生なのか?」

「いや……」

 かなり若いが、学生というほど若いわけではなさそうだ。

 ラカールは苦く笑った。

 二人は再び歩き始める。

 道端には、錆びついた自動車が横転していた。

 窓ガラスは割れ、車内には草が生えている。

 その向こうには、崩れた駅舎。

 線路は途中で途切れ、大木がその上を覆っていた。

「昔は人が大勢いたんだろうな」

 ハルは呟く。

「いただろう。今より、ずっと」

 しばらく歩く。

 空はどこまでも灰色だった。

 鳥の声は聞こえない。

 聞こえるのは風だけ。

「……家族は?」

 思わず口にしてしまった。

 ラカールは少しだけ足を止める。

「もういない」

 それだけだった。

 深くは語らない。

 だが、その五文字だけで十分だった。

「悪い」

「気にするな。学院には仲間がいる」

 少しだけ笑う。

 仲間。

 自分にはカルがいた。

 母もいた。

 けれど――。

「……仲間、か」

 その言葉だけが、妙に胸へ残った。

 ーーー

昼過ぎ。

二人は崩れた橋へ辿り着く。

川沿いを歩いていると、小さな人影が見えた。

十歳くらいの少女だった。 網を持ち、水辺で魚を獲っている。

ハルは少し安心した。

「人がいる。」

だが、ラカールの表情は変わらない。

少女がこちらへ気付く。 目が合った。

次の瞬間だった。

少女は網を捨て、全力で森へ走っていく。

「え?」 ハルは思わず声を漏らした。

「俺たちを見て逃げた?」

「違う。」

ラカールは周囲を見回す。

「俺たちの後ろを見て逃げた」

ハルが振り返る。 誰もいない。

風だけが吹いている。

「何も……」

ラカールは静かに腰へ手を伸ばした。

「静かにしろ」

その声は、村で機械人間が現れた時と同じだった。

緊張が走る。 ハルも無意識に紅剣へ触れる。

「抜くなよ」

「あぁ」

辺りは不気味なほど静かだ。

遠くで、空き缶が転がる音がした。

ハルは音のした方を見る。 緑に覆い尽くされ、崩れたビルの屋上。 そこに、一人の男が立っていた。

長い外套。後ろで束ねた黒髪。肩には古びた長銃。

男は二人を見下ろし、ゆっくりと笑う。

「やっと見つけた」

ラカールは小さく舌打ちした。

「……賞金稼ぎか」

男は銃を肩へ担ぎ直す。

「違う」

その笑みはどこか楽しげだった。

「俺は依頼を受けただけだ。ラカール・ビョウカン。そして——」

男の視線がハルへ向く。

「天哭紅剣の所有者。お前たちを京都へ行かせるわけにはいかない」

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その他2026/05/20 19:34:11 [通報] [非表示] フォローする
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