神様とゴッドフュージョン悟空はどっちが強い?
神様とはこの宇宙を、そして星を、そしてこの星に生きる生命をお作りになられた存在、人間風情が生み出した創作物如きでは敵う相手ではない
過去に神や霊の存在を証明できた者はおりません。つまり、神も創作物の一部と考えるのが妥当でしょう。
一方、GF悟空は実在の人物であるUSJの観客とフュージョンします。
悟空とのフュージョン中もUSJの観客は個々の身体と意思で行動することができ、創作物からの攻撃など通用しようがありません。
したがって神様よりもGF悟空のほうが強いとの結論に達します。
>>2
過去に神や霊の存在を証明できた者はおりません。<ワイだぜ★というかGFGも同じだろw根拠という名の演出並べてるだけの凡人がw
創作物からの攻撃など通用しようがありません。<創作物じゃないんでw
神様が現実に存在するとかちょっと病院行ったほうがいいわ
ゴッドフュージョン悟空は現実に存在するけどな
USJの観客が悟空とフュージョンしたのがゴッドフュージョン悟空なわけだから悟空とフュージョン中のUSJの観客がゴッドフュージョン悟空なわけ
現実の人間だから創作キャラからの攻撃は効かないし現実の人間ですら観客全員でぶっ飛ばせる
まさに最強無敵
神様って笑わせないでー
>>8
だから自称神は俺だぜ★っでお前みたいな手遅れな人が何千人襲ってこようとデコピンで倒せる。笑わせんなよゴミがw
>>8
神様が現実に存在するとかちょっと病院行ったほうがいいわ=お前の方が病院行った方が良い
ゴッドフュージョン悟空は現実に存在するけどな=ゴッドフュージョン悟空は画面の中の存在だろ?、画面から出れてない=現実世界には存在してない
USJの観客が悟空とフュージョンしたのがゴッドフュージョン悟空なわけだから悟空とフュージョン中のUSJの観客がゴッドフュージョン悟空なわけ=現実世界の人間の身体が残ってる時点で矛盾してる
現実の人間だから創作キャラからの攻撃は効かないし=GF悟空は現実の人間ではありません、現実の人間とGF悟空を履き違えないで下さい。それにGF悟空はブロリーゴッドの攻撃でダメージを受けてまーすw
フュージョンした現実の人間全てを倒さないといけない。☜加算方式なら分かるけど、そうじゃ無いからそこまでしなくても良い。無いといえるのは、1回目2回目とイベントを繰り返して観客が増えて強くなるなら悟空が強くなっていってブロリーゴットを圧倒していく筈だから。
それにブロリーゴットの攻撃を悟空が受けている時点でその観客は現実では無くアバター群なだけであり仮想の観客となる。
演出メタと設定メタなら設定メタの方が遥かに上。
演出メタって見方や解釈によって変わってメタじゃなくなるから意味無いし、そもそも演出メタ自体が解釈や見方でなっているだけだし、その解釈や見方に食い違いや矛盾&破綻してたらもうメタじゃ無いんよな。
一方設定メタはそんな事ないし、矛盾&破綻があっても少し下がるだけ(ぜんぼしなどのオリキャラや二次創作物など一次以外の創作物は例外だが)だし、設定だから事実及び公式明記されてるから演出メタよりも信頼性や信用性、評価が大きくなる。
でもgf悟空はもう演出メタ呼ばわりされやんけどな。破綻者だから。
強すぎる敵を倒す方法が思いつかなくて主人公を神様にしてしまった尾田栄一郎的な頭の悪さを感じる
>>16
自己紹介?まだ尾田栄一郎のほうがいい。ちゃんと世界観考えてるから。お前らみたいなゴミ以下と違う
https://m.youtube.com/shorts/TllbO6SstMM
ついにYoutubeでも反乱の兆しが!
>>18
悟空は創作キャラクターだから直接現実の人間を殴ることはできないよ。だけどGF悟空は現実の人間(USJの観客)と悟空がフュージョンした姿だから悟空とフュージョン中のUSJの観客が君をボコればいいわけだよ。どうやって防ぐの?警察に逃げ込む?
>>2
「神や仏は、人間が恐れや無知から生み出した幻想にすぎない」
そう考える人もいるかもしれない。しかし、この見方は一面的であり、哲学・歴史・科学・心理・宗教のいずれの観点から見ても、実は深く掘り下げれば成り立たないことがわかる。
神仏という概念は、人間の空想の産物ではなく、むしろ人間という存在そのものが、最初から“それ”を感じ取り、応答してきた歴史の中にある。
まず哲学的に言えば、神とは「完全で永遠で、すべてを超えた存在」とされている。
しかし、人間はこの世界で“完全”や“永遠”といったものを実際に体験することはない。ではなぜ、人はそんな概念を思い浮かべることができるのか?
経験したことのないものを、人間がゼロから想像できるのか?――これは哲学の大きな問いの一つだ。
デカルトは、「完全性の観念は、それ自体が完全な存在から来たものでなければならない」と述べ、カントも、「神の存在は理性が道徳を成立させる上で不可欠な前提である」と考えた。
つまり、神の観念は人間の内側から“作られた”のではなく、人間が超越的なものに触れた痕跡として理解する方が、論理的にも自然だと言える。
歴史や文化を見ても、神仏の存在が「人間が後から作ったもの」と考えるのは難しい。
世界中の古代文明――エジプト、バビロニア、インド、中国、南米のマヤなど――それぞれが他と接触のない中で、自然と「創造主」「天」「霊的存在」「魂」「死後の世界」といった考え方を持っていた。
地理も言語も異なる人類が、なぜここまで似たような宗教的観念を生み出したのか?
これは、文化が偶然同じ方向に進んだのではなく、人間そのものが“何か超越的なもの”を感じ取る性質を持っているということの証拠だ。
科学的な観点から見ても、神の存在は否定されていない。
たとえば、宇宙はビッグバンによって始まったとされるが、その直前には空間も時間も存在していなかった。では、その「始まり」はどこから来たのか。
また、物理定数――重力、電磁力、質量、光速など――がほんのわずかでも違っていれば、宇宙も生命も存在できなかった。これは「ファイン・チューニング問題」と呼ばれ、偶然では説明できないほど精密なバランスがある。
さらに、量子物理学では「観測されるまで現実が決定しない」という現象があり、物質の背後に“意識”や“観察する主体”の関与が示唆されている。

